第374話 妬みと妄執

「侵入されました!」

 部下の悲鳴のような報告がマルティヌスの耳を劈いた。

 彼の動揺も無理からぬことだ。マルティヌスたちがいるのは山よりも高い空中。矢すらも届かぬ空間という絶対の城壁があった。どれほど強大な軍でさえ突破不可能な、この世で最も安全な場所で、こちらからは一方的に攻撃できるという優位性があったからこそ、彼らは余裕を保てていたのだ。

 自分たちを守っていたその大前提が崩れた今、神の座から引きずり降ろされた彼らはただの人に成り下がった。

 どこで間違った。マルティヌスは歯噛みする。計画は完璧だったはずだ。アドナの中にいれば安全だったはずなのに。

「何故、奴らの接近に気づかなかった! アドナには、周囲を監視する目も、敵が接近したら警報を鳴らす機能もあったのではないのか!」

「そ、それは」

 部下は言いにくそうに口をまごつかせる。

「サッサと言え!」

「は、はい。確かにその機能はあるのですが、現在全て停止している状況です」

「何故だ!」

「録画機能のせいです」

「何だと?」

 マルティヌスの記憶が呼び起こされる。確かファナティが言っていた。録画機能を使うと、他の機能の処理が追いつかないとかなんとか。

「侵入される直前まで、アドナは超高画質映像録画機能を前面全てのモニターで行っており、加えて特定のレギオーカたちの目と連動して無用の記録保存などの録画を行っておりました。また同時にレギオーカ軍の同時運用など、アドナの処理能力の多くを使用している状態だったのです。そのため、監視がおろそかになっていました」

「そうだ、ファナティも確かにそう言っていた。・・・もしや」

 マルティヌスが気づき、部下は頷く。

「おそらくは、ファナティのその言葉が、侵入のための合図だったのやも」

「あの男、恩を仇で返すどころか、毒まで仕込んでいたのか!」

 あんな自己保身しか頭にないような男に裏をかかれるとは。腹の中が煮えくり返るような思いで、マルティヌスは怨嗟と共に男の名を吐き出した。

「殺す。絶対に殺してやる。ファナティも、指示を出していたであろうあの女も!」

 血走った目でモニターに目をやる。モニターにはアドナの内部が映し出されている。そこには、こちらに近づいてくる傭兵団の姿が映っていた。

 どこにでもいる、取るに足らない、愚かで矮小な女。そのはずだった。

 遺跡で殺したはずだった。

 生き残ったとて、レギオーカたちに踏みつぶされて終わりのはずだった。

 それがどうして、爆破した遺跡から生還し、レギオーカの軍勢を押さえ込み、空にある神が住まう聖地を、アドナの中を土足で踏み荒らしているのだ。

 殺しても、殺しても殺しても、死なない。悪夢のような女、いや、マルティヌスにとって、目の前の女は自分の輝かしい現実を真っ暗に侵食していく悪夢そのものだった。

 おのれ、魔女め。

「動じるな!」

 部下を一喝する。

「通路を全て封鎖しろ! 奴らを指令室に近づけさせるんじゃない!」

「かしこまりました!」

 部下が操作すると、モニターでも通路を金属の扉が塞いでいくのが見えた。

「ただ通路の生体認証は、ファナティも登録されています。暗証番号についても奴は把握しているでしょう」

「奴の認証を削除することはできないのか。もしくは扉の暗証番号を変更するとか」

「それが、奴は自分に上位権限を付与しておいたようです。削除は可能ですが時間がかかります。暗証番号については、新しい番号を登録する方法がまだ判明していません。また、新しい番号を登録するためには扉の機能を一旦停止してから行わなければならず、その間は手動で開けることができてしまいます。これまで使用されていたであろう番号を扉ごとに設定することは今からでも可能ですが、それもファナティは知っているので」

 時間の問題、と部下は語尾を濁しながら言った。

「どこまでも、小賢しい奴だ。やはりさっさと殺しておくべきだった」

 絶体絶命だった。だが、認められなかった。自分の輝かしい未来が始まったばかりなのだ。路傍の石に躓くわけにはいかない。

 自分は救世主なのだ。マルティヌスは弱気になりかけた自分に喝を入れる。間違ったリムスを正しく導く使命がある、と。

 マルティヌスは意識的に無視しているが、彼がここまで救世主にこだわるのは理由がある。

 誤った世界を滅ぼし、更地にして、新たな世界を構築する。そうすることでしか理不尽が蔓延するリムスを変えられない。そしてそれを成せるのは自分だけだ。なぜなら。

「私こそが、過ちを正す者だ」

 貴様ごときが救世主であるはずがない。

 インフェルナムに認められ、これまでのリムスの常識を破壊した、龍の書に語られる伝説をそのまま体現した女の存在を、マルティヌスは認めない。そしてその湧き出る感情、嫉妬もまた、彼は認めない。

 救世主に対する執念が、妄執が、逆転の一手を手繰り寄せる。

「格納庫へ奴らを誘導しろ」

 マルティヌスの視線は、アドナの地図に向いていた。現在の敵の位置は後方。まもなく中央部にある格納庫付近に到達する。

「格納庫ですか?」

「そうだ。いるではないか。神を守護するガーディアンが」

 マルティヌスの言うガーディアンの正体に気づいた部下が、慌てて止めようとする。

「待ってください。あれは試作機と注意書きがありました。レギオーカのように細かく命令できない未完成、と。古代人が制御しきれなかったものを、我々に制御できるはずが」

「では、他に奴らを殺す方法があるのか!?」

 部下はたじろぎ、辺りを見渡す。

 同士の数はかなり減ってしまった。ファナティたちを追っていた三名も死亡し、残るはこの指令室にいる者たちだけ。兵士としての訓練も受けているが、本業は古代文字の解読班だ。

 対してこちらに向かってきているのは、少数とはいえ歴戦の猛者である傭兵団アスカロン。マルティヌスが言うように、危険な試作機でも使わなければ勝ち目はない。

「案ずるな。格納庫は外部と繋がる運搬用の扉があったはずだ。危険とわかれば外に放出してしまえばいい。それくらいの制御なら何とかなるだろう」

 駄目押しするようにマルティヌスが部下に告げる。確かにそれなら、何かあっても大丈夫の様な気がしてくる。

「わかりました。すぐにとりかかります」

「なんとしてでも、奴らを格納庫に移動させろ。多少の被害には目を瞑る」

 部下が作業に取り掛かるのを見て、マルティヌスは再びモニターに視線を向けた。

「何も知らずのこのこやってくるがいい。そこがお前たちの墓場だ」

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