第369話 居場所を守れ

「なかなか粘るではないか」

 アドナのスクリーンに映るテオロクルムの戦場を見下ろしながらマルティヌスは呟いた。戦闘が始まって三時間近くが経過していた。

 スクリーンは七つの画面にわかれており、中央の最も大きなメインの画面には拡大された主戦場が、他の六つはテオロクルムの街を六つに分割して、少し引いた画を撮影していた。

 メインの画面に映っているのは、拡大されたアポスたちが映っている。肉眼では豆粒よりも小さい姿が、アドナの拡大レンズを用いることで良く見えていた。その焦った顔も、傷ついた体も。

「一瞬で踏みつぶされるかと思いきや、よく耐える。流石はコンヒュムが誇る将軍が率いるだけの事はあるな。テオロクルムのジオ将軍もなかなか。良い後継者をもったものだな、テオロクルム王。この調子なら、勝てるかもしれんぞ」

 言葉とは裏腹に、マルティヌスはレギオーカの軍勢が負けることなど微塵も考えていない。事実、戦線はレギオーカによって徐々に押し込まれている。

「ああ、いかんな、いかんぞ。そのままでは」

 にやにやと笑みを浮かべるマルティヌス。その言葉が示す通り、派手な爆炎が上がった。レギオーカがなぎ倒した家屋から炎が噴き上がった。近くにいた兵たちが炎から逃れようと逃げ惑う。その背を無慈悲なレギオーカが追う。

「ほうら、大変だ! 守るべき家々が火に包まれているではないか! あっはっは! 悲しいな!」

 見るがいい。マルティヌスは両手を掲げて、部下たちに言った。

「あれが、神に逆らう愚か者たちの末路だ。自分の家が燃やされているのに、逃げることしかできない。何と哀れで、滑稽なことか。おい、ファナティ!」

「は、はい!」

 突然名前を呼ばれ、ファナティは直立不動で返事をした。

「この光景、ロクガとやらで記録しているのだろうな」

「はい。ご指示通り、アドナについている様々な機能を駆使して録画しております。ただ」

「ただ、何だ」

「いかに神の遺産アドナであっても、我々が出す全ての命令を実行するための処理には限界があります。先ほどお伝えしたように、レギオーカの指示の他、それはもう様々な機能を使い、マルティヌス様の御威光を世に知らしめるための映像を百年、いや、千年残すための録画と保存を行っていますが、そのために少し他の機能に回すことができていません」

「つまり、どういうことだ? もっとわかりやすく言え」

「人間に置き換えて説明しますと、一つの事に集中しているため、他のことがおろそかになっているという状態に近いかと。テオロクルムが滅びるのを見るのに集中しているから、他のものが見えない、という状況です。仮にアドナの背後や真上に敵が現れても、気づけないでしょう」

 ファナティの説明を聞き、マルティヌスはつまらなそうにため息をついた。せっかく愚かな人間どもに神の力を示し、良い気分に浸っていたのに、水を差されたような不快感だ。

「何故そんな心配をせねばならんのだ。馬鹿なのか、貴様は。アドナがどこにいるか忘れたか。雲の上だぞ。鳥でもなければ到達できない高さに我らはいるのだ。どうして後ろを心配をする必要がある? 地を這う虫けらどもに、我らに触れる術などありはしない。余計なことを考える暇があるなら、もっとレギオーカを効率よく動かせ。この役立たずが」

「申し訳、ございません」

 深々と頭を下げるファナティ。しかし、その体が細かく震えていることをマルティヌスは見逃さなかった。

 一丁前に恥辱に震えている。下らんプライドが傷ついたか? ファナティのそんな様子を見て鼻で笑う。

 生き残るためにマルティヌスに媚び、仲間を売り、今はレギオーカを用いて殺そうとしている。そんな、落ちに落ちた人間が誇れることなど何一つありはしないというのに。何かの拍子に己の感情に振り回され、馬鹿な真似を起こし、裏切る。

 こういう奴こそ、自分が目指す理想郷には必要ない存在だ。この戦いが終わったら、すぐさま処分しよう。

「さて、そろそろ終わりが近いか?」

 ファナティに興味を失くしたマルティヌスが、再びモニターに視線を向ける。内心はどうであれ、ファナティは指示通り動いたか、動きの良くなったレギオーカが足止めを喰らっていた中腹を越えようとしている。 

「頑張れ頑張れ。貴様らに退路はないぞ。まあ、神に逆らった時点で、この世に貴様らの居場所はないがな」



 新たな火の手が上がった方向を、アポスは見上げた。防衛ラインの目印にしていた、周りの家屋よりも頭一つ高い、三階建ての建物の窓から火の手が飛び出して屋根を子がしている。あの建物があるのは左翼側、そちらが抜かれそうになっているという合図だった。

「ジジイ、まずいぞ!」

 ロガンが叫んだ。額から血を流し、白い鎧は泥で汚れ、ところどころ凹みや削れた傷跡がある。

「言われなくともわかっとる!」

 だが、助けを送ることができない。彼らがいる中央は何とか拮抗を保っているが、その拮抗は簡単に崩れてしまう。下手に人員を割いたり移動したりすれば、たちまち追撃を受けて壊走してしまうだろう。

 中腹でレギオーカと戦えていたのは、兵たちの力もあるが、幻覚を見せていた魔道具メンダシゥとそれを操る魔術師の力が大きかった。

 だが、レギオーカの数が増え、遂には中腹から溢れるほどになった頃、魔術師に限界が来た。広範囲に、味方には影響しないように細かな調整をしながら幻覚を見せるのはかなりの技術と魔力がいる。もちろん複数人のローテーションによって絶え間なく継続できるように工夫はしてきた。だが、敵の数が増えれば効果範囲を広げる必要があり、効果範囲を広げれば魔力消費や疲労が倍増する。そこへ更に敵が増加するという悪い流れに突入し、流れを変えることができないまま戦いが続いてしまった。

 メンダシゥの効果が薄れていく。レギオーカの目が、現実を映した。壁があった場所には何もなく、何もなかった場所に動く者が、人間がいる。今度こそ過たず、レギオーカの剣は人間に振り下ろされた。

 レギオーカの強さはアスカロンによって情報がもたらされていた。多少の傷などものともしない、死ぬまで戦い続けることができる体も脅威だが、何よりも恐ろしいのは人間を遥かに凌ぐ膂力。シンプルだが、これほど恐ろしいことはない。

 それに対抗するための丈夫な鎧や盾を準備した。更には魔道具による補強も施された。力を十全に振るえないように狭い場所に誘いこんだ。取れる手段は全て取った。

 それでも、人間は宙を舞った。レギオーカの一振りで、何人もの人間が薙ぎ払われ、騎馬のように突っ込んできた巨体が隊列を跳ね飛ばした。

 綻びが生まれてしまうと、形勢は一気に傾いた。崩れた箇所を補うために別の部隊が入るものの、当然その部隊が担当していた箇所の守りは薄くなり、兵たちの労力は増し、疲労はたまる。疲労がたまれば集中力が切れ、ミスが増える。一つの些細なミスが、致命的なミスつながるのは時間の問題で、些細なミスの数は減るどころか加速度的に増加していく。

「クソが!」

 致命的なミスが引き起こしたであろう悲鳴に反応して、ロガンが槍を携え、瓦解しそうな左翼へと向かおうとする。

「ばかもんが、勝手に動くな!」

「動かなきゃ終わっちまうだろうが!」

 ロガンの言い分はわかる。左翼が抜かれると、レギオーカたちはそのまま反転、中央、右翼を包囲する。自分たちは退避することも出来ずに擦り潰されてしまうだろう。何処か一部でも抜かれれば負けは必定なのだ。それでも、アポスが待ったをかけたのは、中央もレギオーカに崩されつつあり、乱戦模様になってきたからだ。一体に対して五名以上の隊伍を組んで相対していたが、敵味方入り乱れてその対応が出来なくなってきている。

 そんな中、一人違う動きを見せれば、それはレギオーカの目を引き、狙われる。

 レギオーカが物陰から飛び出し、ロガンを右手側面方向から襲う。完全に不意を突かれた形だ。走っている途中のロガンは目でしか迫るレギオーカを追えず、体はまだ反応できていない。その間にもレギオーカは剣を振り上げ、ロガンに向けて放とうとしている。

 彼は死を覚悟した。もっと劇的な感情、例えば後悔とか無念とか、もしくはそれらと相反する気持ちが胸に去来して天に召すのではと想像していたが、意外なくらいあっさりとそれがやってきて、むしろ困惑していた。こんなことで人生終わるのか、と。

 死を覚悟して妙に冷静になってしまったからか、ロガンはそこからの一部始終をきちんと目で追っていた。

 レギオーカが剣を振り下ろす直前、腕の最も細い関節部分に何かが巻き付いた。ロガンの目には、それは鞭に見えた。妙に長く、いくつもの節がある鞭だ。鞭は熱でも発しているのかオレンジ色に染まり、耳鳴りの様な甲高く嫌な音を立て始める。同時、レギオーカの鞭が当たっている腕が同じくオレンジに染まり、火花を散らした。鞭が引っ張られると、ギャリギャリと音を立てて腕が切断された。切断された箇所は赤く歪んでいる。ロガンが鞭の節に見えたのは、一つ一つが小さな刃でわかれているためだった。刃がこすれ、異音を放っていたのだ。刃は中心を通る線で繋がっており、それが長い鞭に見えていた。線は魔力を流すと高温を刃に宿し、刃と熱で巻き付いたものを溶断する仕組みだ。

 魔道具『セラ』。アスカロンが開発した武器の一つであり、なぜか団長が最後まで名前をヒートロッドとかグフとか、団員には理解できない名前にしようとしていた魔道具である。

 反撃に出ようと振り返ったレギオーカの体に向かって、何本もの鎖が四方から伸びる。体を振り回すたびに鎖がまとわりつき、レギオーカの動きを阻害していく。動きが鈍り、垂れた頭にセラが巻き付いた。小さな刃はノコギリと同じ働きをし、熱が加わることで更に切断力が高まる効果が期待でき、期待通りの結果を生む。

 頭部を失い崩れ落ちるレギオーカの後ろから、セラを振るった張本人が現れる。

「無事?」

「あ、あんた」

 ロガンが見つめる先にいたのは、部隊を連れたイーナだった。

「怪我人を助けて回ってたんじゃなかったのか?」

「ええ。だからここに来たの。今から負傷者を下がらせるわ」

 イーナが目を向けると、すぐに隊員たちが手際よく負傷者を回収し始める。彼女が率いている部隊はアスカロンだけでなく、テオロクルムの兵もいるが、彼女の指示に不満を漏らすことなく、むしろ率先しててきぱきと動いていた。彼女は美貌だけでなく、確かな采配でもって指揮下の男たちを納得させていた。

「助かったぜ。だが、救助はここよりも向こうを優先で頼む。左側が崩れたんだ」

「もちろん、これから向かうわ。ちょっと落ち着いてからね」

「はァ?! 何悠長なこと言ってやがる。落ち着いたころなんざ皆やられちまってるぞ!」

「大丈夫よ」

 イーナが断言した。何が大丈夫なのかと言い返そうとしたとき、新たな轟音が耳に届いた。視線を向ける。

 レギオーカが宙を舞っていた。レギオーカを上回る膂力によって。

「ね?」

 二人の視線が、レギオーカを殴り飛ばした正体へと向けられる。

『待たせたな、友よ』

 戦場に響く、妙に若々しくも威厳に満ちた声。そして、拳を握りしめる堂々とした巨体。

『我らカステルム軍は、これよりテオロクルム軍に合流する。共に侵略者どもを追い払うぞ!』

 ラケルナに搭乗したカステルム王カルタイと、彼率いるラケルナと兵の混合軍が、レギオーカたちに襲い掛かった。

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