第366話 開戦

 海面が陽の光を反射してキラキラと輝いている。打ち寄せる波が砂浜に曲線を描く。いつもと変わらない海岸線の風景に、異質な影が入り込んでいた。陽の光を妨げ、波を遮る影は、景観を崩していることなどお構いなしに砂浜に鎮座している。

 レギオーカの軍勢だ。真っ白な砂浜に突如として生まれる巨大な黒い影が何体も海岸線に沿って整列している。その威容は山より高い場所にあるアドナからも見えていた。

「命令変更作業はどうなっている?」

 レギオーカに滅ぼされる哀れな国を見下ろしていたマルティヌスが声を発した。

「は、はい。全て変更いたしました」

 汗を拭いながら、ファナティが顔を上げた。

「これまでのレギオーカは防衛モード、つまり、自分や守護対象に近づく者に対して敵対行動をとるよう設定されていました。だから、敵がいなくなれば停止していた。しかし今回の今のレギオーカは探索モード。〝自ら敵を探し、動く者を見つけ、積極的に攻撃を仕掛ける〟よう設定しております」

 珍しく、ファナティが声を張り上げた。

 自分の成果を誇りたいのか、そうまでして自分の価値をアピールして、仲間を売り飛ばして死に追いやってでも生きながらえたいのか、哀れで浅ましい男だ。マルティヌスは内心でファナティを蔑む。

 まあいい。どうせこいつの利用価値はここまでだ。

 マルティヌスがちらと視線を向けると、忠実な部下が小さく頷いた。ファナティに張り付かせていた部下は、予定通りアドナの操縦方法をほぼ把握したようだ。これで、ファナティの価値は無くなった。

 改めてファナティに視線を向ける。哀れな男はほぼほぼ徹夜の作業に従事させられ、疲労困憊の様相を呈していた。せめて自分の成果、テオロクルムが滅びるまでは生かしておいてやるか。研究者として、成果を確認しないまま死ぬのは心残りだろうからな。

「よくやった。ファナティ。これでレギオーカは、テオロクルムの奴らを一人残らず殲滅する、ということだな」

「はい。〝視界に入った、動く者全てがいなくなるまで戦い続ける〟でしょう」

 何が違う? マルティヌスは首を傾げた。まあ、学者は説明書通り正確に読まないと気が済まない人種だ、奴もアドナの画面に表示されている通りに読んでいるだけだろう。浮かんだ疑問を頭から消し、椅子から立ち上がる。

「時間だ」

 その場にいた全員がマルティヌスの方に傾注する。大いなる一歩を踏み出そうとしている自分に酔いしれる。

「これより救世の旅を始める。この世の不浄を照らし、過ちを正す。その一歩が、神に背いた者たちの粛清である。彼らの心身は既に穢れきっており、私が伸ばした救いの手も、彼らは自分自身で振り払った。救うためにはもはや死による浄化を行い、清らかな魂として神の元へ誘う以外に方法はない。彼らの死をもって諸国に改めて訴えよう。無駄な血を流すなと。我を信じよと。それこそが、唯一穢れを払い身を清め、救いを得る方法なのだと」

 マルティヌスが右手を掲げた。

「レギオーカ。蹂躙を始めよ。神の、私の敵を滅ぼすのだ」

 影の中で赤い禍星が輝く。



「おうおうおう、遂に動き出しやがったか」

 海岸を監視していたテーバが冷や汗流しながら言った。

 停止していたレギオーカたちが順番に立ち上がり始めた。その様子を、布陣したテオロクルム兵、釈放されたコンヒュム兵、傭兵団アスカロンの混合軍が見つめている。

 誰かがごくりと生唾を飲み込んだ。見渡せば、皆誰も彼もが緊張に顔を引きつらせ、体を硬直させている。考えていることは、手に取るようにわかった。

 勝てるのか。あんな化け物どもを相手に自分たちは耐えられるのか、と。

 あの巨大な剣を見て思うだろう。あれが自分に向かって振り下ろされた時、自分の体はどうなってしまうのか、原型すら残らないんじゃないか、そんな想像が脳裏をよぎる。悪い想像は留まることを知らず、雪だるま式に増加していく。

「やるだけのことはやった」

 だからこそ、想像を断ち切るように私は声を上げる。不安も恐怖も後悔も、頭の中に浮かんだ『たら』『れば』『もしも』も飲み込んで、肚の中にある火にくべる。

「準備は万全、勝つ為の策もある。引けない理由も、守るべきものもある。そうでしょう?」

「その通りだ」

 テオロクルム将軍のジオが言った。王であるプロペーは後方にて全軍の指揮と、それぞれの軍を連携させるため、情報を統括し連絡するハブ役についている。代わりに前線の指揮官を彼が担っていた。

「しかもこれは、我らテオロクルムのことだけではない。我らが敗れれば、カステルムはじめ、同盟の十三国全てが併呑されるだろう。リムスがマルティヌスの手に落ちる。それだけは許されない。それに、あんな性格悪そうな奴が救世主だ英雄だなどと歴史に残るなんて、俺には我慢できん」

「その場合、逆らった私たちは酷い悪役として描かれるかもしれません」

「ますます負けられないな。どうせ描かれるなら、稀代の色男、とでも書いてもらわないとな」

 笑いが起こる。固さが少し抜けたようだ。それを見て、ジオは満足そうに頷いた。

「では、アカリ団長。作戦通りに」

「かしこまりました。将軍、ご武運を」

「そちらもな。頼んだぞ、魔女」

 それぞれの担当場所へと分かれていく。



「はん、何だって俺がてめえと同じ場所なんだよ」

 槍を肩に担ぎながら、ロガンが相手に聞こえるように言った。

「それはこっちのセリフだ若造」

 聞こえた相手、コンヒュム将軍アポスが言い返す。

「どうして貴様のような未熟な者が、前線の重要拠点にいるのだ?」

「重要だからこそ俺がいるんだろうがよ。もっとも戦いが激化する可能性のあるこの中央によ。そっちこそ敵の癖に、どうしてこんなところにいるんだよ。掴まってたんじゃねえのか」

「アスカロン団長の教育はどうなっておるのだ。我らはマルティヌスに騙されていたとテオロクルム王に釈明した。それが聞き届けられ、恩赦を受けた我らはマルティヌスを止めるという同じ目的のために協力することになったのだ。貴様は何の説明も受けておらんのか?」

 問われ、そういえばなんか言ってたな、とか、一緒に櫓組んでたな、という記憶をロガンは思い出した。呆れたアポスがこれ見よがしにため息をついた。

「ふん、図体ばかりで、頭は鍛えてこなかったようだな」

「うるせえなあ。つうかジジイ、後でもう一回俺と戦え。あのままじゃ、俺はジジイに負けたままだと思われてんのは我慢ならねえ」

 ロガンの言葉に、アポスはきょとんとして、思わず笑ってしまった。彼らの目の前には絶望が広がっている。何百というレギオーカがこちらを殲滅するために進軍してきているのだ。これからその絶望に抗わなければならない。なのにこいつは、明日の話をしている。楽観的なのか、現実が見えていない愚か者なのか。

「無駄だ。いくらやっても今のままでは貴様は私に勝てん」

 両方だな、とアポスは結論付けた。だが、その馬鹿さ加減は、ここ最近のアポスの近くになかったものだ。認めがたいが、流れる空気に心地よささえ感じてしまう。

 国家間の権力闘争、それも同じ志を持ったはずの国同士で、互いに互いを蹴落とし合っている。自分はその戦いの駒として、今回のマルティヌスのような連中に利用される日々を送っていた。

 シンプルに敵意を向けてくる相手とのやり取りで心がやすらぐとは、やはり、自分は腹芸のできないただの武人なのだ。難しいことはよくわからん。敵を倒すのに全力を尽くす。目の前の未熟な若造と同じ、それしかできないただの馬鹿なのだ。

「逃げんのか?」「びびってんのか?」と口汚く煽ってくる若造に告げる。

「どうしても相手を欲しいのであれば、この戦、生き残ってみせよ。若造」

「言ったなジジイ! てめえこそ無様にくたばるんじゃねえぞ!」

 レギオーカの軍勢との相対距離が、百メートルを切った。古強者と若武者が同時に槍を構える。今度は同じ敵に向けて。

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