第362話 幕間 それぞれの目に映るもの

「ようやく行ったか」

 塔の窓から、アカリたちが走っていくのが見えた。殿を務める彼女が門を閉じるのを見届けて、プラエは肩の力を抜いた。傷は塞がったものの、かなりの出血があった。全身の疲労が濃く、気を抜けば眠ってしまいそうだ。

「ま、役目は終わったわけだけどねぇ」

 寝てしまっても構わない。後は彼女に託した。結果を見られないのは残念だが、彼女ならいつものように成し遂げるだろう。

 そう言えば、嬉しいことを言ってくれていたな、と通信機越しに聞こえてきた会話を思い返す。


 ―これまで一度だって任された仕事を失敗したことがない―


 ―あの人は天才なの―


「もっと早く、口にしなさいよね」

 そうすれば、こっちはもっと気分よく仕事ができたのにと、口元をほころばせる。

「しかし、私も根っからの魔術師よね」

 体は限界を迎えている。未来は三分後に閉ざされる。けれど、プラエは目の前の画面から離れることはできなかった。そこには、古代文明が残した数多くの文献が残っていた。アドナやレギオーカの設計図をはじめ、多くの兵器に関するデータがあり、それは理論上、という名の彼女の勘にはなるが、現代の魔道具技術にも転用が可能な代物だ。

「これを持ち帰れば、魔道具技術が十年は進むわね」

 この状況で、後三分で人生の幕が下りるという時でさえ、彼女の知的好奇心は衰えることなく、新しい刺激を受けて脳が活性化していた。

「ああ、来てる来てる。冴えまくってるわ。どんどん新しいアイディアが浮かんでくる。今なら何でもできそう」

 なんてね、と自嘲気味に苦笑いする。どれほどアイディアが浮かんでも、持って帰れなければ意味がない。

 バキン、と大きな音がして、窓の向こうに視線を向ける。壁の一部にひびが入り、そこから水が入り込んでいた。その下ではレギオーカたちがまだ戦いを繰り広げている。というよりも、一方的な戦いになっていた。三対三の同数で拮抗していた戦いは、三対四、三対五と敵側のレギオーカが増えるにつれて劣勢に傾き、今や二体倒され、残りの一体が七体のレギオーカによって蹂躙されている。その際に吹き飛び、勢い余ったレギオーカの剣が壁に突き刺さってしまったのだ。

 おそらくこの施設は、中の空気圧によって水圧に耐えていたから、壁はそこまで厚くはない。証拠に、ひび割れは徐々に広がり、流れ込む水の量がさらに増えてきている。最上階のここまで浸水するのも時間の問題だ。塔が爆発するのが先か、水没するのが先か。どちらであっても、後三分以内なのは変わらなそうだ。

 水が迫ってきている。カウントダウンが迫ってきている。出来れば苦しまずに死にたいものだとプラエは思う。

 これまでの記憶が浮かぶ。走馬灯、というやつだ。魔術師として生きる決心をし、魔術師に弟子入りしたこと。ガリオン兵団に拾われたこと、多くの仲間に出会えたこと。その多くを失ったこと。危なっかしい未熟者を支えると決めたこと。

 大変なことばかりだったが、全て楽しかった思い出だ。

 そして、彼女の目に映ったものは。



 その日、リムス中の人々が空を見上げた。

 巨大な、ドラゴンよりも巨大な鳥が、リムスの空を支配していた。

『大地に生きる、全ての者たちよ。人生という名の道をさ迷い歩く、哀れな子羊たちよ』

 空から、声が降ってくる。

『我が名はマルティヌス。マルティヌス・ヤムチャット。人々を導く担い手。神の代弁者。過ちを正す者。すなわち救世主である』

 殷々と、声は山を越え、河を越え、国境を越えた。

『我を信じよ。我を崇めよ。我を称えよ。さすれば汝らは救われる。我が作る理想郷へ汝らを導こう』

 だが、と影が差す。

『我を認めぬ者、それすなわち神の意向に背きし愚者であり、悪魔である。悪魔には神の裁きが下るであろう』

 アドナの底が開く。そこから三本の柱がゆっくりと伸びてきた。柱は先端で更に三つに分かれていて、遠目には鳥の足のように見えた。ルシャの世界には、人を導く三本足の鳥の神がいるという。アドナを目にした人々に、確かにそれは神の如き神々しさと畏怖を抱かせた。

 三本の足がゆっくりと動く。位置を調整しているのだ。やがて三本の足は同じ方向へと爪先を向ける。三本の爪の中心に火が灯った。三つの火が三本の直線でつながり三角形を形成する。その三角形の頂点を全て通るように真円を描く。円の中の三角形がくるくると回転を始める。三角形が六角形、九角形、十二角形と頂点を増やしていく。やがて内外に大小二つの真円が作られた瞬間、一筋の光が矢となって放たれた。向かう先には、テオロクルムの人々が霊山と呼んでいるヤハタ山があった。光がヤハタ山に触れた、瞬間。

 世界が白く染まった。

 あまりに強い白の支配が徐々に和らぎ、世界が元の色を取り戻した時。そこにヤハタ山の姿は無かった。代わりに存在したのは巨大な渓谷だ。光の矢は山一つを消滅させた。

 高笑いが響く。

『これが神の力、神の裁きだ! 我に逆らう者は一切の区別なく差別なく平等に裁かれ、虚無へと帰すだろう!』

 予言しよう。マルティヌスは言った。

『これより数日以内に、テオロクルム、そしてカステルムが陥落する。かの地は神の尖兵によって蹂躙され、焦土と化すだろう。なぜなら、奴らは裏切り者モルスーの子孫だからだ。ウィタにできなかったことを、我が成してみせる。それを成した時、我はウィタを超え、新たな龍神教の主導者となるであろう』



 テオロクルム近海。マルティヌスの演説に呼応する動きがあった。

 彼らは長い間眠っていた。気の遠くなるほどの時間、海底で、命令があるまで。

 本当は、眠っていた方が良いのだ。彼らが起きるという事、それはすなわち、戦いが必要な世界であるという事。彼らの創造主は、彼らが二度と起きないことを祈っていた。彼らが起きた時、この世がどれほど甚大で悲惨なダメージを受けるか、身をもって理解したからだ。

 だが彼らレギオーカたちは、その恐ろしさや、生み出す悲劇を知らぬ愚者の手により、望まぬ起床を、起動を果たす。



「こんなもん、かな」

 ゲオーロは額に浮かんだ汗を首に巻いたタオルで拭い、『それ』から一歩離れた。

 船で送り返された彼らは、一緒に乗り込んだコンヒュムの内通者たちを、隙を見て一斉に拘束。そこからは緊急事態の際に団長たちが決めた方針に則って行動していた。テオロクルムとカステルムへの報告はジュールとイーナが担当し、他の団員はすぐに救援に向かえるように準備を行っているところだ。今回の作戦の要であるオルディ少佐とラケルナが裏切ったことは二国にとってかなりのショックであり、痛手でもあった。なんせこの場にラケルナに抗する手段がなく、もう一体のラケルナは現在メンテナンス中ですぐには動かせないからだ。その為、急遽他のラケルナを呼び寄せているらしいが、どうしても時間がかかる。もどかしい思いをしながら、アスカロンの団員たちは準備を進めていた。

 そしてゲオーロは、プラエから預かっていた『それ』の準備をしていた。


「予言の言葉を読み解くに、もしかしたら鳥ってのが出てくるかもしれない」

 昨日の作業中、プラエはそうゲオーロとティゲルに告げた。

「それって~、作戦が失敗する、ってことですか~?」

 ティゲルが不安げに尋ねた。

「ああ、うん、そういう事じゃなくて、いや、結果的にはそうなるのか? というかね。予言では、災厄の鳥飛び立つとき、なんちゃらかんちゃらって話があって、その続きに東方から来た女が鳥を落として災厄を鎮める、的な感じで続いてたでしょう? つまりは、災厄の鳥が飛ぶから、女が落とすわけよ」

 言ってることわかる? とプラエは言った。ゲオーロには良くわからなかったが「予言として言葉が生まれた瞬間、言葉に引き摺られて因果が確定した、ということですかね~」とティゲルは頷いていた。

「あの、どういうことです? さっぱりわからないんですが」

「すでにそうなるように決まっている、ってことですよ~」

「つまりは、運命、というやつでしょうか?」

「そんな感じです~」

「で、だ。話を戻すけど。もしかしたら、試作品大番号十三番の出番が来るかもしれない」

 プラエがゲオーロたちの前に『それ』のパーツを広げる。

「相手が鳥なら、これが必要になるかもしれない。出来るところまで仕上げておこう。悪いけど二人とも、協力してくれる?」

「「もちろんです」」


 そして現在、組み立てられたそれがゲオーロの前にあった。

 試作品大番号とは、ルシャであるアカリの知識をもとにして、プラエやゲオーロが試行錯誤して作りあげた、ルシャの世界の道具である。以前作成した車やレールガンがそれにあたる。


 大番号十三番 『ラルス』


 作り上げたものの中でも、一、二を争う大きさを誇るそれを見上げ、ゲオーロは満足そうに頷く。ラルスもまた、自分の中に火が灯るのを待っていた。


続く

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