第360話 怒りの門

【なぜ開祖ウィタは、強大な神の威光を従えながら裏切り者モルスーを誅しきれなかったか。その答えがこれだ。神の力に対抗するには神の力を得るしかない】

 両手を広げ、自分の成果を誇るようにマルティヌスは語る。

【神話の時代、神はアドナの背に乗り、天空よりリムスを創造したという。大地を、海を、生物を、そして人を創り、管理していた。そして人々が堕落し、国が悪に染まればたちまちアドナから神の雷を降らせて滅ぼし、善人を救い上げ、新たな大地に誘った】

 どこにでもよくある創世神話だ。元の世界でもこういう神話には共通点が多々ある。人類の出発点が同じで、その子孫が散らばりその土地特有の神話と変性したのか、それとも人類の無意識がネットワークのようにつながっている心理学的な話なのか、人類学的な話は私にはよくわからないが、異世界でも同様の話が出ると、もう人間は『そう考えた方が都合がいい』というか『そう考えるように元から出来ている』のでは、という風に考えてしまう。

 今は、どうでもいいことか。画面の向こうで得意げに語っているマルティヌスの演説くらいどうでもいい。

【私はついに、神話にある開祖ウィタと同じ力を得た。これすなわち、私は彼らと同席に至ったという事に他ならない。国々が争い、憎しみと怒り、嘆きと悲しみがこの世に満ちている。人々は救いを求めているこの時、私がこの力を得たのは天命である。この世を救え。ウィタにも成せなかった救世を成せ。つまり、私こそが神が遣わした救世主である】

「傲慢が過ぎるぞマルティヌス司教!」

 アポスが口角から泡を飛ばしながら怒鳴る。

「教皇聖下を差し置いて、己が救世主だなどと、それこそまさに神をも恐れぬ行為である!」

 耳がキンキンするくらいの声量と迫力だ。真正面にいれば気弱な者なら気絶するかもしれない。だが、画面の向こうにいるマルティヌスにはそよ風にすら及ばない。

【わかってもらえるとは、思ってはおらんよ】

「何?」

【ウィタの崇高な理念、人を救いたいという信念も、当時は誰にも受け入れられなかった。それほどまでに世の中が荒んでいたからだ。信じるものは馬鹿を見て、優しき者は全てを奪われる、そんな時代だった】

 現代も同じだ、と大げさにマルティヌスは嘆いた。

【不憫だ。不憫でならない。同じくウィタの教えを受けたであろう将軍の頑迷さが。自分より優れたものを認められない、受け入れられない矮小さがね。コンヒュム軍の規範になるべき者が、落ちぶれたものだ。老害は見るに堪えぬ】

「私が、老害だと」

 アポスは怒りに顔を赤く染め、握った拳はわなわなと震えている。

【もはや、貴殿と語る言葉は持たない。我こそは過ちを正す者。間違いは正さねばならない。ここで消えよ。これよりは、私についてくる者だけが救われるのだ】

 ピ、と甲高い電子音が響いた。マルティヌスの映る画面に、アラビア数字が並ぶ。わかりやすくて助かるが、それゆえに数字が減っていく意味を理解できてしまった。

「何の、カウントダウン、だ?」

 怪しげな施設のカウントダウンなど、容易に想像がつく。それでも現実逃避した口が勝手に滑る。

【遺跡の内部にある炉に火を入れた。まもなく、その塔は爆発する】

「馬鹿な、ここが爆発すれば、貴様も巻き添えに」

【馬鹿は貴様だアポス。私がそんなことも考えずに行動すると思うのか】

 途端、塔が揺れる。

「・・・いけない」

 か細い声が全員の注意を引いた。

「すぐに、そこのデカいのを止めないと」

 ティゲルとファナティの手を振り切り、プラエがよたよたとコンソールに近づく。

「プラエさん、無茶したら駄目です」

「怒りの門が開いてしまう」

 支えようと伸ばした私の手をやんわりと押さえて、プラエは言った。

「怒りの門?」

 それは、この施設内に入る時に潜った門のことではないのか。違う、とプラエは首を振った。

「怒りの門は、あのでかい鳥もどきが出ていくときに開く門のことよ」

 彼女の言葉を証明するように、アドナの正面にある壁がゆっくりと上方向へと動いている。目を凝らすと、水中に巨大な口が開いていた。海と隔てていた壁が開いたから浸水するかと思いきや、多少の海面上昇は見られたものの海水が迫ってくるということはなかった。施設内に空気が満ちているせいだろうか。

【光栄に思うがいい。私の偉業の礎となれることを】

 アドナのプロペラがゆっくりと回転し始める。

『待ってくれ、マルティヌス司教!』

 アドナの甲板の上にラケルナの巨体が飛び乗った。

『どこに行こうが何をしようが構わないが、俺との約束は守ってもらうぞ!』

【約束ゥ?】

 面倒そうに画面のマルティヌスは顔をしかめた。

【ああ、そうだったな。貴様の妻を救うには、コンヒュムにある秘薬が必要なのだったか】

 醜悪な笑みを浮かべてマルティヌスは言った。

【残念だが、手遅れだ】

『・・・え』

【病があれほど進行してしまえば、もう手の施しようがない。秘薬を使っても、貴様の妻は助からん。使うだけ無駄だ。まあ、そもそもの話だが、貴重な秘薬をどうしてくれてやらねばならんのだ?】

『約束を違える気か!』

【違えるも何も、神の御使いとして、味方を簡単に裏切るような悪魔と取引するわけがないだろう。いつ裏切られるかもわからんからな】

 ただ、と奴は続けた。

【貴様の妻、息子、祖国とそこに生きる者全てを、まとめて神の国へと送ってやる。確かに、衆生の苦しみから救ってやるとも】

『マルティヌス、お前ぇえええええ!』

 ラケルナが拳を振り上げる。しかし、それが振り下ろされる前に新たなマキーナ改、マルティヌス曰く正式名称レギオーカ三体が水中から飛び掛かった。流石のラケルナも三体のレギオーカの不意打ちに対処しきれない。一匹目の斬撃をかろうじて躱すものの、二匹目の盾による打撃で体勢を崩され、三匹目の真横に振りぬいた一太刀がラケルナの胴体を砕く。千切れはしなかったものの、ラケルナのコックピット部分がへしゃげる。少し開いた搭乗口から、血濡れの手がのぞいた。火花を散らしながら海面へと落下する。

【哀れな男の魂に、安らぎがあらんことを】

 その間にもアドナのプロペラは回転数を上げていき、ついに動き始めた。怒りの門を潜り、アドナが海中へと解き放たれる。今の私たちには、もはやアドナを止める術はない。

「脱出しましょう」

 とんとんと、規則的に音を出す通信機を指で小突きながら、全員に向けて言った。

「このままだと爆発に巻き込まれる。まずはここから逃げるべきです。あのデカブツをどうにかするのは後で考えましょう」

【残念だが、それは難しいな】

 聞き耳を立てていたマルティヌスが嗤う。

【ラケルナを屠ったレギオーカ三体は、塔から出てくる貴様らを見逃さない。ついでに、四体目、五体目と順にレギオーカの起動準備中だ。奴らの猛攻を掻い潜って脱出できるものならしてみるといい】

 健闘を祈る。言葉を置き土産にマルティヌスの姿は消えた。残ったのは無慈悲なカウントダウン表示だけだ。塔の窓から見下ろせば、言っていた通りレギオーカが三体徘徊している。倒せないことはない。それは先ほど証明できた。

「ムト君。今の手持ちは?」

「空気を出す魔道具ボンベが数個です」

 ムトがコンソールの上に広げる。そうか、爆弾や閃光手榴弾は使い切ってしまったのだ。爆発などで相手の気を逸らし、背後を取るのは難しいということか。となると、爆発の代わりになるようなことを誰かが担わなければならない、ということになる。

「アカリ」

 プラエが私を呼んだ。振り返ると、彼女はコンソールを凝視していた。

「脱出の準備をして、塔の出入り口付近で待機していて」

「プラエさん、何か策が?」

「ええ。マルティヌスの連中に感謝しないとね。私たちにはわからないと思ってこの壁の絵を残していったみたいだけど、残念ながら、ここには私がいる」

 ディスプレイを指で触れ、なぞりながらプラエは言った。

「コンヒュムの将軍。事ここに至って、私たちと敵対する理由はないわよね」

 今度はアポスへと声をかける。

「まあ、そうだな。マルティヌスは我々を裏切り、そして教皇聖下を侮辱した。奴に従う理由はもはやなく、そちらと敵対する理由はない」

「協力してくれる、と受け取って相違ないわね?」

「ちょっと待てよ! さっきまで殺し合いしてた相手だぞ?!」

 ロガンが泡を食って怒鳴る。

「傭兵は雇い主と金次第で敵味方がコロコロ入れ替わるものよ」

「そいつら傭兵じゃねえし、そもそも俺だって傭兵じゃねえし!」

「生き残る為なら敵だった相手と手を組むくらいどうってことないでしょう。多少の遺恨は飲み込んで」

 ロガンを黙らせて、プラエが策を披露する。

「この塔はアドナやレギオーカの生産、修理を行うための施設よ。だから稼働試験もここで操作することができるみたい。なので、こういうことが・・・」

 プラエは画面とキーボードを見比べながら、人差し指でゆっくりと操作する。どうやら、画面に操作のマニュアルが表示されたままのようだ。それでも、初見で操作できるのは流石と言うほかない。

 あった、とつぶやき、力強くキーボードをターンと押して鳴らす。画面に三体のレギオーカが映った。

「あいつらが動かそうとしていたレギオーカの内、起動が早い順に三体、こっちで操作できるようにした。動き出したら、今表にいるレギオーカたちに襲い掛かるように設定、した。多分、これで、大丈夫、のはず」

 ところどころ不安がよぎるが、今は彼女を信じるしかない。

「後は起動のスイッチを押したら、こいつらが目覚める。でも、それ以降起動するレギオーカは操ることができない。結局のところ、ここは実験施設だから制御能力に関してはアドナには及ばない。だから、三体が抑え込んでいる間に脱出する必要があるの」

「だから、入り口付近で待機、なんですね」

 私の言葉にプラエが頷く。方針が決まれば後は行動あるのみだ。ムトを先頭にして足の遅いティゲルを連れて行ってもらう。けが人のプラエはロガンに背負ってもらうか。その後をアポス達に追わせて、私がスイッチを押してしんがりを務める。向こうの門を潜り封鎖すれば追ってくることもない。

「いや、スイッチは私が押すわ」

 私の方針にプラエから待ったがかかった。

「万が一にも押し間違えは許されないし、マルティヌスたちの方でもこっちの操作は見えている。偽装をぎりぎりまで施したい」

 そう言う事なら仕方ない。

「それなら、私も一緒に残ります。スイッチを押したら私が運ぶので」

「・・・ありがとう。ただ悪いけど、ちょっと集中したいから階段で準備して待っててもらっていい?」

「わかりました」

「頼むわ。通信機を貸してもらえる? 終わったら連絡するから。あなたは将軍が持っている方を返してもらって」

 言われるがまま、彼女に通信機を渡した。階下で待機している将軍を追い、最上階から階段に出たところで。


 突然、ドアが閉じた。

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