第352話 裏切る者は、裏切られる覚悟を持たず
無知の門を潜ると、遺跡の印象が一変した。石造りのこれぞ遺跡、という気配は微塵もなくなり、代わりに、このリムスには似つかわしくない景色となった。どちらかと言えば、私の元居た世界にあった景色だ。
まず、左右の壁と床はコンクリートのような硬質な素材で出来ていた。それ以上に驚くべきは、天井から、海中を通った柔らかな光が通路に降り注いでいたことだ。
もちろん、現状のリムスの技術でも、水中に人が居住できるような区画を作ることは可能だろう。カリュプスにあった城には水中から城内に通じる隠し通路があった。そういう一区画ぐらいならわけないだろう。
だが、目の前の通路は天井までの高さは三メートルから四メートル、道幅は大体十メートル、二車線ほどの広さのトンネルが遠くまで伸びている。天井を強化ガラスで覆った百メートル以上の海底トンネルを、今の技術で作れるとは思えない。海底トンネルを築造する工法はいくつかあるが、おそらくこれは陸地で作った沈埋函と呼ばれるブロックをいくつも沈めて、水中でつなげることでトンネルを作る沈埋工法だ。こんな巨大で重たいブロックを運ぶ船がそもそもリムスに存在しない。
完全なるオーパーツだ。
足音を響かせながらトンネルを進む。頭上の海面がかなり高く、入ってくる陽の光も明るさが落ちてきた。しかし、トンネル内は一定以上の明るさを保っている。床が飛行機の滑走路灯のように一定間隔で光っているためだ。
「見えて来たぞ。あれが最後の門。怒りの門とやらだ」
マルティヌスが指さした方向に、行く手を塞ぐ門があった。先ほどの無知の門と同じ、合金製のようだ。
「今度は、周りには何も書かれていませんね~」
ティゲルが門の周辺に視線を巡らせる。無知の門のように柱に古代文字が書かれていなかった。代わりに、右側の柱に緑と赤のスイッチがある。
「さあ、開けてもらおうか」
当然のように、マルティヌスたちは私たちを先に行かせた。安全なところでふんぞり返っている奴の様子から、なるほど、ファナティの言っていた通りのクソ上司だと納得する。
「ティゲル、怒りの門についての情報は何かある?」
「いえ~、三つの門自体、存在するとしか~」
「今度はヒントは無しってことですね」
ワスティがお手上げとばかりに肩をすくめた。
「二人とも、離れてて」
彼女たちを下がらせて、スイッチのある柱に近づく。スイッチは二つ。緑と赤があった。
「だ、団長、むやみに触ったら危ないですって」
先ほど犠牲になった僧兵のことを思い出したか、ティゲルが怯えた声で制止した。
「多分、大丈夫。こういうのはね。古今東西緑が開く、赤が閉まると決まっているものだから」
指が緑のスイッチに伸びる。指先が表面に触れた。押し込もうにも、そこから先が動かない。
汗が流れ落ちる。
呼吸が徐々に荒くなる。
心臓が早鐘を打つ。
失敗したら、私も真っ二つにされてしまうのか。その恐怖が先へ進ませない。
情けない。ティゲルは成功させたのに。恐怖に打ち勝ち、門の謎を解いたというのに、自分はこの体たらく。恥ずかしくないのか。自分を叱咤するも、たった数センチ指を動かすだけのことができないとは。
「急いでくれーっ!」
やまびこのように反響しながら、ファナティの声が届いた。何を急ぐのかは、馬鹿でもわかる。固く目を閉じる。プラエがいた。腹から血を流し、倒れる彼女の姿があった。
もう二度と、死なせない。死なせるわけにはいかない。
意を決して緑のスイッチを押し込む。プシュッと空気の抜けるような音がして、意外なほどあっさりと門は開いた。
「団長~」
はあ、と息を吐いた私の胴体にティゲルが抱きついた。彼女の頭を撫でる。
「よくやったぞ」
拍手をしながら、マルティヌスが近寄ってきた。
「約束通り、門は全て開いたぞ。そちらにも約束を守ってもらう」
「ああ、もちろん。私は義理堅い男だからな」
マルティヌスが軟膏を取り出し、それを指で弄ぶ。言葉とは裏腹に、マルティヌスからは約束を守ろうという意思が見られない。軟膏を右手に掴み、これ見よがしにこちらに掲げながら、反対の手で指を鳴らすと、僧兵たちが抜刀した。
「門は全て開いた。貴様らはもう、用済みだ」
「義理堅いが、聞いて呆れる」
「魔女との取引など、そもそも聖職者として断固許されるものではない。いつ裏切るかわかったものではないからな」
「その意見には賛成だ。マルティヌス司教」
第三者の声が聞こえた。マルティヌスにとっても想定外だったらしく、自分たちが歩いてきた方向を見る。
そこには何もない、ように見えた。その何もない空間から突然屈強な海賊たちが沸いて出た。
「おそらく、目に錯覚を起こさせるタイプの魔道具かと」
ワスティが小声で耳打ちした。鏡やガラス、水などを操って屈折を利用するタイプの魔道具と仮定する。なるほどそれなら、周囲がほぼ同じ色合いの壁で覆われたこの場所なら身を隠しやすいだろう。彼らはそれを用いて島に潜み、今度は私たちの後をつけていたわけか。
「どういうつもりだねパッシオ船長。君たちは島の警護をしてもらっていたのでは?」
余裕のある態度は崩さず、マルティヌスが尋ねた。だが、こめかみに流れる汗が、彼の内心を物語っている。
「悪いな司教様。こいつら、つまらねえ仕事はすぐに飽きちまうんだよ。モチベーションってのが下がっちまう。それは、仕事の妨げになる。だろ? だからよ。ちょっと見に来たんだ。俺たちのモチベーションを上げてくれる遺産ってやつをよ」
「待ってくれ。ピラタにはコンヒュムから多額の報酬をすでに支払っているはずだ」
「そいつは国に対してだろう。俺たちじゃねえ。そりゃ、国に支払われりゃ、巡り巡って俺たちに還元されるんだろうが、俺は待つのは嫌いなんだ。目の前に遺産があるなら、そいつを給料代わりに貰おうか。なんたって俺たち、国に認められた私掠船の乗組員なもんで」
「ふざけるな。貴様たちにこの遺産の価値などわからんだろう! 価値がわからなければ、宝の持ち腐れだ!」
「わからないなら、わかる奴に売ればいい。高値でな」
彼らの言い合いが続く。好都合だ。彼らの参戦はこちらとしても想定外だが、場が混乱すればするほど、私たちの勝率が上がる。
門の向こうを確認する。円形のホールだった。かなり広く、野球場のグラウンドくらいある。俗にいう東京ドーム一個分だ。
ホール中央に三階建てくらいの建物に相当する高さの塔が見えた。最上階だけが階下よりも大きく、T字に似ている。その塔に向かって通路が伸びていた。通路の左右には柵が設置されていて、その先に床が確認できないことからホールは海溝でもあるのか巨大な穴が空いていて、通路はその上に作られた橋みたいだ。
「ほら、さっさと進めよ。俺たちを宝の前に連れていけ」
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