第351話 信仰篤き者

「プラエさん!?」

 目の前で起こったことが理解できなかった。いや、理解はしていた。だから理解したくなかった。崩れ落ちる彼女に駆け寄り、体を支える。

「プラエさん、しっかり!」

「あ、あ? え? 痛、何で?」

「喋らないで!」

「プラエさぁん!」

 ティゲルがプラエの体に抱き着く。泣きながら彼女は傷口を強く押さえて止血を試みていた。

「ティゲルさん、こちらの布で傷口を」

 ワスティが自分のエプロンドレスの裾を破り、包帯のようにした。それを受け取り、ティゲルはプラエの体に強く巻き付けていく。巻き付けた後に、再び傷口を押さえる。

「お前っ!」

 マルティヌスを殺そうと立ち上がった私の前に、槍衾が立ちふさがった。

「立場をわかっていないようなので、わからせたまでだ」

「彼女は私たちの頭脳だ。死なせたらここの謎は解けない」

 怒りを隠すことなく、隙を窺う。もし彼女が死んだら、槍衾など関係なくなる。

「おお、それは大変だ。ではこうしよう」

 全く焦った様子のないマルティヌスが懐から瓶を取り出した。

「傷を塞ぐ軟膏だ。欲しければ私を遺産の元まで導け」

「だったら! まずはプラエさんを助けろ! 彼女がいなければ解けないんだ!」

「まだわかっていないのか。主導権はこちらだ。それとも、もう一人犠牲者を作ってほしいのか? おすすめできないな。軟膏はこれだけしかない」

 見たところ、とマルティヌスは眉根を寄せながらプラエの傷口を覗き込んで、顔を歪めて嗤った。

「一人分しか、なさそうだ」

 槍衾に突っ込む寸前で、腕が掴まれた。ワスティだった。いつも浮かべていた微笑みを消し、真剣な表情で首を横に振った。

「謎を解いた方が、私たち全員が助かる可能性が高いです。たとえここで全員殺して軟膏を奪っても、あなたが無傷ではいられないでしょう。そうなれば後続に全員が殺されます。プラエさんを助けても無駄になってしまいます。冷静に、お願いします」

 ガリ、と耳に音が響く。噛みしめた奥歯が鳴ったのだ。ゆっくりと下がる。

「聞き分けがよくてなによりだ。さっさと門を開け。仲間のために」

 聞こえるだけで殺意と怒りと不快指数を爆上がりさせる奴の声は意識的にシャットアウトする。

「信仰篤き者にのみ門は開く・・・」

 どういう意味だ。信仰心は間違いなく彼らの方が高い。なのに間違いだというなら、言葉通りの信仰心を量っているわけではないはずだ。何を見ている?

 石像の目、あれは門を開こうとする僧兵の方を向いていた。つまり、つまりだ。見ていたのだ。僧兵の姿を。そして、僧兵は信仰篤き者ではない、と石像は判断した。

「見た目が、ダメだった?」

 では、見た目を信仰篤く見せればいい、ということか? しかし信仰篤い者の姿とはどういうものだ。

「う、ぐぅ」

 プラエの苦悶の声が部屋に反響した。マルティヌスはわざと急所を外していた。止血により出血は収まったが、緩やかに死に向かっているのは変わらない。

 わからなくても、やるしかない。踏み出そうとした私の腕を、再び誰かが掴んだ。

「団長、プラエさんを頼みます~」

「ティゲル?」

「司祭さん、傷口を押さえててください~」

「お、おお、わかった。任せろ」

 ファナティにプラエを託し、ティゲルが立ち上がった。

「任せてください」

 私と入れ替わるようにしてティゲルが進み出た。

「信仰篤き者、信仰篤き者・・・」

 ぶつぶつと独り言を言いながら柱の手形に近づく。

「信仰篤き者とは誰か、つまり、つまり、神に全てを委ねた者、不安無き者。手形はどうしてこんな下の方にある? 謎かけの文字で詰まっていたから? そんなわけない。理由があるはず。子どもでもなければ、皆しゃがまなければ触れない。しゃがむ、つまり、頭が高いと駄目、何故なら、神を前にした者は」

 ティゲルが柱の前に立った。

「つまり、信仰篤き者とは」

 ティゲルはおもむろに靴を脱いだ。バックパックを下ろし、身に着けている眼鏡や時計などの貴金属類を外して、止める間もなく服、下着まで脱ぎだした。彼女の白く細い裸の背中を松明の炎が照らす。

「おい、娼婦を呼んだ覚えはないぞ」

 マルティヌスが囃し立て、部下どもが野卑な笑いを上げる。安心してティゲル。あなたの命がけの努力を笑ったやつは、後で全員葬ってやる。

 彼らの声など聞こえない、一種のゾーンに入った彼女は両膝を地面につけ、両手を組んで胸に当てた状態で頭を垂れた。

「え?」

 誰もが疑問の声を上げた。彼女は額をパネルの手の部分に当てたのだ。道具を手で使うから、魔力は手から流れると思われがちだが、全身どこからでも流れるとプラエは言っていた。とはいえ、手の部分に頭を当てるとは。

 魔力が流れ、柱の光が上に登っていく。光の到達した石像が彼女を見下ろす。手に汗がにじむ。一秒、二秒。何秒立っただろうか。

 石像の目が、青く光った。

 地響きを立てながら、門が開いていく。黴臭い風が奥から流れ込んできた。その風で体を圧されたのか、ふらりとティゲルの体がぐらついた。

「ティゲル!」

 走って駆け寄る。床に衝突する前に抱え上げる。仰向けにすると、ティゲルの鼻から血が流れていた。

「だ、団長~、やりました~」

「ええ、ええ! よくやった! 頑張ったわね!」

 ようやく、問題の答えがわかった。

「信仰篤き者とは~、神に祈りを捧げる者で~、祈りを捧げる者は、神の前に頭を垂れます~。垂れた頭に、神は手を添えるものですから~。神を前にした者は~、当然何も身に着けていません~。神に疑心を抱いていないと証明するためです~。おそらくは~、あの石像は門を開こうとする者の姿や持ち物を検査していたのではないかと~」

 手形に手を当てるのは、フェイクだった。神の手に手を触れるなど不敬でしかない。

「わかったから、服を着よう。着れる? 手伝おうか?」

「だ、大丈夫です~」

 衣服をかき寄せ、慌てて身に着けていく。

「さあ、門は開かれた。先に進むぞ」

 私たちの横を通り過ぎようとしたマルティヌスの前に立つ。

「軟膏を渡して」

「ん? 貴様は何を言っている」

「門は開けたでしょう。約束は守ったわ」

「いいや、まだだ。私は遺産の前まで導けたら、と言ったのだ」

「マルティヌスっ」

 胸倉を掴みあげた。このまま絞め殺してやる。

「団長! ストップ、ストップだ! 頼む!」

 ファナティの声に、彼らの方を見れば、二人の僧兵がファナティとプラエに剣を突き付けていた。

「無駄なことをしないで、急いだほうが良いのではないか?」

 私の手を払いのけ、マルティヌスは私の横を通り過ぎていった。宙ぶらりんのままの手を下げる。

「ティゲル、残りの門はどういうもの?」

「え、あ、はい。怒りの門です~。これが神の怒りを表すのか、人の怒りを表すのか、行ってみないとちょっとわかりませんが~。怒りは力の側面として表現されることもありますから~、力を示すような試練かもしれません~」

 私は彼女の服を着るのを手伝うふりをして、前から彼女にかぶさり、背中に手を回した。ワスティに一瞬目配せすると、察した彼女はティゲルの後ろに回り、マルティヌスたちの視線を遮った。ティゲルを包むポンチョのような形だ。

「この調子では、軟膏を渡してもらうのは難航しそうですね」

「次の門の謎かけが何であれ、隙を見て奪うことにするわ。向こうもそれがわかっているとは思うけど」

 視線をプラエに向ける。浅い呼吸を繰り返している。可能な限り急ぐべきだ。

「無茶は~、しないでください~」

「あなたがこれだけ体を張ったのに、団長の私が張らないわけにはいかないでしょうよ」

 それに、まだ希望はある。船に乗った団員達だ。テオロクルム軍とは万が一の時のために敵に気づかれないようにいくつかの合図を決めておいた。それがうまく伝われば逆転のチャンスはある。

 服を着終えたティゲルから離れ、プラエの元へ向かう。彼女の手を握る。

「軟膏をすぐ持ってきます。それまで待っていてください」

 意識が朦朧としているのか、返事はなかった。ただ、微かに手が握り返してきた。

「司祭、プラエさんをお願いします」

 ファナティは一瞬不安げな顔をしたが「わかった」と頷いた。

「頼むぞ。私は、ここでこいつの看病をしてやる。だから、絶対戻って来い」

「ええ、もちろん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る