第349話 負けたまんまじゃ終われない

「ふはっ」

 ロガンが目を開けると、木目の天井が目に入った。自分がどこにいるのか過去と現在の記憶の整合性がつかず、混乱して思わず体を動かすと、鈍い痛みをわき腹が訴える。手で押さえると、そこに鎧の硬質な感触はなく、代わりに包帯のざらざらした感触が返ってきた。鎧は脱がされ、自分の隣に何故か組み合わせられた状態でおかれている。鎧の近くに荷袋が置かれていて、遠くから見たら鎧を着た人間が寝そべっているように見えるだろう。

「気が付いた?」

 痛みで歪む顔を上げると、ゲオーロがこちらを見ていた。

「ここは、一体」

「船の中だよ。君は気を失ってたんだ」

「俺が?」

「そう。海岸で起こったこと、どこまで覚えてる?」

 問われて記憶を手繰る。確か、襲撃を受けて、それで・・・。

「そうだ、あのクソジジイに、俺は」

 絶対の自信を持って放たれた必殺の槍は奴の持つ盾に防がれた。軽くいなされ、がら空きのロガンに迫ったのは相手の一撃。

 あの時、あの瞬間。奴の持つ槍が巨木に見えた。迫る圧力、そして命中した時の衝撃は体と頭に刻み込まれていて、思い出しただけで体が震えた。

「大丈夫かい」

「あ、ああ。問題ねえ」

 震えているのを知られたくなくて、手を咄嗟に握り込んで振る。弱みを見せたくない、ただその一心の見栄を、ゲオーロは理解し、見て見ぬふりをして説明を始める。

「君が気を失った後、僕たちは全員捕らえられたんだ。団長が相手の指揮官と交渉して、協力する代わりに僕たちを解放させた」

「協力って、あいつら一体何だったんだ。ただの海賊どもじゃねえのか」

「彼らはピラタ軍と、コンヒュム軍だ。彼らの目的は、遺跡に眠る古代の魔道具だよ。古代の魔道具には強力な力が眠っている。彼らはそれを狙ってきたんだ」

「そもそも、何で襲撃なんて許したんだよ。俺らの後ろにはラケルナとかいう化け物魔道具がいたはずだろ。睨みを利かせてるから襲われないって話じゃなかったのか」

「それが、そのラケルナの操縦士オルディ少佐が裏切ってたんだ」

「はぁ?!」

 ラケルナの威容はロガンも覚えている。あの巨体と正面切って戦おうという気は、流石のロガンでも起こらない。

「そういうわけで、島は敵の手に落ちた。僕らは船に乗せられ、テオロクルムに戻されている所さ」

「どういうわけがあって何で大人しく船に乗せられてるんだよ」

 殺されていてもおかしくない状況だった。そうでなくても、自分たちは拘束され、相手の監視下に置かれているのが自然だ。

「馬鹿に難しい事を説明するのは、時間の無駄だぞゲオーロ」

 ロガンたちの会話に割って入ったのはムトだった。ロガンが睨むと、彼は素知らぬ顔でごそごそと何か準備をしていた。

「今わかっていることは、僕たちは団長たちが協力的に動くための人質であり、団長たちは僕たちが大人しくしているための人質になっている」

 見ろ、とムトが顎を向けると、船倉出口の階段に、一人の船員が座り込んでいる。

「もしかして、あいつが敵の見張りか?」

「そうだ。僕たちが妙な動きをすると、奴が島に連絡をする手はずになっている、もちろん他にも潜り込んでいるし、奴に何かあっても知らせを送る仕掛けがあるかもしれないから下手に手も出せない」

「打つ手なしってことかよ」

「そうでもない」

 ゲオーロ、とムトが声をかける。ゲオーロが頷き、左右を確認しながらムトに何かを手渡した。手のひらサイズの空気を出す魔道具だ。団長がボンベと呼んでいたので、仮称でボンベと呼び、そのまま定着した。

「空気が持つのは通常時で一時間ほど。運動して呼吸回数が増えればその分減るから注意して」

「わかった」

「あと、必要になるかもしれない道具類はここにまとめておいた。投擲用のナイフ、小型の爆弾、閃光手榴弾、追跡用の発信機、予備のボンベ、そして、君の相棒だ」

 麻袋と一緒に手渡されたのは二振りの小太刀。柄が手のひらに吸い付く。

「助かる」

「こんな時だからこそ通信機があれば良いのにね」

 全部奪われちゃったからなぁと嘆く。

「仕方ない。あちらはオルディ少佐を通してこちらの手の内を読んでいた。だが、ここからは敵の想定外の手を打っていく。想定外に想定外を重ねて、向こうの計画を少しずつ歪めていけば、こちらにも勝機が生まれる」

「おい、まさか」

 その先を言おうとしたロガンの口を二人が手で塞ぐ。同時にアスカロン団員が、見張りの視線から体で彼らを巧妙に隠す。

「そのために、お前の鎧を借りるぞ」

「そういう事かよ」

 人型に鎧を置いたのは、もう一人いるように人数を誤魔化すためだったのか。

「確認したところ、この船にあるトイレは、直接海に排泄するタイプだ。人が通れるほど隙間が大きい。そこから脱出する」

 後は見張りの目を逸らすだけだ。ムトがすすっと団員の一人の背中に近づいた。

「テーバさん、こちらの指揮はお願いします」

「了解だ。こちらも指示通り動いていると伝えてくれ。お前もうまい具合に団長たちを助け出せ。合流してからが本番、反撃だ」

「ええ、やられっぱなしではいられませんから」

「そんじゃあ、ちょいと騒ぎを起こすかね」

「お願いします」

「ちょっと待て」

 ロガンが彼らにこそこそと近づいた。

「俺も行く。行かせてくれ」

「何故だ」

「借りのある奴がいる。あのクソジジイをぶちのめす」

「辞めておけ。たった一合でのされたのを忘れたのか」

「あれは、たまたまだ」

「そうか? その割には、お前の体は無理だと震えていたが」

 舌打ちをして、ロガンは握り込んだ拳を隠した。

「強がらなくていい。コンヒュム軍のアポス将軍は、僕らが出会ってきた中でもトップクラスの武人だ」

 ムトが思い出すのは、プルウィクス将軍ファルサだ。彼のあまりに速く鋭い太刀筋は、相手に斬られたことすら気づかせないほどだった。その将軍に似たものを、あの槍捌きから感じた。

「あんな相手と対峙して、恐怖するなという方が無理だ。僕だって正直、奴とまた戦うことになるかと思うと怖くて仕方ない。出来れば遠慮したい」

「でも、お前は行くんだろ?」

「ああ」

 ムトに迷いはなかった。ロガンにはそれが羨ましかった。

「・・・何でだよ。何で、お前は怖くても戦えるんだよ」

 ロガンの問いに、ムトは少し考えてから答えた。

「戦わなければ、大切なものが失われてしまうかもしれない。後悔するかもしれない。だから戦うしかない。僕はもう、後悔したくないんだ」

 戦う理由はそれで充分だろうと話を切り上げ、ムトは人影に隠れながらトイレに近づく。その背を見て、追おうとして、しかし前に進めないことにロガンは驚く。足がすくんでいるのだ。頭に過ぎる恐怖が、自分の影を縫い付ける。

 自分と、ムトとの差を、ロガンは見せつけられた気がした。

 もう良いじゃないか、という声が聞こえた。よく知った声だった。

 ここ最近で、ロガンの自信はボロボロになっていた。一対一なら誰にも負けないと思っていた。だが、ムトに敗れた。

 いいや、あれは、俺は本気じゃなかったと必死で言い聞かせた。槍を使った真剣勝負なら負けなかったはずだ。そうやってプライドを守った。だが、今度は槍でアポスに敗れた。自分の渾身の一撃が、いともたやすく防がれた。力比べでも敵わなかった。

 負け知らずで身の程知らずだった自分がいとも容易く負けた。自分が生きていられるのは、敵のお情けだ。その事実はロガンを打ち据えた。思い込みの包帯で塞いでいたプライドの傷が開き、屈辱がドバドバと流れ出る。後に残るは諦念と広い世界を知った、妙に物分かりの良い自分だった。そいつがもう良いじゃないかと囁いた。自分はこんなものだ。世の中には、化け物が大勢いる。奴らは別格だ。物語に出てくるような主人公で、神様からひいきにされているのだ。自分にそんなも加護も才能もないのは、自分がよくわかっているだろう。なら、諦めても、逃げても誰も責めはしない。

 もう良いじゃないか。

「・・・いいわけ、ねえよっ」

 声にならない声を、食いしばった口から漏らし、ロガンは太ももを殴った。動かないなら、無理やり動けともう一度殴った。

 これで諦めたら、それこそ自分が大事にしてきたものを失ってしまう気がした。

 動けと足に力を籠める。それでも動かない足を、もう一発、と振り上げた腕が横から掴まれる。

「落ち着け」

 ゲオーロだった。

「挑むのかい? それほど怖いのに?」

 頷きで応える。声だと滲みそうだったからだ。

「なら、策を持って、武器を持って、自分が持てる限りの、ありとあらゆる力と知識と勇気を持って行くんだ。力任せで敵わないのはわかっただろう。でも、君には二度目のチャンスが与えられた。これはすごいことだ。普通は一度目で死ぬんだから。普通は死んでもおかしくない状況を、君は潜り抜けた。ならば君は、まだ強くなれる。生きていれば何度でも戦える。君はまだ負けてない」

 言葉が、ロガンの肚に落ちて火を灯す。燃えるのは砕け散ったプライドと無知の自分だ。

 ゲオーロがロガンに槍と、宝石のはめ込まれた篭手を差し出す。受け取ると、少し震えが収まった。

「君の槍に、魔道具を仕込んでおいた」

 かつて皆が頼りにし、ムトやゲオーロが兄貴分と慕った男、モンドが振るった斧と同じ物。魔力を流すことで篭手と槍が互いに引き合い、刃がぶつかった物に引っ付く魔道具『マグルーン』。

「ヒントになるかわからないけど、敵は君を確実に葬るために動いている。つまり、急所を確実に狙ってくるという事だ。相手の動きがある程度わかれば、経験と力で劣るこちらにも打てる手がある」

 傾向と対策だ、そう言ってゲオーロは彼の背を叩いた。

「ただし、戦う時に君を守る鎧はない。それをわかっているかい?」

「ああ」

「今度こそ、死ぬかもしれないよ」

「望むと・・・」

 言いかけて、ロガンは言葉を切り、言い直した。

「死ぬつもりはねえ。今度こそ、俺が勝つ」

 ゲオーロが微笑み、ロガンの胸を拳でポンと叩く。

「じゃあ、俺たちの命運をムトと、君に託すよ」

 一歩、足が進む。小さくとも、少しずつ、前に進む。恐怖は消えたわけではない。進むたびに大きくなる。

 けれど。足は止まらない。

「ああ?! てめえなんつったこの野郎馬鹿野郎!」

 突然立ち上がったテーバがジュールに向かって怒鳴った。

「ンだくのクソハゲが! 俺の何が気に入らねえってんだおらァ!」

 ジュールも立ち上がり、テーバの胸倉をつかむ。

「誰の許可得て俺のお気に入りのマーレちゃんに手ぇ出してんだ!」

 テーバがジュールを殴った。暴れるフリのはずだが、良いのが入ったのかジュールが吹っ飛んだ。後ろにいたゲオーロがジュールを支えた。

「こんの色ボケいい年して何がマーレちゃんだ財布はタマ無しのくせに絶倫かよ笑わせやがる! そもそも俺はプラエ一筋だコラァ!」

 ジュールが殴り返した。今度はテーバが吹き飛ぶ。

「止めて二人とも! 皆、止めるの手伝って!」

 ゲオーロの声に、周りにいた全員が立ち上がり、人の壁を作った。その隙にロガンはトイレに入る。トイレではムトがまさに飛び込もうとしていた。入ってきたロガンを一瞥して。

「震えていたのに、無理しなくていいんだぞ」

「悪いが、こいつは武者震いだぜ」

「そうか。・・・お前の戦う理由は何だ、ロガン」

「負けっぱなしじゃ、終われねえからだよ」

 それで充分だろ、とロガンは言った。ムトは少し笑い、予備のボンベをロガンに手渡した。

「行くぞ」

「おう」

 二つの影が青い世界に落ちる。

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