第347話 一方そのころ何があったか

「みんな、体調は」

 船酔いから立ち直ったムトが、ぐったりとした団員たちに声をかける。おう、とも、おふ、とも、おえ、とも聞こえるなんとも情けない返事がバラバラに届き、力のこもらない腕がにょっきりと天に向かって上がる。白い砂浜に生えたススキみたいに見えた。聞くまでもなくダメなようだ。屈強な傭兵たちが青い顔で並んで寝転ぶ野戦病院さながらの光景は、いっそ滑稽でもあった。かく言うムトも本調子とは程遠い。頭はまだくらくらして視界は揺れている気がするし、油断すれば腹から胃液がせりあがってくる。以前船にはカリュプス脱出時にも乗ったはずだが、川と海でこんなに揺れが違うものなのか。

 あんな揺れの中、平然としていた我らが団長アカリは改めて凄い人だと尊敬する。少しは追いつけたかと思ったが、まだまだ彼女の背中は遠い。

 そのアカリから、陣地を築けとの指示が出ている。カステルム軍の秘密兵器、ラケルナが目を光らせているとはいえ、いつ敵が上陸してくるとも限らない。暗号の解読などでは力になれないが、敵の目を引き付け、時間を稼ぐことは自分たちにもできる。ムトは込み上げる吐き気を飲み込み、罠を仕掛けるために立ち上がった。ムトが立ち上がるのを見て、団員たちも仕方ないとばかりに道具を担ぐ。

「ロガン、動けるか?」

 大の字になっている白い鎧をつま先で小突く。

「あ、たりまえ、だろうが」

 ヘロヘロだが、強がりを言える程度には回復しているようだ。

「なら、お前も起きて手伝え。島の反対側へ行くぞ」

「くそが、人使いの、荒い」

「文句も良いが、何故荒いのかもついでに考えろ」

「どういうこったよ」

「何事にも意味があるってことだよ。なぜ必要なのかを考えれば、見え方も変わる。受け売りで悪いが、世の中には流れがある。その場、その場の点は、全てつながっている。例えば今回の依頼。なぜ僕たちだけで今回の依頼をこなすのか、それはカステルムやテオロクルムがピラタと事を構えたくないからだ。なぜ構えたくないのか、それは十三国同盟を維持したいからだ。なぜ維持したいのか、同盟が崩れればまた残った四つの大国に飲み込まれるからだ」

「じゃあ、俺がこき使われるのはどんな理由だよ」

「ヒントはやった。後は自分で考えろ」

 さっさと行くぞ、ムトはそう言って草木生い茂る森の中へ分け入っていく。

「クソが」

 悪態ついて体を起こしたロガンに影が近づく。振り返るとゲオーロがいた。

「あんた、大丈夫なのか?」

 クソむかつくムト野郎や、不覚にも自分ですら眩暈と吐き気を催したのに、彼はぴんぴんしていた。

「ああ、うん。全然平気。もっと凄いものに乗ったことがあるからね」

「あれより凄いってどんなだよ・・・。鍛冶師ってすげえな・・・尊敬するぜ」

「そんなことないさ。結局のところ慣れだよ。慣れ。いずれ、僕たちが作ったものに君も乗せてあげるよ」

「いや・・・遠慮しとくわ」

「それはそうと、はいコレ」

 ゲオーロが罠に使う道具をロガンに差し出す。

「これを持って、ムトについていってくれ」

「仕方ねえな」

 渋々受け取り、ムトの後を追う。

 森の中に入って少し進むと、ロガンはムトの背中を見つけた。さっさと奥へ歩いていってしまったかと思っていたが、自分を待っていたのだろうか。

「何やってんだお前」

 呼びかけるが、ムトは応えず、周囲を見渡している。

「おい、聞こえ」

「シッ」

 口元に人差し指をそえて、ムトが言った。

「何か、おかしい」

「何かって、何だよ」

「わからない。けど、背筋がぞくぞくするような嫌な感じ・・・」

「何ビビってんだよ」

 言いながらムトに近づくロガン。

 急にムトは振り返り、ロガンに飛び掛かった。

「なっ」

 不意を打たれたロガンは地面に押し倒される。

「血迷ったんかてめえ!」

「うるさい! さっさと立て!」

 そう叫ぶムトはすでに立ち上がっている。

「襲撃だ!」

 見れば、先ほどまでロガンが立っていた場所の直線上にある木に矢が突き立っている。あのまま立っていたらロガンの眉間に穴が空いていたことだろう。ロガンの顔から血の気が一気に引いた。

「海岸まで走れ!」

 ムトに襟首をつかまれ、引き摺られながら無理やり立ち上がる。這う這うの体で海岸線に転がり出たムトとロガンだが、更なる驚愕が彼らを待ち受けていた。海岸ではアスカロンと謎の集団が交戦していたのだ。しかも、明らかに劣勢を強いられている。

「な、んで・・・」

 たった数分の間に何があったのか。ショックで頭が真っ白になりそうになるのを何とかこらえ、思考を巡らせる。考えるのをやめたら終わりだ。まずは団長に連絡しなければ。通信機を取り出そうとしたムトの視界の端で、何かがきらめく。

 咄嗟に小太刀を抜き、その方向に突き出した。同時、体は逆方向へと飛んで逃がす。

 刃と刃がぶつかり、火花が散った。腕が痺れる。取り落としそうになった小太刀をすんでのところで握り直す。ゴロゴロと砂浜を転がり、起き上がると同時に構えた。

「あれを躱すか」

 巨大な槍が目の前にあった。ムトを襲ったのはその槍を構える男だった。槍を男は片手で振り回し、もう片方の空いた手でこれまた巨大な盾を構えている。とんでもない膂力。かつての仲間モンドか、それ以上だ。

「その若さで見事な体捌き。部下に欲しい逸材だ」

「申し訳ないが、すでに就職済みなもんで。他を当たってくれ」

「その就職先が無くなっても、同じことが言えるかな?」

 会話を続けながら、男の隙を伺う、が・・・。

「くそ」

 ムトの額から汗が伝う。隙を伺うどころか、気圧されている。男が纏う気迫は、並みの兵士とは別格だった。

「劣勢と理解しながら、それでも勝機を伺い、こちらを探る冷静さも併せ持つか。ますます惜しいな」

 強い。

 たった一合打ち合っただけで、相手の恐ろしさがわかる。それほどの相手だ。だが、だからこそ。

「何ビビってやがるよムト!」

 ムトの隣で、自分の槍を構えたロガンが気を吐いた。

「こいつは連中の親玉だろう! 大将首さえとれば俺らの勝ちだ!」

 そう、間違いなく奴こそ襲撃してきた連中の頭。どんなに強大な怪物も、頭を潰せば瓦解する。

「俺の手柄になれ、ジジイ!」

「待て、ロガン!」

 ムトの制止も聞かず、ロガンが突っ込む。

「おぉぉおらぁあああああああああ!」

 勢いそのままにロガンは飛び、槍を振り下ろす。

「それに引き換え」

 破裂したかのような音が空間を叩いた。ロガン渾身の一撃を、男は盾でやすやすと防いでいた。男が盾を払うと、簡単にロガンは体勢を崩される。

「貴様は、いらんな」

 男の槍がうなりを上げる。ロガンのわき腹に槍の柄が叩き込まれた。悲鳴すら上げられず、ロガンが唾液をまき散らしながら吹き飛ぶ。男が槍を逆手に構え、倒れたロガンにとどめを刺そうと追撃を繰り出す。

 ギャリ、と金属同士が擦れる手ごたえが、柄越しに男の手元に伝わる。槍の穂先はロガンの顔から逸れたところに突き刺さっている。ムトが小太刀を振るい、ロガンの頭目掛けて落ちる槍を上から叩き、軌道を逸らしたのだ。

 もう一本の小太刀を至近距離から投擲する。男は予期していたかのように盾でそれを防いだ。盾に小太刀が当たり。

「ぬっ」

 初めて男が意表を突かれた。盾に小太刀以外の衝撃が伝わった。盾で男が視界を塞いだ瞬間を狙って、ムトは相手に突進、盾を足蹴にして駆け上がったのだ。相手の頭上を飛び越えつつ、もう一本の小太刀を投げる。男は槍を引き、小太刀を受けた。体をひねりながら着地したムトは、回転して落ちてきた最初の一本をキャッチし、再び身構える。

「あれを躱すのか」

 先ほど自分が言われたセリフを本心と共に相手に返す。

「面白い。貴様ほどの手練れと戦うのは、久しぶりだ」

 男が嬉しそうに笑った。いつも戦闘狂に好かれるアカリの気持ちが、少しだけ理解できた。これは、勘弁してほしい。

『そこまでだ』

 天から声が降り注ぐ。

『アスカロンの諸君は、武器を捨て、両手を上げろ』

 声の発生源を見たムトは、声も出せずにいた。敵に攻められないよう目を光らせるはずのカステルム自慢の魔道具、神の御使いを模したラケルナがアスカロンを睨んでいたからだ。

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