第346話 話と違う

「道は開かれた、というわけですね」

 ワスティが新しくできた階段から下を覗き込む。地中に埋まった円筒状の壁に沿って階下に続いているのか、暗がりも相まってよく見えない。

「何百年もの間誰も踏み入れたことのない場所だ・・・。異端者、裏切り者としてほとんど記録のないモルスーの歴史が、ついに明かされる時が来た。この私の手が! 真実の扉を今開く!」

 降りようとしたファナティの腕を慌てて掴む。

「何をするか! たとえ貴様であっても、私の真実を探求する情熱と使命感の炎は止められぬぞ!」

「何百年も誰も入ったことのない、中の情報もろくにない場所に入ろうとしてるんですよ。どんな危険があるかもわからないんです。情熱と使命感で命の炎を消す気ですか」

「む、むう」

「皆と合流します。入るのはそれからでも遅くないはずですよ」

「まあ、一理あるか」

 炎が弱火になったところで、通信機を取り出す。

「遺跡入口を発見しました。そちらの状況はどうですか?」

『それは重畳』

 ムトでもジュールでも、テーバでもイーナでもない声が返ってきた。ねっとりとまとわりつくような、気持ち悪い声だ。第一印象で人の全てがわかった気になるつもりはないが、こいつは多分、嫌な奴だ。仲良くなれそうにない。

「どちら様? 知らない人と話すなと、小さいころおばあちゃんから口酸っぱく言われて育ったから、あなたとは話したくないんだけど」

『そんなふざけた口を叩いて、貴様の仲間がどうなっても良いのかな?』

「私の仲間に何かしたら、あなた方が探し求めている遺跡は十秒後に粉微塵になるわよ。そっちこそふざけたこと言ってないで、薄汚ぇ手に持ってる人の魔道具を仲間に返しなさい」

 ため息の後ややあって、聞き覚えのある声が返ってきた。

『ムトです』

「無事?」

 状況を鑑み、端的に要件を言う。

『一応全員無事です』

「何があったの?」

 問いつつ、視線でワスティを見る。私の話を聞いていた彼女は、遺跡に残っている階段に上り、望遠鏡で遠くを見ている。

「テオロクルム海軍と海賊が会敵、交戦しているような様子はありませんね」

 ならば、敵はどこから来た? 最初から伏せていた? それとも・・・。思考を巡らせながら会話を続ける。おそらく相手も私たちの会話を聞いている。時間はかけられない。必要最小限のやり取りから、自分たちの立ち位置や今後の方針をある程度シミュレーションしておく必要がある。

『敵の奇襲を受けました。大した抵抗もできず制圧され、全員捕縛されています』

 申し訳ありません、とムトが謝る。

「謝ることはないわ。全滅させたのならともかく、全員生きているのでしょう? 生きているならだいぶマシよ」

『後、もう一つ』

『そこまでだ』

 ムトの声が遠くなり、鼓膜に優しくない声が代わりに割って入ってきた。

『仲間の生存は確認できただろう? そちらの要求に応えたんだ。今度はそちらが要求に応えるのが筋なのではないのか?』

「そっちの要求って? 遺跡に入りたいならどうぞお先に。私たちは邪魔しないよう帰るから安心して」

『そうはいかない。遺跡の中には、侵入者を排除する罠も多くある。盾が必要だ。謎を解き、道を開いて、いざという時身代わりになる便利な盾がな』

「はん、自分が解けないから代わりに謎を解けって? 随分と己の無能をひけらかしてくれるじゃない」

『無駄話は好きじゃないんだがな』

 通信機の向こうで鈍い音とくぐもったうめき声が聞こえた。

『さっさと海岸まで全員で来い。そこで具体的な話をしよう。ああ、余計な小細工はするなよ。全員で、といった意味、わかるな? 十秒、くらいは待ってやるが長くは待てないぞ』

 通信機はそこで音を拾わなくなった。向こうでスイッチを切ったらしい。

「お、おい、何があったんだ?」

 不安そうにファナティが私を揺さぶる。彼や、後ろのプラエ、ティゲル、そして階段から降りてきたワスティを見ながら答える。

「どうやら、海岸にいた皆は敵の奇襲に遭ったようです」

「何だと!?」

「待ってください~。海岸には~ラケルナがいるんじゃないんですか~」

 ティゲルが言った。その通りだ。ラケルナが睨みを利かせているからこそ、私たちはまだ時間があると考えていたのに。

「そうよ。それに、テオロクルムの海軍が海賊を見張っててくれるんでしょう?」

 プラエが私たちに時間があった理由を捕捉する。

「いくら海賊の方が海では上手だからって、海軍がそうそう遅れをとるものじゃないでしょう。発見したら連絡ぐらいよこしそうなもんじゃない」

「ええ、事実、そういう手はずになっています」

 ワスティが答えた。

「敵を発見したらすぐさま狼煙が上がるし、そちらほどのではないですが連絡用の魔道具や鳥を使って全員に知らせるようになっていました」

「敵はその目を掻い潜って強襲し、制圧した。しかも、相手は誰が何人、遺跡調査に先行したかも把握している」

 考えられるのは、まあ、いつもと同じ最悪の事態だ。おそらくムトも、それを知らせようとして口を塞がれたのだろう。

「どちらにせよ、顔を見せなければいけないか」

 自分の目で確かめなければわからないこともあるし。

「冗談だろう! わざわざ敵が待ち受けている所に出ていくのか?!」

 目をこれでもかと見開いてファナティが言う。

「仕方ありません。ああは言いましたが人質を取られています。彼らを見殺しにするわけにはいかない」

 それに、彼らがいなければ私たちだって生きてこの島から出られない。

「わ、私は行かないぞ。わざわざ殺されに行くようなものだ」

「残念ですが、司祭。あなたも行かなければいけない。相手はすでに、ここに誰がいるか把握している。もちろん、あなたのことも。居なければ、結局探し出されますよ。向こうはうちの団員全員を取り押さえられるだけの人員取り揃えている。なら、この島くらい人海戦術で簡単に調べられる。それとも、ゲリラ戦で全員倒す自信ある?」

「そんなもの、あるわけないだろうが!」

「それとも、向こうに行きたくない何か理由でも?」

 図星を突かれたようにファナティは言葉に詰まり、わかりやすいくらい動揺した。

「もしかしてあんた、さっきの通信機の声に聞き覚えが?」

 プラエの問いに、更にファナティが追い込まれる。

「なるほど~、龍神教の関係者、それも龍の書関連の人間ですね~」

 ただわかったことを呟いたティゲルだが、それがとどめだった。

「龍神教の関係者に、お尋ね者と一緒にいるところを見られたくない、ってところでしょうかね」

「それだけではない。私は、奴が大嫌いなのだ。人の手柄は平気で横取りするくせに、失敗の責任は他人に押し付ける。それを続けて他人を押しのけ蹴落とし、何の苦労もせず力も地位も手に入れた奴がな」

「どこにでも、そんなクソみたいなやつがいるものね」

 ファナティの口ぶりでは、彼もそいつに手柄を横取りされた口だろう。

「ワスティ」

「はいはい?」

 この状況でも、彼女は変わらず笑みを湛えている。これくらいの危機、何度も乗り越えてきた、ということか。頼もしくもあり、恐ろしくもある。彼女だけは、私たちとは違う指示系統で動いている。いざとなれば裏切るかもしれない、が。

「二人の王との会談のあった日、別れ際のあの言葉」

 彼女は私に向かって言った。


 ―私が味方を騙したことなんて、一度もありませんよ―


「信じても大丈夫?」

 どのことか察したか、ワスティは「もちろん」と頷いた。

「あなた方が信じてくれるなら、という条件付きですが」



 再び海岸線に出る。白い砂浜には、拘束されたアスカロンの団員たちとテオロクルムの船の乗組員たちが転がされており、背後を倍以上の人数の兵士が取り囲んでいた。拘束されている団員たちの中に一人、倒れている人物がいる。

「ロダン!」

 彼の白かった鎧には血が付着し、凹みと歪みが生まれている。名前を呼んでも反応しない。

「大丈夫、気を失っているだけです」

 彼の傍にいたゲオーロが言った。ひとまず死んでいないことにほっと胸をなでおろし、今度は敵の方に視線を向ける。

 革鎧を着た、日焼けした連中は海賊、ピラタ軍の連中だろう。

 対して、ローブのような長い布を纏い、その上から鎧を着ている連中が、龍神教の兵士、僧兵というやつか。彼らの真ん中に立つ背の高い男の足元に、拘束されたムトが跪いている。

「ムト君、大丈夫?」

「ええ、何とか」

 ニヒルに笑う彼だが、口元から血がにじんでいる。さっきのうめき声は彼だったか。

「お前が、魔女だな」

「人違いでしょ。そんな名前を名乗った覚えはないけど」

 それに、そちらが作った面相書きと似ても似つかないと思うのだが。

「数多の人を焼き殺し、一つの国を滅ぼした、その悪行! 成した者を魔女と呼ばずして何と呼ぶ!」

 自分に酔ったように話すタイプは正直苦手だ。シンプルに話せる人間はいないものか。

「そして、おや、おやおや? その魔女と共にいるのは、誰かと思えば、ファナティ司祭ではないか。何故こんなところに?」

 蛇に睨まれたカエルよろしく、ファナティが直立不動で固まってしまった。

「い、いえ、実はですねマルティヌス様。こやつらに脅されましてですね」

 さっきの怒りを滲ませたセリフを吐いたのと同じ口でファナティは言った。事実なのだが、ここで言うのかこいつ。

「言い訳は聞きたくない。脅されていようが、神のしもべであるなら、どのような手段を用いても責務を果たせたはずだ。それをしなかったという事は、命惜しさ、金欲しさに救世主ウィタ様を売ったモルスーも同じ。貴様も異端者、裏切り者だ」

「そ、そんな」

 崩れ落ちるファナティを無視して、マルティヌス何某がこちらに向き直る。

「改めて名乗ろう。マルティヌス・ヤムチャット司教だ。此度の遠征の総指揮官を拝命した者である。そして、こちらが心強い協力者、ピラタ海軍所属の私掠船を駆るパッシオ船長と勇敢な乗組員たち」

 ピラタ軍の真ん中にいる最も着飾った男が優雅に一礼した。

「そして」

 マルティヌスが立ち位置を譲ると、代わりに一人の男が進み出た。

 年齢は五十前後だろうか。顔にはたっぷりのひげと深い皴、いくつもの切り傷が刻まれている。近くにいる僧兵よりも縦も横も一回りデカい。ミネラのカナエと良い勝負だ。巨大な槍と盾を担いでいるその姿は、聖典よりも戦史の壁画で登場しそうな武人で、間違いなく歴戦の猛者だ。

「あ、あなたは、アポス様」

 ファナティがマルティヌス以上の畏怖をもってその男の名を呼んだ。

「コンヒュム軍将軍、アポス・ガンダー。主と信仰の敵を討つ者である」

「御大層な自己紹介どうも。・・・で?」

 私はアポスから視線を斜め上へと向ける。

 私の視線の先には、ラケルナがいた。私たちや島を守るはずの魔道具が、今、敵であるはずの連中の側に立ち、私たちに牙を向けていた。

「そっちも改めて名乗る?」

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