第337話 建前は心の奥に
二頭立ての馬車が宿の前に停車した。人が乗るキャビンの窓には黒い布が取り付けられていて、中から外を伺うことはできないようになっている。どこに向かうか知られたくない、という事か。もしくは、中に誰が乗っているのか知られたくないからか。
御者がランプを掲げながら近づき、一礼した。
「お待たせして申し訳ございません。傭兵団アスカロンの団長様ですね」
「ええ。後、団員を三名連れていきたいのだけれど」
ちらと横に視線を送る。ムト、ジュール、そしてファナティだ。ムトとジュールはともかく、ファナティは平静を装ってはいるものの、目は泳ぎ、熱くもないのに額に汗が浮かんでいてあからさまに緊張している。
「主より、お連れ様がいることは伺っております。三名でしたら問題ありません。どうぞ、お乗りください」
促され、順番にキャビンの中に乗り込む。最後に私が乗り込み、御者がドアを閉める前に、外で見送っているプラエと目が合う。彼女が頷き、私も頷き返した。
「では、出発します」
ドアが閉じ、鞭と馬の嘶きが聞こえると、馬車はゆっくりと走り始めた。
「誘いに乗ってみようかと思います」
謎の老紳士から招待されたことを共有した後、団員たちに告げた。案の定、全員が渋い顔をした。
「あなたねえ、それで痛い目を見たこと忘れたの?」
プラエがこめかみを押さえながら言った。
「ありすぎて、忘れました」
「でしょうよ! しれっと言ってんじゃないわよ! むしろ望んで痛い目を見に行ってるのかと勘違いするほどよ!」
「まあまあ、必要としている情報が向こうから来たわけですし、みすみす逃す手はないなと思いまして。解読にも手こずっているのでしょう?」
「それは・・・」
プラエが気まずそうに頭を掻いて、後ろを振り返る。そこには同じく解読班のティゲルとファナティがいる。
「申し訳ありませ~ん。まだちょっと時間がかかりそうで」
「古代文字の解読はな、貴様が考えているよりもずっと繊細で困難な作業なのだ。一つの解釈を誤っただけで、文章全体の意味合いが変わってくることだってある。慎重に進めなければならん。素人がわかった風な口を叩くな」
困り顔で謝るティゲルに対しては、何一つ落ち度はないし責めるつもりもまったくないのだが、なぜこの司祭はこんなに偉そうなんだ? とりあえず奴のカップに偶然見つけたキャロライナリーパー級の粉末香辛料を入れておくようテーバにこっそり頼んでおく。
「相手は私たちを害そうと思えばいつでもできる相手です。それをわざわざこちらの誘いに乗って一対一での対談に応じてくれた」
「だから、向こうもこちらに危害を加える気はないって?」
「本人も利害は一致していると言ってましたし。また、観光名所に人が入ってこれないようにするだけの権限や力を持っている。この国を出るまではそんな相手の機嫌を損ねたくはないんですよね」
気が変わったら、などと言っていたが、こういう人間は自分の要求が受け入れられるのが当然だと思っている節がある。下手に断ってもめる方が厄介だ。それなら話だけでも大人しく聞いて、無理だとわかればとんずらすればいい。
話を聞きに行きたい個人的な理由もある。向こうは私に会う前から、私が別の世界から来たことを知っていた。何より彼は言った。
我々は、君が来るのを長い間待っていたんだ。
ただ調べたのではなく、予め決まっていたかのような口調。どういう意図があってそんな言い方をしたのか。あの妙なあだ名はやめてほしいが。
「きっと大丈夫ですよ。話を聞くだけ聞いて帰ってきます」
最後は勘だ。私の勘が老紳士の言っていることは嘘ではないと言っている。ああもう、と喚きながらもプラエは折れ、他の団員も無茶は今に始まったことじゃないと許可してくれた。
「で、誰を一緒に連れていくつもりだ?」
テーバの言う通りだ。せっかく数人連れてきて良いと言われたのだ。その人選も決めないと。数人、私を入れて四、五名くらいか。貴族筋の人間に対して話の出来るジュール、最近の交渉事のほとんどを任せているムト、そして。
人の動く気配がして振り向けば、トイレから戻ってきた顔色の悪いファナティがいた。
「よし、この三名でいくか」
話の流れがよくわかっていないファナティが、不思議そうな顔で私を見ていた。
「き、貴様、何故私を連れていくことにしたのだ!」
対角線上に座るファナティが小声で抗議してくる。出発してからぶつくさ言われても困るのだが。
「どこに連れていかれるのか、誰に会うのかもわからないような場所に連れて行かれて、私に何かあったらどうするつもりだ。どう責任を取る!」
「人が大事な話をしているときに、トイレに行くのが悪いんですよ」
「そ、それは、あの店の酒が悪いのだ! 口に含んだとたん火がついたのかと思うほど口の中が熱くなり、痛みだしたのだ。汗も止まらず、腹まで痛くなってきた。何か悪いものが入っていたに違いない。後で抗議だ。金は一切払わんからな!」
「店の代金は私が払ったんですがね」
いちいち突っかかってくる面倒な司祭だが、ここで本当のことを言ってきちんと仕事が出来なくなっては困るし、話をしておこう。
「いいですか、司祭。連れていける人数に限りがある場合、様々な事を考慮して人選しなければならないんです。まずこちらのジュールさん。こう見えて色んなうわさ話や世間の流行に通じていて、話題を豊富に取り揃えています。話術も巧みで、貴族、商人、職人、一般人と色んな人間に話を合わせることができます」
「こう見えて、は余計じゃない?」
「次にムト君。彼は依頼受注など契約に関する交渉を担当しています。また駆け引きも上手く、これまで何度も報酬を多く得たり有利な条件を相手に承諾してもらったなどの実績があります」
「ありがとうございます」
「そしてファナティ神父。今回はあなたが適任だと判断しました」
「わ、私が」
「そうです。確かにプラエさんやティゲルさんは優秀です。しかし、古代言語の解読、解釈という専門分野においては、やはり司祭に一日の長があります。私たちの中ではあなたが最も古代言語に詳しい」
「お、おお、そうだな。うむ、まあ当然ではあるが」
「そして今回、相手は私に対して龍の書に導かれてきたのだろうと言いました。また、この地は裏切り者であるモルスーが興した国だとも。つまり、提示される情報には龍の書に関する事が含まれている可能性が高い。で、あるなら、あなた以上の適任はいない。あなたでなければならないのです」
「そこまで言われたら、仕方ないな。うむ。協力してやる」
「納得していただけて良かったです」
最悪の場合、置いて逃げても良心が痛まない、などとは言えないな。私は笑顔で心の奥に言葉をしまい、鍵をかける。
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