第335話 精霊信仰の国

 初めて海を見た。

 もちろん、リムスに来てからの話だ。元いた世界では、住んでいた場所が海に囲まれていたので当たり前のように目の前に存在した。毎日見ていたはずなのに、意識してみたことはなかった。身近にありすぎたからだ。

 だから、ある意味では初めて海をきちんと見た、と、言えるかもしれない。

「でっけえなぁ・・・」

 団員たちも、視界を全て埋める程の膨大な水に呆気に取られている。

 今現在私たちは、リムス西部中央、西の大国ヒュッドラルギュルムと十三国同盟共有領地テンプルムに挟まれた国テオロクルムにいた。横に長いこの国は、東端には霊山ヤハタ山をはじめとした山脈が、西端には水平線が広がる海がある。この二つをつなぐように、国の中央を大河が伸びていた。山の麓から海にかけて扇状地が広がり、その上に街や田畑が作られている。

 テオロクルムに到着した私たちは、宿が決まった後は団員たちを分け、早速行動を開始する。

「ムト君、ボブさんたちは案内所の方へ。依頼の内容や傾向の確認をお願いします。また帰りに市場によって、物価の確認を頼みますね」

「はい」「了解です」

「テーバさん、ジュールさんたちは酒場などでの情報収集と街の見取り図の作成を。可能ならご家庭などで小さな依頼を受けてください。同時に街の噂話などを収集していただければと思います。イーナさんはフェミナン支店でアンからの連絡や貴族筋から気になる情報がないかの確認をお願いします」

「了解だ」「OK」「かしこまりました」

「あ、酒場に行けとは言いましたが、皆さんくれぐれも飲みすぎないようにお願いします。あくまで情報収集が優先ですからね」

「「「・・・うぃす」」」

 数名の団員がしぶしぶといった感じで返事をした。釘を刺しておいて正解だったようだ。

「プラエさん、ティゲルさん、ファナティ司祭は引き続き龍の書の解読を進めてください」

「任せて」「わかりました~」「大船に乗ったつもりでいろ」

「ゲオーロ君は魔道具の整備や動作チェックをお願いします」

「わかりました。あ、あと皆さん、武具の砥ぎや修理などありましたら持ってきてくださいね」

 ゲオーロの呼びかけに団員たちが各々応える。これで指示はあらかた出したか。

「ああ、あと雑用君」

「誰が雑用君だ!」

 どさどさと荷物を床に下ろして、ロガンが怒鳴った。

「雑に扱わないでよ。中には金貨数枚分の魔道具が入っているんだからね」

「そんな大事なもん持たせるんじゃねえ! 俺が持ち逃げしていたらどうする気だ!」

「普通の人間ならするだろうけど、一流の賞金稼ぎは、約束を違えるような、そんなことしないでしょう?」

 ねぇ? とロガンに言うと、憤怒の形相で口をもごもごさせていた。


 少し時間はさかのぼり、ルシャナフダ出発前日。

「もう一ぺん戦え!」

 気絶から復活したロガンは、開口一番叫んだ。

「お前なあ」

 呆れたようにムトが言う。

「勝負はついただろう。諦めてもう帰れよ」

「あんなもん、無効だ無効。俺の得物は槍だ。こいつを振るえばさっきみたいに負けることはねえ!」

 子どものような、というよりも子どもそのものの持論をロガンは振りかざす。ずいぶんと決闘という言葉も安くなったものだ。ゲームのコンテニューかなにかと勘違いしているのだろうか。

「あのな」

 イライラしてきたムトを手で抑え、入れ替わる。こんなのはまともに相手にしてはいけない、という事をこの機会に教えておこう。相手のペースではなく、こちらのペースに乗せなければならない。

「賞金稼ぎロガン」

「お、おう」

「君は、一流の賞金稼ぎなんだよな?」

「当たり前だ。これまで何人もの賞金首や害獣を仕留めてきた」

「おお、そりゃ凄い。それで、一流というからには、それなりの誇り、プライドも持ち合わせていると考えていいのかな?」

「お、おお? そうだな。当然持ってるさ」

 周囲にいる団員たちが「持ってなさそうだ・・・」という顔をしているが、気にせず続ける。

「私も、曲がりなりにも長く傭兵稼業を続けている。君はリュンクス旅団のアスピス団長、傭兵団パンテーラのシーミア団長を知っているか?」

「もちろんだ。二人ともこの戦乱で多くの敵を倒して名を上げた一流の漢だ」

「私は、君にも彼らと同じ素質があると思っている」

 団員たちの私を見る目が詐欺師を見る目になっていた。気にしない。

「そ、そうか。そうだろうな。うん。流石は魔女だ。見る目がある」

 少し照れながら鼻の下をこするロガン。

「ありがとう。で、だ。一流の彼らには美学があった。戦う相手に敬意を表する美学だ。殺す相手であれ、強敵にはそれにふさわしい敬意を彼らは胸に抱き、態度に表した」

 知らんけど。

「逆も同じ。負けたとしても、戦い終わればノーサイド」

「の、のーさい、何?」

「つまりだ。敗者には敗者の美学があり、それを貫かなければそこらの二流三流と変わらないってことよ。普通、戦いで負けたら二度目はない。死ぬんだから。でも君は生きている。まだ成さねばならぬ使命があるからだ。わかるわね?」

「ああ。わかる。俺は偉大になる男だからだ」

「その通り。であるなら、負けてもここは伏して屈辱を耐え抜き、再起をはかるために勝者に従ってチャンスをうかがうのよ。敗戦の将が他国に取り入って成り上がった例はいくつもあるのはご存じよね一流なら」

「お、お、お? おう?」

「であるなら、君が再戦を望むなら、私たちに協力して再起を図るのが一流の敗者というものよね?」

「そう、だな? そう、なの?」

「ではロガン。テオロクルムまでの荷物運びを頼むわ」

「おう・・・おう?!」


 そしてテオロクルム到着の今。

「言葉巧みに言いくるめやがって。あんなもん詐欺だろ!」

「人聞きの悪い。そっちだって了承したじゃない。ここにいる全員が証人よ」

 そうでしょう、と同意を求めて周囲を見渡す。皆がぎこちない相槌と笑みを返してくれるので、肯定と受け取る。

 確かに、条件は揃っていた。気絶から目を覚ましてまだ完全に復調しておらず、興奮状態で判断能力・処理能力が落ちていた。ロガンが理解する前に大量の言葉を叩きつけさらに頭を疲れさせ、理解される前に時折おだてて同意・頷きやすくしてからこちらに有利な条件を突き付けて勢いで承認させた。細かい字がたくさん書かれている詐欺師の書類と同じだ。

「言う事を聞いてついてくれば、汚名を雪ぐチャンスがある、かもしれない」

「確定じゃねえのかよ!」

 などと言いつつ、ここまでしっかりと荷を運んできたのだから、素直な人間だと思う。この世の悪意に染まりきっていないというか。

「まあ、そう不貞腐れるものじゃないわ。働きに見合った給金は出してあげる」

「気を失ってる間に持ってた金を全部巻き上げておいてよく言うぜ!」

「あなたはそういう相手に勝負を挑んだの。命があっただけ儲けものと切り替えたら?」

 ポジティブシンキングを推奨する。生きてりゃいいことある、などと口が裂けても断言できないけど、生きていれば出来ることがたくさんある。私が言うのもなんだけどね。

「やってられっか!」

 踵を返して出ていこうとするロガンの背中に告げる。

「ここで逃げ出してもいいけど、今度は君の悪評が拡散されるわよ?」

 ロガンが足を止め、こちらを振り向いた。

「賞金稼ぎのロガンは、依頼主との契約を自分の都合で簡単に反故にする信用できない男だ、とかね。まさに今、案内所に行こうとする彼らが効果的に広めてくれるでしょう」

 ムトたちの方を指さす。ロガンの顔もつられて動く。どんな表情をしているのか、ボブがひきつった声を出した。

「今後、君に依頼を出す人間が、いると良いねぇ?」

「チクショウが」

 ゴン、と壁に八つ当たりしようが、痛いのは彼の手であって私ではない。

「わかったら、大人しく手伝いなさい。悪いようにはしないから」

 悪い顔で、私は彼に告げた。

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