疑い深き者よ、神の跡を辿れ

第331話 追う者と追われる者

 何でこんなことになっている?

 目の前の光景を見ながら、私は頭を抱えた。

 夜、私たちのような団体をターゲットにしている広めの酒場の一階中央、込み合った店内とは対照的に机や椅子が片付けられ、ぽっかりと円状の空間が出来ていた。

 空間には、対峙する二人の男。

 土俵に立つ二人の力士、リングに立つ二人のボクサー、そんな感じだ。

 片や真っ白な鎧に身を包んだ巨躯の男。短く刈り上げた髪の下には、自信に満ち溢れた顔があった。腕も足も太く、体もぶ厚い。鍛錬に裏打ちされた自信、ということだろうか。

 片や男性にしては少し小柄な軽装の男。まだ少し幼さの残る顔には、怒りがにじんでいる。巨躯の男に対して少し細身な印象を受けるが、それは鍛えられていないという事にはならない。むしろ余計な部分をそぎ落とした、鍛冶師に打ち鍛えられた刃のような肉体だ。事実、いくつもの修羅場を超えてきたことを、私はよく知っていた。

 彼ら二人に対して、周囲の酔客から歓声が飛ぶ。店の方もこのような騒ぎは慣れたものなのか、特に注意してくることはない。むしろ、店員の一人はどちらが勝つか聞いて回り、賭けの胴元みたいなことをしている。

 正直、こういう騒ぎは好きではない。なぜなら仮にも私は龍神教のお尋ね者だからだ。どこの酒場でもよくあるバカ騒ぎだし、こんなところに集まる人間に宗教関係者がそんなにいるとは思えないが、今更だけど目立つようなことをしたくない。

 だから私は対峙する男の一人に声をかけた。

「ムト君、あんな馬鹿は無視しなさいって」

 声をかける。いつもはこちらの考えや指示を聞いてくれるムトだが、何故かこの時ばかりは首を縦に振らない。

「世間知らずで生意気なクソガキに少々世間というものを教えて上げるだけです」

「クソガキってあなた、あいつとそんな年齢変わらなそうよ?」

「年齢だけが大人と子どもを区別する物ではないでしょう?」

 酔っているくせに一理あること言うじゃないか。

「なんだぁ? ビビッて泣きついてんのか? この腰抜け野郎が!」

 私が言葉に詰まった瞬間を見計らったかのように、巨躯の男がムトを煽った。

「お呼びのようなので、ちょっと行ってきます」

 笑顔のムトだが、目が笑っていない。

「心配しなくてもムトなら大丈夫でしょうよ」

 私の隣にいるプラエが他人事のように言って酒を飲んだ。

「あの子だって伊達にこれまでいくつもの戦場を潜り抜けてきてないわ。あの程度の輩に遅れはとらないでしょうよ」

「そんなことはわかっています」

「だったら何が心配なの。お尋ね者だから騒ぎを起こしたくないとか?」

 馬鹿じゃないのとプラエは呆れた。

「あなた過去に、街に到着早々よその傭兵団と乱闘騒ぎ起こしたの覚えてないの? そんなあなたが彼を止める資格あると思う?」

 過去のことを言われるとこちらも反論のしようがない。図星なのを知られたくなくて、別の理由を必死に探す。

「私が心配しているのは、店の修繕費と、相手の治療費です」




 遡ること十日前。元プルウィクス王妃アルガリタとその息子ピウディスを第三国であるラーワーに秘密裏に亡命させ、ミネラ領主に以前の借りを返せとばかりに王妃の保護を押し付けた後のこと。

「ファナティから連絡が?」

 いつものように食事を囲みながら、今後の方針を相談していると、イーナから報告が上がった。

 ファナティは以前の事件で知り合った協力者であり、コンヒュムにある龍神教総本山にも出入りする自称有能な司祭だ。彼には古巣に戻ってもらい、龍神教の聖書である龍の書原本を調べてらっていた。スマートフォンの操作方法を伝え、内容を写真に収めてくる手はずだ。

「はい。ラーワーのフェミナン支店に伝言が届いていました。読み上げますか?」

 イーナが懐から手紙を取り出す。

「お願い」

 わかりましたと頷き、手紙に目を通していたイーナの顔が曇る。

「どうしたの?」

「多少、割愛してもよろしいでしょうか? その、前半はいかに自分が苦労したか、いかに困難な仕事をやり遂げたか、そんな自分をもっと労り、褒め称えろという自分を美化し誇張する文章が続いているので」

「ありがとう。結論だけでよろしく」

「結論だけですと、ええと、『極めて重要な情報を手に入れたが、伝聞では伝えきれないし内容が歪んでしまうので、会って相談したい。流民国家ルシャナフダの首都、マロク亭で待つ』とのことです」

 三枚も手紙があるのに、重要な情報は一、二行しかないとは笑うしかない。

「他人の自慢話なんてつまらないものを、根気強くちゃんと書き写してくれたフェミナンスタッフにお礼を伝えておいてもらえる?」

「そうします」

 そんなわけで、私たちは一路ファナティから指示された場所へと向かう。

 流民国家ルシャナフダ。

 名前の通り、リムスとは別の世界から流れてきたルシャが中心となって興した国だ。リムスでは珍しい共和制国家で、民衆から選挙で選ばれた代表議員たちが政治を行っている。来る者は拒まず去る者は追わずのスタンスで、他国から様々な理由で人が集まってくる。流れてきた人間の中には犯罪者も多数存在するが、意外と治安は保たれていた。マフィアややくざの縄張り争いみたいに、悪党同志でけん制し合っているのかもしれない。

 ファナティが指定したマロク亭は二階建ての大きな酒場だった。多くの人間が流れてくるということは、商隊や傭兵団も多く立ち寄るのだろう。事実、ルシャナフダはラーワーとアーダマス、ヒュッドラルギュルムの三大国に隣接している交通と商業の要衝だ。市も定期的に開かれ、思わぬ掘り出し物も存在したりする。

 それだけ旅人が多く訪れる場所故に、こういった外食店や宿泊施設はかなり充実しているようだ。

 店に到着し、店員を捕まえてファナティが来ていないか尋ねるが、司祭は来ていないという。仕方がないので、彼が到着する前に食事を済ませておくことにした。久しぶりに会ったテーバとボブから別れた後の話を聞いていた時だ。誰かが私たちのテーブルに近づいてきた。

 ファナティか、と考えたがすぐに違うと断じた。小柄な彼が床を軋ませるような歩き方をするわけがない。では、別の場所で飲んでいる客の一人か、とも思ったが、違う。私たちは店の二階の隅の方に固まっている。私たちの奥に座席はない。ならば酔った客が場所を間違えたのか・・・

「お前が、滅国の魔女か」

 違うようだ。団員たちの手がぴたりと止まり、私の後ろにいる誰かに視線を向けた。

「いえ、別人です」

 こういう手合いは相手をしないに限る。私は食事する手を止めず応える。

 この鳥肉、ニンニクと醤油がもみ込んで揚げてある。フォークで突き刺し、まじまじと眺めてしまう。なるほど、入ってくるのは人だけではない。唐揚げなど、こういった調理法も別世界から入ってきているのだ。

 久しぶりの醤油の味を楽しみたいので、こんな礼儀知らずに邪魔されたくないのだ。

「ふざけんな。こっちを向けよ」

 大きな手が伸びてきた。だが、その手が私の腕を掴むことはなかった。

「なんだ、てめえは」

「そっちこそ、どちら様で?」

 ムトだった。彼が相手の腕を掴んでいる。

「こちらは食事中だ。要件があるなら、後にしてもらえないか」

 すっと私と相手の間に体を入れる。

「そこをどけ。俺は魔女に用があるんだ。下っ端に用はない」

「別人だと言ったのが聞こえなかったのか? それとも言葉も理解できない脳無しなのか?」

「何だとこの野郎。ぶち殺すぞ」

「マナーのなってないガキは困るな。本物の貫禄とガキの見栄を勘違いしている」

「てめえ!」

 暴れ出す、かと思いきや、そうはならなかった。

「そもそもだ」

 ムトが冷たく言い放つ。

「殺すだなどと、言葉にする暇があるならその前に殺すべきだ」

「こ、のっ・・・」

 鳥肉を飲み込んで振り返ると、ムトが小太刀を相手の首筋に当てて動きを封じていた。

「卑怯者が・・・」

「救いがたいな。命を握られている相手に卑怯だなんて、喜ばせるだけだぞ」

「ムト君、ありがとう。もういいわよ」

 本当に命を奪いかねないので、ストップをかける。しぶしぶ小太刀をしまい、ムトが下がった。代わりに私の前に進み出たのが、此度の闖入者か。

「魔女ではないけど、私に何の用?」

 椅子に座ったまま見上げる。かなりの巨躯を誇る男だった。白い鎧を身に纏い、背中には槍を背負っている。腕も足も胸板も厚い。

「俺の名はロガン。凄腕の賞金稼ぎだ」

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