第330話 後日譚 ある雪の街で

 雪がちらつく山道を、兵士たちが二列に並んで進んでいる。列の先頭を行くのは、屈強な兵士たちの中であっても頭一つ抜けた巨体を誇る男だった。他の騎兵と同じサイズの馬にまたがっているはずなのに、小さく見えてしまうほどだ。

 男の名はカナエ・ミネラ。ラーワー屈指の大貴族であり、今や国内外にその勇猛を轟かせる将軍であった。任務を終え、久しぶりに故郷のミネラへと戻ってきたところだ。

 共に戦った部下たちを労い、休暇を言い渡す。何か月も働きづめだった彼らは、働きに見合った給料を抱えて家族の元へと帰っていく。

 カナエもまた、自分の家族の元へと向かう。が、その足取りは少し重い。この先に待っている展開を予期してのことだ。

 一度ドアの前でため息をつき、気合を入れなおし、目の前のドアをノックする。どうぞ、と中からの声を受け、入室する。

「失礼します」

 一礼し、前へ進む。この地で将軍であるカナエよりも階級『等』が高い人物はただ一人。

「ラーワー北部方面軍大将、カナエ・ミネラ、王都での任務を終え、ただいま戻りました」

 眼鏡を外し、その人物が立ち上がる。

「ご苦労様でしたカナエ将軍。あなたの武功はこのミネラの地にまで届いております。ミネラを治める者として、この地の出身者であるあなたを誇りに思います」

「もったいなきお言葉です。イブスキ様」

 再び一礼し「では、わたくしはこれで」と踵を返すカナエ。

「待ちなさい」

 びくりと大きな背中が震えた。

「どこへ行こうというの」

「いや、その、長旅と任務の疲れを癒すために、風呂でも入ろうかと」

「風呂は今あなたのために沸かしているから、少し待ちなさい」

 振り向けば、自分よりも頭一つ、二つ低い位置にあるイブスキの目が、ソファに座れと命令していた。観念して、ソファに腰を下ろす。ふかふかのはずなのに、石で出来ているかのように固く、冷たく感じる。

「さて、領主と将軍の挨拶は、この辺で良いでしょう。これからは、母と子として、ちょっと話し合いをしましょうか」

 イブスキが対面に座る。

「なぜ、呼び止められたか、わかっているわね?」

「まあ、一応は」

「そう、じゃあ、理由を教えてもらえる? どうして見合いの話を断ったの?」

 カナエの思った通りの展開になった。イブスキが机の上に封筒を並べる。

「ノルディエ家、シュハリュー家、メドロ家、ワモート家。格としては申し分ない家系や、他にもこんなにたくさん申し出があったのだけど」

「いや、ですが母上。全員席は設けましたよ?」

「一度だけでしょう? その後続いたことないじゃない。一度会って気に入らないから断るってどうなの。この手紙、全部相手からの苦情よ。向こうだってミネラに嫁に出すのだから、マナーのなってない相手を選ぶことはないはず。何が気に入らなかったの?」

「何、と言われましてもですね」

「あなた、今年で三十なのよ? 三十で嫁も子もない貴族の肩身の狭さわかってるの? 本人に問題があるとか、家に問題があるとか、あることないこと吹聴されるのよ?」

「そんなもの俺は気にしませんが」

「あなたはそうでしょうが、こちらは気にするのよ。この手紙に対する返事、どれほど私が気を使って返してると思うの?」

「思ってもない相手の美点を無理やり捏造して慰めているわけですね」

「わかってるなら私の仕事を増やさないようにしてほしいものね。で、どうなの。何が気に食わないの」

 カナエはあごひげをいじりながら、うんうんと唸って言葉を探している。

「何というか、見えてしまうのですよ」

「見える?」

「彼女たちの腹の内というか、そういう物が」

 自分の発した言葉が自分の考えをきちんと表しているのか吟味しながらカナエは言った。

「彼女たちは、確かに美しい女性たちばかりでした。所作も洗練され、教養もある。何も申し分ない方々です。ですが、彼女たちの目は俺を見ていない。俺の肩書であったり、ミネラの名であったり、それを得た己の未来の姿だけだ」

 もちろん政治に権力は必要だと理解している、とカナエは続ける。

「仕事ならば、まだ我慢できるし、飲み込むこともできましょう。ですが、家庭にまでそれを持ち込まれたら、俺は気が休まりません。兵士はコンディションを保つのも仕事です。それを乱されるくらいなら、一人の方がよほど気楽です」

 そういうことかと今度はイブスキが頭を抱えた。自分の息子は、ある意味で領主に必要な素質、人を見る目を持っていた。人の持つ性質まで見抜くのならば、仕事であれば大いに活用できるだろう。適材を適所へ配置し、人のポテンシャルを引き出すこともできる。彼が戦で勝利を掴めているのも、目のおかげで上手い人の使い方が出来ているからだ。だが、見えすぎてしまえば仇になる。

「その点は心配しなくても大丈夫よ」

 このままでは息子は一生独り身で過ごしてしまう。そうなれば家が断絶の憂き目にさらされる。イブスキは諦めきれなかった。

「誰でもいいから連れてきなさい。私がみっちり、ミネラ家の流儀を叩き込んでやるから。どれほど腹黒い小娘も、一週間で完璧な淑女、あなたにふさわしい嫁に作り替えてやるわよ」

「母上のしごきに耐えられるような根性を持つ女性がいたら、俺も断らなかったと思いますよ」

 話が平行線だ。ため息をついてイブスキが天を仰いだ。

「くそ、こんなことならあの子が来た時、首に縄付けてでもミネラに逗留させるべきだった」

「あの子?」

 カナエははっとして身を乗り出した。イブスキがあの子と呼ぶほど気に入っている女性は一人しかいない。

「まさか母上。龍殺しが来ていたのですか!」

 彼の顔が輝く。唯一カナエに黒星をつけた、ミネラを救った誉れ高き傭兵団の団長。

「ええ、そうよ。アカリが来ていたわ」

「やはり生きていたか! カリュプスで死んだとか噂が立っていたが、そうか、そうよな。あの人がそう簡単に死ぬはずがない。それで、母上、彼女はどこに?」

「だから、もうミネラにはいないわ。厄介事を押し付けて、そそくさと出ていった」

「くそう、そうか。残念だ。もう一度戦いたかったのだが。あの時からどれほど成長できたか試したかったのだがなぁ」

 まあ生きていればまた会えるか、と気を取り直したところで、カナエは先ほどのイブスキの発言で気になる箇所があったことに気づく。

「母上、厄介事ですか?」

「ええ、まあ、こちらに利がないこともないし、というよりも厄介を補って余りあるというか、そこがまた面倒なのよね」

 どういうことか更に尋ねようとしたところで、ドアがノックされた。イブスキが入室を許可すると、ドアから書類を抱えたメイドが入ってきた。カナエの見たことのないメイドだ。カナエに気づいたメイドは、イブスキたちに向かって優雅にお辞儀をした。

「失礼します。イブスキ様。頼まれていた業務が終わりましたので、お持ちしました」

「ありがとう。アルマ。机に置いておいてくれる?」

「かしこまりました」

 目の前を横切っていく彼女を、カナエは目で追った。

「母上、彼女は?」

「新しく雇ったメイドのアルマよ」

 新しく雇ったのなら、見たことがないはずだとカナエは納得し、彼女の観察を続ける。知ってか知らずか、アルマは書類を机の上でとんとんと整えてから置いた。

「いくつか気になる箇所がございましたので、ご確認のほどよろしくお願いいたします」

「気になる箇所? どこか間違っていた?」

 仕事モードに入ったイブスキがソファから立ち上がり、アルマと呼ばれたメイドの隣に立つ。

「こちらです。鉄の採掘量と加工した武具類の輸出額ですが・・・」

「なるほど、今年の消費量から考えるともう少し増やしても・・・」

「ただそうなれば・・・」

「うん。そうね。調整が必要になるか。各組合長たちに連絡を・・・」

「そちらはすでに済ませております。イブスキ様のスケジュールからこの日がご都合よいかと・・・」

「問題ないわ。流石ね」

「もったいないお言葉です」

 それでは、と一礼して、メイドが退室しようとする。その前に、カナエが立ちふさがった。

「はじめまして。カナエ・ミネラだ」

「これは、ご丁寧にありがとうございます。アルマと申します。カナエ将軍の勇名はかねがね伺っております。凶悪な怪物を倒し、他国からの侵略を食い止めるラーワーの盾。お会いできて光栄に存じます」

「そんな大した男ではない。俺は一人では何もできぬ。信頼できる優秀な仲間たちがいるからこそ、俺はようやく務めを果たせているにすぎぬ」

「ご謙遜を。・・・それで、私に何か御用でしょうか。あ、申し訳ありません。気が利かなくて。すぐにお茶をお持ちいたしますね」

「ああ、そうではない。お茶は良い。それよりもアルマ。頼みがあるのだ」

「何なりと」

「俺の嫁になってくれ」

「・・・・・・・・・・・・・は?」


 これが、のちのラーワーきってのオシドリ夫婦の馴れ初めである。

 当初、アルマは自分が子持ちの未亡人であること、すでに三十四歳であること、他国から亡命してきた訳ありであるなど、様々な理由をつけて断っていた。

 しかし、カナエは諦めなかった。彼は彼女の本質を見抜いていた。誰かのために戦ってきた優しく強い女性だと。こんな素晴らしい女性、なかなかいない。

 頑なに断っていたアルマだがカナエの猛アタックについに根負けし、プロポーズを受けた。

「カナエ様。一つお願いがあります」

「なんだ?」

「私の前の夫は、体が弱く、早くに亡くなりました。私たち親子がどれだけ悲しんだことか。ですので、カナエ様にお約束していただきたく思います」

「わかった。何でも言ってくれ」

「健康でいてください。最低でも、私より先に死んではなりません」

「必ず守る。あなたと、あなたの息子ピレスを置いて死ぬことは絶対にしない」

 その約束を守り、カナエは九十歳で大往生するまで健康であり続けた。

 カナエはピレスも実の子として愛し、またピレスもカナエを実の父として慕った。生まれもった高い魔力に加えて父から戦う術を、母から多くの知識を学んで大きく成長したピレスは、しかしカナエの実子である弟たちに気を使い、また後継者争いを避けるために家族全員の反対を押し切ってミネラを出奔し、傭兵として生きることになる。旅を経て更に成長した彼が、故郷の危機を救い、救国の英雄として凱旋するのだが、それはまた別の物語。

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