第329話 幕間 二十年越しに届いた指先

 アカリたちがザジたちと合流し、安全圏まで逃げ切ったころ。遠く、アウ・ルムの地で、一人荒れる男がいた。己の執務室の中で、机の上の物を力任せに払いのけ、物に当たり散らす男の名はフォグ・ドリアムス。アウ・ルム貴族であり、かつて、自分の娘を嫁にやりたくないあまり、娘の影武者をプルウィクスに送り込んだ男だ。

 アルガリタの暗殺計画。その情報を手に入れた時、ようやく悪夢から解放されると思った。

 娘可愛さに影武者などという手を使ったものの、外交の一つでもある婚姻を偽ったのだ。バレれば国家間の問題に発展する。これまではアウ・ルムが圧倒的優位な立場だったため、所詮は弱小国相手だと、仮にバレたとしてもどうとでも言い逃れできると高を括っていた。しかしこの数年でアウ・ルムとプルウィクスの力関係に差が無くなってしまい、自分が蒔いた不安の種がいつ噴火するかわからない火山となってしまった。噴火すれば間違いなくプルウィクスや、奴らに組する同盟国がアウ・ルムを糾弾し、賠償を請求するだろう。最終的に責任を取るのはもちろんフォグということになる。財産没収にお家取り潰しでもまだ優しい。最悪一族全員が処刑される。この五年、フォグは生きた心地がしなかった。

 どこの誰だか知らないが、ぜひ成功させてほしい。しかし、もし失敗したら。

 不安に駆られたフォグは各地の関所に指示を出し、怪しい人間がアウ・ルムに入らないようにした。また、自分の私兵を使い、アルガリタの動向を探らせた。検問にて怪しい動きをしていた一団が樹海に向かったという情報を得て、すぐに兵を送った。

 そして現在。彼の努力が水泡に帰す情報が届いた。アルガリタが国境を越え、ラーワーに亡命したと聞いた瞬間、フォグは膝から崩れ落ちた。

「ドリアムス様」

 控えめなノックと共に、秘書がドアの向こうから声をかけてきた。

「何だ。私は今忙しいのだ」

「申し訳ありません。来客のお知らせに参りました。至急お目通り願いたいと」

「来客ぅ? 一体誰だ」

「フェミナンオーナーの、アン様です」

 酔いが一気に覚めた。影武者の件を自分以外で把握している唯一の人間だ。このタイミングでの来訪、何かあるに違いない。吉報か凶報か、見極める必要がある。

「お通ししろ」

「よろしいのですか? お忙しいのでは」

「いいから! さっさとしろ!」

「は、ははっ!」

 足音が遠ざかっていく。しばらくして、再びドアがノックされる。

「ドリアムス様。急なお願いを聞いてくださり、誠にありがとうございます」

 フォグの前で、アンは優雅にお辞儀をした。年経るごとに衰えるどころか、刻まれた皴すら魅力に変えてしまう美貌、それこそがこの女の武器だと理解していても、目で追わずにはいられない。

「こんな夜更けに、一体何の御用かな?」

 咳払いし、話を切り出す。惚けていては相手の思うつぼだ。話の主導権を渡さないよう注意する。

「ドリアムス様に急ぎお耳に入れたい話がありまして、不躾ながら参上させていただきました」

「急ぎの話とは?」

 内心警戒しながら尋ねつつ、彼女にソファを勧める。礼を言いながら優雅にアンが着席する。秘書が彼女の前に湯気の立つティーカップを差し出した。ありがとう、と一声かけられただけで、秘書は舞い上がり固まってしまった。

「とても、重要な話です」

 そう言いながら、アンが秘書の方をちらと見た。察したフォグは秘書に出ていけと指示する。

「俺が呼ぶまで、部屋には誰も近づけるな」

「かしこまりました」

 恭しく頭を下げて、秘書がドアを閉める。部屋には二人が残る。

「結論から申し上げます。ドリアムス様。アウ・ルム軍の憲兵隊がこちらに向かっております」

「憲兵隊、だと」

「二十年前の、我らの罪をお忘れですか」

「まさか、影武者の件が王家に?」

「おっしゃる通りです。今回の暗殺騒動で、彼女の身元がプルウィクス側にばれたようです。王家にプルウィクスからの抗議の使者が現れ、事を公にしない代わりに、当時の責任者の処分を要求しています」

「なんということだ」

 恐れていたことが起こってしまった。フォグが頭を抱える。

「すでに、フェミナンにも捜査の手が伸びております。彼女がうちのスタッフであったことも、調べがつく頃合いでしょう。そして、当事者である私に辿り着くのも時間の問題であり」

 アンがじっとフォグを見つめた。操作の手が自分に辿り着けば、そこからなら簡単にフォグに辿り着く。そう訴えている。

「貴様、俺を売るつもりか!」

「とんでもない。大恩あるドリアムス様を、わが身可愛さに売るだなどと、思ってもみませんでしたわ。逆です。ドリアムス家が助かる方法を、お持ちいたしました」

 アンが自分のカップをフォグのカップの隣に置いた。

「ドリアムス様の右手にあるカップは、このまま憲兵隊を大人しく待つという選択肢です。王の前に跪き、許しを請う未来です。ドリアムス様のこれまでの貢献を、王は覚えていらっしゃるでしょうから死刑は免れるやもしれません。ですが、長い投獄生活が待っている事でしょう。そしてもう一つ。左手にあるカップは、私の策に乗る選択肢です。ただし、分の悪い賭けになります。成功すれば助かりますが、失敗すれば全てを失います」

「分の悪い賭けとは一体何だ」

「申し訳ありませんが、今はお教えすることはできません。選択していただいたところで、初めてお伝えすることになります。なにぶん、私の命もかかっておりますので」

 フォグは左右のカップを交互に眺める。

 右が、全てを諦めて大人しく捕まる選択肢。

 左が、分の悪い賭けに出る選択肢。しかし、成功すれば助かるかもしれない選択肢でもある。

「焦らせるつもりはありませんが、猶予はあまりありません。窓の外をご覧ください」

 アンが窓の方を指さした。力の入らない膝を叩き立ち上がる。窓から見える景色を見て、フォグは口元を手で押さえて後ずさった。暗闇の中、松明の明かりが近づいている。

「け、憲兵隊」

「やはり、そうですか。フェミナンを調べ終え、こちらに向かってきているようですね」

「貴様、なぜ当時の証拠を破棄しなかった!」

「破棄はしましたとも。ですが、当時を知る人間は私たち以外にも少なからずいます。そこから証言を得たのでしょう。かん口令を敷いたはずですが、やはり人の口に戸は立てられないものですね」

 口論している間にも、松明は徐々に屋敷に近づいている。

「ドリアムス様。どうされますか」

 アンがフォグの答えを待っている。迷った挙句、フォグは左のカップを選んだ。

「成功すれば、助かるのだな」

「保証します」

 意を決し、フォグはカップの中のお茶を飲み干した。口元を拭い、カップを乱暴に机に置いた。

「さあ、話してもらおうか。分の悪い賭けとやらを」

「ええ、『丁度勝った』ところです」

「どういう意味だ?」

「ご説明します。その前に一つ、お伺いしたいことが」

「なんだ。時間がないのだろう!」

 苛立ち声を荒げるも、アンはどこ吹く風と言わんばかりに平然として、質問を投げかけた。

「アルガリタ王妃の暗殺計画を、事前に知っていましたか?」

「そんなこと、今更どうでもいいだろう! さっさと」

「知っていたのですね?」

 アンの静かな迫力に押され、フォグは口ごもった。

「それが、どうしたというのだ。貴様も知っていたのだろう」

「ええ。ですので、私は未然に防ぐよう、動いておりました。私の雇った傭兵が、暗殺を未然に防ぎ、秘密裏にアウ・ルムへと移送していたのです」

 ですが、とアンは続けた。

「どういうわけか、アウ・ルムの関所で検問が強化され、アウ・ルム内に逃げ込めなかったというのです。仕方なく傭兵たちは第三国へと逃げ込むことにしたようなのですが、なぜか追手がかかっていた。命からがら逃げられたと先ほど情報が入りましたけどね。さて、ここで疑問なのですが、なぜ傭兵たちはアウ・ルムに入れなかったのか、逃げても追手がかかっていたのか。その疑問を、ドリアムス様。どうかこの浅薄な私めにお教えいただけませんか」

 口調は穏やか。しかし、その内に秘めたるは純然たる怒り。フォグの額から、大量の汗が噴き出した。

「無事に私の元まで彼女が到着すれば、ここまで苦労することはなかったのです。プルウィクス側と裏で取引は終わっていたのですから。王妃暗殺にはプルウィクス側が関わっていたから、上手く話を治めることができたはずなのに。あなたの悪事も永遠に表に出ることはなかった。自分の保身のために動いたことが、結果としてご自分の首を絞めたのですよ」

 フェミナンの掟を知っていて? アンがゆっくりと立ち上がり、フォグを見下ろす。

「たとえ王侯貴族であろうが、気に入らなければ袖にする。家族や仲間を傷つけようとするなら、守るために抵抗する。二十年前は私の力が足りず、あの子に全てを背負わせた。けれど、今は違う。私の手はあの子に届いた。今度こそ守るわ」

 自分の置かれている立場を理解したフォグの呼吸が荒くなる。息苦しくなってきた。理由は、彼女の豹変ぶりだけじゃない。胸が苦しい。喉が、焼けるように熱い。いよいよ息苦しくなって床に四つん這いになる。せき込むと、口から赤い塊が飛び出て、びしゃりと床に飛び散った。

「き、貴様、まさか、俺を・・・っ」

 分の悪い賭けではなかったのか。成功すれば助かるのではなかったのか。フォグの目がアンを見上げる。

「分の悪い賭けでしたよ。あなたが私が差し出したお茶を飲むかどうか、そこが賭けでしたの。飲まない場合は、少々強引な手段に出る予定でしたが、出来れば自殺、という形を取りたかったので、飲んでいただいてほっとしております。最後の最後にようやく、私たちに都合よく動いてくれて」

 アンが微笑んだ。聖女のような慈悲深き笑みで死の淵に立つフォグを見つめている。

「約束通り、策をご説明します。あなたが私の提案に乗った場合、あなたは全ての罪を背負い、良心の呵責に苛まれて自殺します。これで、私たち以外にあの子の秘密を知るものはいなくなり、アウ・ルムは守られます」

「馬鹿な、王に、ばれたのでは」

「あれは嘘です。プルウィクスからの抗議の話も嘘。いけませんね。情報はきちんと裏取りをしなくては。悪い女に騙されますよ。まあ、アルガリタを捕えられず、まんまと亡命されたという連絡で凹んでいる時を狙ってきたので、確かめるための気力もなかったでしょうけどね。捜索に全力を注いで確認のための人員もいませんでしたから余計に。目も耳も塞がれ、手足も無い状態では、いかにドリアムス様が有能であっても私の話を吟味するのは難しかったでしょう」

 初めから、この女に仕組まれていたのだ。後悔してももう遅い。フォグには毒を飲まされる前から、彼女の毒が回っていた。おそらく、外の松明の明かりは彼女の仲間の物だ。フォグを焦らせ、頭が回らないようにするための仕掛け。

「ご安心を。二十年前、あなたが守ろうとしたご息女には手出し致しません。あることないこと吹き込んで、田舎の方に逃げていただきます。都会の贅沢はもう味わうことはできませんが、別にいいですよね。これまで我が儘し放題だったのですから。これからは質素倹約で生きていくと良いでしょう。これにて間違いなく、ドリアムス家は助かりますとも」

 あなたの死は無駄にはしませんよ、アンはそう言ってしゃがみ、血で汚れるのも構わずフォグの頬を優しく撫でた。

「あなたの持つ資産は、私たちが活用してあげます。領土は王家管轄に戻るとして、お金は、まあ、下手に持っているとこっちに憲兵隊が来てしまうので、貴族たちへの鼻薬として使わせてもらいましょう。それよりも、あなたが所有していた無駄に広い土地を私たちが利用させていただきます。そこで食物を育て、加工し、販売する。六次産業ってやつを始めようかと思います。あなたが王家に内緒で二重課税を課し、貧困に喘いでいた領地の民を雇うつもりです。彼らも減税され、仕事も増えて大喜びで迎え入れてくれるでしょう。ええ、ええ。全てドリアムス様のおかげですよ。皆があなたを褒め称えることでしょう」

 フォグの意識が朦朧としてきた。彼女の声も遠のいていく。

「これがあなたの選択した最後の策。最後の花道です。今度はあなたが全て背負って、お逝きなさいな」

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