第328話 情報漏洩の犯人と、悪名の真意
「すまない」
茜色に染まる空間の中、二つの人影があった。一人は車椅子に座り、もう一人がそれを押している。車椅子に座る痩せぎすの男が、椅子を押す女性に謝っていた。
「君には本当に悪いと思っている。君の偉業が誰かに称えられることはない。君の苦しみが誰かに理解されることはない」
それでも、と続ける。
「おそらく息子たちだけではプルウィクスの中立を保てない。いずれ均衡は破られる。そうなれば、プルウィクスは炎に包まれる。しかし、口惜しいことに私の体はもういう事を聞かない。この体では政務に関われない。関わろうとしても、すでにラーワーやアウ・ルムの息のかかった者たちが、息子たちと私を引き離すだろう。だから、君に頼みたい。この勤めは、君にしか果たせない。どうかお願いだ。この国を守ってくれ。優しい君に、こんなことを頼むのは本当に酷だと思う」
だが、頼む。痩せぎすの男は、一国の王は、頭を下げた。
「平和のために、死んでくれ」
頭を下げる王に、女は、王の妻は笑顔で応えた。
「お任せください。我が王。必ずや、私たちの国を守って見せます」
どんな手を使っても、あなたが愛した国を燃やさせはしない。
「お久しぶりです。ドンバッハ様」
崖をロープで引き上げられた私たちは、ザジに頭を下げて礼を述べた。数の差と地の利による圧倒的不利を悟ったアウ・ルム軍は口惜しそうに撤退し、私たちは九死に一生を得た。
「助けていただき、感謝いたします。おかげで命拾いしました」
「なんの。私たちがあなた方に受けた恩に比べれば微々たるものです。ほんのわずかでもお返しできたなら幸いです」
「しかし、どうしてここに?」
ドンバッハ領は確かにここから近いが、すぐに来られる距離でもないはずだ。しかも軍を編成して待ち伏せるにはもっと時間がかかるはずなのに。
「私も詳しくは知らないのです。彼らに頼まれまして」
ザジが手招きすると、ラーワー軍の中から二人こちらに近づいてきた。
「よお、死にぞこないの不良娘。ようやっと来やがったか」
笑いながら、一人が兜を外した。
「テーバさん!」
ではもう一人は。視線を向けると、もう一人も兜を外して素顔をさらす。
「お久しぶりです団長。ご無事で何よりです」
「ボブさんも! お久しぶりです。しかし、どうやって私たちのことを?」
疑問をぶつけると、テーバが教えてくれた。
「団長の友達に感謝するんだな。フェミナンのラーワー支店から、俺たちに連絡が入ったんだよ。樹海を突っ切って団長が向かってるから、手助けしてやってほしいってな」
アン。彼女が手を回してくれていたのか。
「前回の依頼で、ドンバッハ様とラーワー南部方面軍に伝手ができていたのも大きかったですね。ドンバッハ様に相談したところ、ご息女の危機でもあるという事ですぐに動いてもらえました。後の問題は団長たちがいる場所だったのですが、大きな火の手が一瞬樹海内で上がったのを見て、おおよその樹海脱出地点を予測して、こうして待っていたわけです。樹海内に入ることも考えられましたが、行き違いになる可能性があったので流石に入れませんでした」
ボブがテーバの話を補足してくれた。彼は樹海内まで捜索を検討したと言っているが、どのみち難しかっただろう。
この辺りの街道までは行軍演習で道を誤ったとか理由をつけて近づけるが、樹海内は完全にベルリー国の領内だ。娘のためとはいえザジにも責任がある。紛争の種をまくわけにはいかなかっただろう。それに、ここまで来てくれただけでも充分すぎるほどだ。
「さて、そちらが件の」
ザジがアルガリタの方を見やる。ある程度の事情を、彼も把握しているのだろうか。息子を支えながらアルガリタが進み出た。
「助けていただき、ありがとうございます。私は」
「お待ちください」
アルガリタが名乗ろうとしたのを、ザジが手で止めた。
「ご事情は伺っております。ですが、本来あなた様はこの場にいてはならぬお方。私どもはあなた様を見ていないし、エスコートもしていない。失礼は重々承知しておりますが、我々にも事情がありますゆえ、どうかお願いいたします」
アルガリタはいまだプルウィクス国内にいることになっている。おそらくコルサナティオは死んだことにするだろう。
名乗ってしまえば、ザジは上官に報告せざるを得ない。そうなれば、死んだことにして秘密裏に亡命した意味がなくなってしまう。
「こちらこそ、ご配慮感謝いたします」
「では、こちらへ。上等なものではないですが、馬車を用意しておりますので。アスカロンの皆さんもお疲れでしょう。どうぞご利用ください」
ザジの案内で私たちは彼らが用意してくれた馬車へ移動する。ここまで休みなしで歩き続けて、体力は限界だった。彼の心遣いに感謝し、団員たちが順に乗り込んでいく。
「いやあ、助かります。本当にありがとうござい・・・」
アスカロン団員が乗り込み、後に続いたサルースの肩を掴む。
「おっと、アカリ団長。どういうつもりです? 僕には歩けと言うつもりで?」
そう言いつつも、こうなる展開を予想していたのか強い拒否はなく、こちらを振り向いた。
「そうじゃないわ。少し、話をしましょう」
「おや、お誘いですか? そいつは断れませんな」
馬車の荷台から手を離し、サルースが着地する。
「団長、僕も」
一緒に来ようとしたムトを「すぐ済むから」と留まらせる。彼だって疲れているのに、私の悪い癖につき合わせることはない。それに、今からしようとしているのはあまり気分のいい話ではないからだ。
ザジたちを先に進ませて、彼らと少し距離を取りながら最後尾を歩く。
「で、話とは何です?」
「話、というか、確認したいことがあって」
「ふむ、それは、返答内容によっては僕を殺す、ということですか?」
冷たい空気が、私たちの間に流れる。
「ええ。そこまで察しているなら、単刀直入に聞くわ」
睨むようにして、横目で隣のフルフェイスに向かって問う。
「王妃を殺すつもり?」
一拍開けて、サルースが口を開く。
「何故です? 僕は、コルサナティオ王女から暗殺を阻止するよう指示を受けて動いていたんですよ? それに、ゾンビから王妃を助けています。殺すつもりなら初めから助けませんが」
「でも、王妃の命を狙う方のアウ・ルム側にも情報を流したのは、あなたでしょう?」
サルースは応えない。しかし、仮面の奥の彼が、にやっと笑った気がした。構わず、私の推測をぶつける。
「コルサナティオ王女の指示で、暗殺阻止のために動いていたのは本当でしょう。なぜなら、プルウィクス国内で、プルウィクス関係者の手によって暗殺が成功すると、プルウィクスの損害になるから。でも、アウ・ルムが王妃を殺害するのは、プルウィクスにとって利益となる。だから情報を流したのでは? きっと、アウ・ルム側は秘密裏に処刑しようとするでしょうが、あなたはそれすらも見越して証拠を掴むのでしょうね。これで、プルウィクスを分裂させる要因が減り、しかもアウ・ルムに貸しを作ることができる。一石二鳥の、それくらいの計画を立てていたのでは?」
少し時間を開けて、サルースはようやく応えた。
「僕は王妃の亡命に力を貸していたつもりなのですがね」
「それだって、プルウィクスに害をなさないから、でしょう?」
「否定はしません。結局のところ、僕はプルウィクスの将なので」
ではきちんと質問に応えましょう。と、サルースが言った。
「今の僕に、王妃を殺害する気は毛頭ありません。また、あなた方が目を光らせている中で決行する度胸も技術もありません。これでよろしいでしょうか?」
「信用していいのね?」
「もちろん。女性に嘘はつけない性分でして」
「今一つ、ついたようだけど」
あっはっは、とサルースは笑ってごまかした。
「プルウィクスの絡新婦という悪名、ご存じですか?」
突然話が切り替わった。どういう話の流れになるのか見当もつかないので、一応は、と相手の出方を見守る。
「この悪名、出所は王妃です」
「ご自身で、自分の株を下げていたと? どうして?」
「シーバッファ王と王妃との間で、何らかの取引が行われ、彼女はプルウィクスを守るためにいくつもの仕掛けを施しています。悪名もその一つ。おそらく彼女は、自分が殺されることも一つの仕掛けとして置いておきたかったんですよ。悪名高き王妃が死んでも、誰も悲しまない。プルウィクスに悪影響は及ぼさない。が、死ぬ場所によってはアウ・ルムに対する優位な交渉材料の一つになると考えていたようです」
自分の命すら利用して、プルウィクスを守ろうとしていたのか。
「ではサルース殿は、王妃の仕掛けに乗っかって行動していた、と?」
「いや、そこまで忠義の臣ではありません。僕は万が一のことを考えて動いていただけです。言い訳になってしまいますが、王妃がアウ・ルム側にも狙われていることを知ったのは情報をアウ・ルム側にもたらした後のことで、本当に偶然でした。色々と争いはしましたがコルサナティオ王女も王妃の死を望んでいませんし、プルウィクスに仇なすことがなければこちらとしては正直生きていようが死のうが構いません。ただどうしても彼女の死には影響が生まれますので、様子見で流れに身を任せて利用しよう、という感じでしょうか」
ここまでアウ・ルムの手が伸びてきたのは想定外でしたが、と項垂れた。
「だから、樹海の中では協力関係にあった、ということ?」
樹海で死なれても、損にも得にもならない。アウ・ルムの手によって殺されるか、そうでなければ生きていてもらった方が得、と考えたのか。
「そういうことです。僕から積極的に命を狙うことはない。可能な限りの協力はする。けれど、死んだらそれまで。彼女の命運がどう転ぶか、まさに運を天に任せたってとこでしょうか。そして、天は彼女に味方した。まるでおとぎ話のようにね。王妃の身分を失い、もしくは解放された彼女のこれからがどうなるのか」
楽しみですねえ、と、物語の続きを待ちわびるような口調で、サルースが前の馬車を見ていた。おそらくは、ラーワーに彼女を引き取らせた場合の策も用意しているはずだ。弱みとして使うのか、潜り込ませた楔として使うつもりなのか、そこまではわからない。
ただ、アルガリタもサルースのそういう狙いに気づいているだろう。気づいているなら、逆手にとって利用する。彼女はそれができる逸材だ。
「一つ確実なのは」
つられて馬車を見ながら、私は確信を持って言えることを口にする。
「これからも生き抜くでしょう。強かに」
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