第327話 人事を尽くしきった先に

 ラーワーまで、残り五キロ。

 足は限界にきていた。息も上がっている。体はもう休ませてくれと訴えていた。だが、後ろから聞こえてくる鎧の擦れる金属音や、草木がかき分けられ踏み荒らされる音が、休むことを許してくれない。敵が近づいて来ているのだ。

 何度も木の根に足を取られて転びそうになるアルガリタとピウディスを、転倒前に服を掴んで引っ張り上げ、空中で体勢を立て直させる。最初は礼を述べていた二人だが、今はもう言葉どころか呼吸するのも辛そうだ。

「もう少しで、樹海を、抜けるから」

 二人を励まし、ひたすら前に進む。樹海を抜ければ、まもなくラーワーだ。走りやすさも樹海とは比べ物にならないはず。

 時間稼ぎをしてくれたムトたちは無事だろうか。囚われるならまだ良い。最悪殺されて。

 いや、と最悪の考えを捨てる。彼は必ず追いつくと言った。それだけの実力が彼にはある。団員たちと一緒に、必ずラーワーで合流できるはずだ。また、彼と一緒にサルースが残っている。プルウィクスのファルサ将軍お墨付きの有能な男は、将軍に策略なら自分以上だと言わしめた。その手腕は私自身も目の当たりにしている。彼がいれば引き際を誤ることもない。

 むしろ、心配なのはこちらだ。アルガリタが逃げきれなければ、彼らの努力は、これまでの全ては台無しになる。

 遠くに、光が差し込んでいるのが見えた。樹海の切れ目だ。

「もう少しだから!」

 二人の背中を押して、少しでも早く近づけようとする。二人も光に気づいた。悲壮な表情に少しだけ希望が灯る。希望があれば、人はまだ前を向けるものだ。

「いたぞ!」

 右手後方より、追手が見えた。舌打ちしつつ距離を測る。罠を潜り抜けて追いついてきた。もとより数が違う。潜り抜けてくる敵がいても仕方ない。

「お命、頂戴!」

 距離を詰めてきたアウ・ルム兵が抜刀し、上段に構えてこちらに飛び掛かってきた。

「お断りよ」

 ナトゥラをライフルモードへ変更し、飛んできた相手の胸元に銃口を向ける。容赦なく発砲。ガン、と派手な音を立てて、鎧に穴が空き、穴を中心にして亀裂が走る。もんどりうってアウ・ルム兵が後方へ転がっていく。

 一人倒しても安心はできない。倒れた仲間を飛び越えて、今度は三人追いすがってきた。ボルトアクションでナトゥラをすぐに撃てるように準備する。相手も警戒し、少し離れた場所で並走している。走りながらでは、木が邪魔をして当てられない。向こうもこちらが一発撃てば次弾を撃つまでに時間がかかることを理解しているようだ。こちらを焦らせ、撃たせた後に一気に詰めてくるつもりだろう。一人倒せてももう二人に同時にかかられれば捕まってしまう。

 左右に気を配っていると、右手にいた一人が急に倒れた。続いて左、真後ろと次々と転倒する。三人とも躓いた、わけではない。その背中を踏んで、別の影が現れた。

「すみません、遅くなりました!」

「ムト君! イーナ! 皆!」

 罠を仕掛けていたムト、イーナたちが追いついた。

「僕のことも、忘れないでくださいねぇ!」

 彼らの後ろから、サルースの声が聞こえる。更にその後ろから、アウ・ルム兵の軍勢が、今度は数十人単位で迫っていた。

「囮になって時間を稼ぐという話はどうしたんですか!?」

「無茶言わんでください! 後ろ見えてねえんで?! 時間もないのにこの人数で押さえきれるわけねえでしょう!」

 もちろん冗談だ。半分は。

「王妃たちを守り抜きます! 周囲を固めて! 国境さえ超えれば私たちの勝ちよ!」

「「「応!」」」

 ムトたちにアルガリタを任せ、後退する。最後尾につけて、弾丸を放って牽制する。木の幹に弾痕を残すにとどまるが、ひるませることに成功した。こちらが遠距離から狙えるという事さえわからせればいい。私一人では脅威にはならなくとも、私たちが多ければ、誰が撃てるのかでも迷いが生じる。私たち全員が撃てると勘違いさせられれば上等だ。

 想定通り相手の足が少し鈍った。こちらとの距離を一定に保っている。

「樹海が終わるぞ!」

 先頭の団員が指さす。樹海の終わりはもう間もなくだ。

「先に行ってください!」

 手持ち最後の閃光手榴弾を後方に投げる。空中ではじけた閃光が相手の影を樹海内に生み出す。ひるんだところにもう一発、先頭にいた兵に向けて銃弾を放つ。左の肩当てに命中し、兵が仰け反って倒れた。それを見届け、私も樹海を脱出する。体にまとわりついていた湿気まで樹海に置いてきたかのような爽快感だ。後ろを警戒しつつ、先を行く団員たちに追いつき・・・

 いや、流石に追いつくのが早すぎやしないか。

 見れば、団員たちが立ち止まってしまっている。

「皆、どうし」

 言葉が途切れた。道も途切れていた。

 私たちの目の前に、断崖絶壁が聳え立っていた。左右に視線を巡らせても、十メートル以上の垂直の壁が反り立っている。

「何で・・・」

 唖然としている間に、軍靴が奏でる足音が私たちを取り囲んだ。理解できないまま、私たちはアルガリタを中心として身構える。

 そうか、この世界に等高線の地図なんてあるわけない。ティゲルでもそこまでは読めなかったか。もしくはがけ崩れか何かで斜面がなくなっていたかだ。

 なら、先に逃げた彼女たちはどこに行った。ジュールの狙撃の位置と戦場は少し離れていた。違う場所から同じ角度で北北西に向かえば、樹海の出口にもずれが生じる。もしかして崖ではなく、崖の上に出られる坂道の部分に辿り着けたのか。

「もう逃げられんぞ」

 包囲したアウ・ルム兵が言った。

「諦めて、王妃を渡せ。そうすれば見逃してやる」

「王妃を捕えてどうするつもり? あなたたちの国の貴族でもあるのでしょう? とても、国賓を迎える態度には見えないわ」

 質問しながら策を考える。崖の高さは目算で十メートルほど。アレーナが届かない距離じゃない。団員たちに時間を稼いでもらい、その間にアルガリタ達を逃がす。彼女らが手に入らなければ、アウ・ルム軍も私たちと戦う理由がなくなる、が。守っている間に少なくない犠牲が出る。

「お前たちに、教える必要はない」

 案の定素っ気ない返答が来た。いよいよ決断をしなければならない。一塊になって切り抜ける強硬策をとるか、アルガリタ達をアレーナで押し上げるか。

 晴天の中、すっと影が差した。

 なぜか、アウ・ルム軍がたじろいだ。彼らの視線は、私たちではなく、私たちの頭上の方へと向けられている。体の向きはそのままに、ゆっくりと見上げた。

 白を基調とした旗がたなびいていた。掲げるは、これまた白で染め上げられた鎧を纏う兵士たち。

「こいつは、壮観だ」

 サルースが口笛を吹いた。崖の上に陣取る兵たちの中から、一人が前に出た。この部隊を率いている隊長なのだろう。よく通る声で眼下のアウ・ルム軍に通告する。

「アウ・ルム軍に告ぐ。諸君らの行動は、我らラーワーの権利を脅かしている。即刻退去されたし」

 聞いたことのある声だ。退去勧告に対し、負けじとアウ・ルム軍からも声が上がる。

「異なことを申される。ここはまだラーワーの領内ではないはず。貴殿の通告に従う義理はない」

「ほう、では貴殿は、ここをどこの領土だというのだ? アウ・ルム領内であるはずがないよな。ではアウ・ルム軍の貴殿らは、どう言った理由でここまで足を運ばれたのだ? アウ・ルム軍がラーワー国境付近で軍事行動をしている、その意味は分かっておられるのか。わかったうえで、そちらの婦女子を追い回す、正当な理由を教えてくれ。納得がいけば、こちらは退くこともやぶさかではないが」

「それは」

 アウ・ルム軍が口ごもった。言えるわけがない。アルガリタを追い回していたと正直に話せば、ではなぜ自国の貴族を追い回しているのかという話に繋がり、ひいてはアウ・ルムの弱みとなる。

「そ、そちらこそ、なぜ我らの邪魔をする。そちらには関係ないはずだ」

「関係大ありだ。我らラーワー軍は、樹海に迷い込んだラーワーの民を守るために行動している」

 ラーワー軍の隊長が兜を脱いだ。その懐かしい顔を見て、思わず顔がほころんだ。

「ドンバッハ様!」

 ティゲルの父親、ラーワー貴族ザジ・ドンバッハその人だった。彼の後ろからティゲル、そしてプラエたちが顔を覗かせた。先に救助されていたのか。無事な姿にほっと息をつく。

「彼らラーワーの危機を幾度となく救ってくれた恩人である。同胞と呼んで差支えない間柄だ。民を危険から守るための、防衛としての武力行使は認められている。ゆえにラーワーの権利だと通告した。さて、そちらは我らの同胞に牙をむく権利をお持ちかな?」

「く、ここまで来て」

 諦めきれないアウ・ルム軍は武器を抜く。ザジが「ほう」と口の端を釣り上げた。

「大人しく退去する意思はない、という事か。であるなら、仕方ない」

 ザジが手を上げた。ざざっと崖際に並んだ兵たちが、一斉にアウ・ルム軍に向かって矢をつがえた。自軍の倍以上の射手による、高所からの一斉射撃に対抗する手段は、彼らにはない。

「これが最後の警告だ。命が惜しければ、引くがいい」

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