第325話 勝利の鍵は過去にあり

「なんだこれは」

 シーバッファ王が眠っているピウディスの頭を撫でる。

「可愛いでしょう?」

 苦笑しながら、アルガリタが二人に寄り添う。三人で過ごした儚くも、確かに存在した幸福な時間。

「ルシャが残した、別世界の将軍の物語を毎日読み聞かせていたら、どうやらお気に入りの場面に反応するみたいになったみたいで」

「それで、これか?」

 呆れながらも、どこか楽し気にシーバッファ王がピウディスを見下ろす。

「眠っている状況でも聞こえるのか?」

「そうみたい」

「しかしなあ、アルガリタよ。この子の場合、身分としては逆じゃないのか。セリフを言う立場のはずだろう? 何で言われる側なんだ?」

「面白いから良いんじゃないかしら。私も見ていて楽しいし」

「もしかして、これが見せたかったものか?」

「ええ。弱気になっているあなたには、一番の薬でしょう」

 何一つ悪びれず、アルガリタは言った。病に侵され、体を起こすのも辛いのに無理やり起こされ、車椅子に乗せて連れてこられ、どんな一大事かと思いきや、見せられたのは息子の妙ちくりんな習性だ。手すりの上に置かれた、王の細くなった手がわなわなと震える。

 シーバッファ王は大笑した。ここ数年で一番の笑い声だった。可笑しくて楽しくて、幸せで、捨てたはずの未練が沸き出した。ぜいぜいと息をつきながら王は言った。

「ああ、畜生。もっと生きていたいなぁ」

「生きられますわ。こんな面白い姿を、もっともっと見たいでしょう?」

「ああ、そうだな。見ていたい。寝込んでいる場合ではないな。そなたと共に、プルウィクスの新たな時代を見届けるまで、死んでたまるものかよ」

 肩に添えられた王妃の手を力強く掴む。その手をさらに上から王妃の手が優しく包み込んだ。

「私は、生きる。最後まで生きるぞ。助力を頼む。我が妻。愛しき共犯者よ」

「もちろんです。何でもお手伝いいたしましょう」


 ――――――――――


「どうしてここに!」

 先を行くアルガリタの背にアカリが問いかける。先ほどの会話から、プラエの作戦のための時間稼ぎで来たものと彼女は考えていた。すぐに退くと思われたアルガリタは、ところがどっこい最前線へと駆けていく。

「伊達や酔狂でここまで来たわけじゃないわ!」

 一足早く、アルガリタが巨人のもとに辿り着く。

「私が、成功率を上げるための最後の鍵よ!」

 プラエの作戦通り、体を流れる信号を阻害されて動けない巨人に向かってアルガリタは叫ぶ。

「聞こえる! ピウディス!」

『く、はは、王妃、血迷ったか! 無駄無駄、聞こえるわけがない。王子は今、ゆりかごの中で眠っているようなものだ!』

 エレテが嗤う。そして巨人も、末端から少しずつ再起動していく。トニトルスによる阻害から復活しつつある。このままでは、動き出した巨人によってアルガリタが潰されてしまう。そのことがわかっているのに、アルガリタは動かない。巨人など目に入っていない。エレテの声など耳に届いていない。彼女の全ては息子に注がれている。

「いい? ピウディス。あなたが存在しちゃいけないなんて、そんなことあるはずない。あなたがどれだけ私たちの愛情を受けて育ってきたと思ってるの。あなたの成長を王がどれほど見届けたかったか。死を覚悟していた王が、あなたと共に生きられないことをどれほど未練に思っていたか。今、私が証明する。私たち三人が過ごした、かけがえのない日々を思い出させてあげる」

 アルガリタが大きく息を吸った。


「余の顔、見忘れたかぁあああああああああああああああああ!」


 赤い球体の中、ピウディスは微睡んでいた。真っ暗闇の中、何も考えず、ただ眠っていた。彼の名を、誰かが呼んでいる。

 起こさないで。苦しみと悲しみばかりの現実に呼び戻さないで。誰も自分のことなど必要としていないのだから。

 しかし、声は呼び続ける。意識が徐々に、望まぬ覚醒へと向かっている。強引に眠りへと引き返そうとしたとき、鶴の一声が耳を劈いた。


『余の顔、見忘れたかぁあああああああああああああああああ!』


 記憶が一気に蘇る。かつて母に何度も読み聞かせてもらった、異界に存在した将軍の物語。市井に遊び人として潜り込み、オエドと呼ばれる世界に蔓延る悪を、ばったばったと成敗した英雄の登場シーンだ。

「ウエサマー!」

 ピウディスは物語の悪党と同じように、その場で反射的に平伏した。



 音は後からやってきた。

 電磁力の原理で放たれた弾丸が音速を超える速さで飛来し、巨人の防壁をやすやすと貫く。発生した衝撃波がアルガリタの細い体を吹き飛ばす。後ろにいたアカリが彼女をキャッチし、抱きかかえながら地面を転がる。

 体を起こしたアカリの目に映ったのは、人が通れそうな穴を胸に開けた巨人が、許しを請うように膝をつき、項垂れている姿だった。

 気を失ったアルガリタをそっと横たえ、彼女は走った。この好機を逃すわけにはいかない。アレーナを伸ばし、巨人の胸に手をかける。おぞましいゾンビも、麻痺しているのか動かない。吐き気をこらえながら穴に潜り込み、赤い球体の中に上半身を突っ込む。

 ピウディスは何故か土下座の体勢で浮いていた。いや、吉宗公が現れたら誰だって平伏する。リムスにまで暴れっぷりが轟く将軍様に敬意を表しつつ、ピウディスを掴み、引き上げる。

『き、貴様らぁ!』

 巨人が再起動し、急に立ち上がる。不安定な体勢だったアカリが、ピウディスを抱えたまま片手一本でぶら下がる。

「アカリ団長!」

 振り返れば、サルースが両手を開いて待ち受けている。彼に向けて、アカリはピウディスを放り投げた。放物線を描いて落ちてくるピウディスを、サルースがキャッチする。

『王子を、返せ! それは、私の物だ!』

 巨人がサルースに向かって手を伸ばす。魔力の供給を断たれたからか、その動きはぎこちなく、遅い。

「違う」

 サルースの腕が変化する。魔力を流された魔導義手は、刀身の反った長い剣、彼の師ファルサが得意とする刀へと変わる。体を傾け、重力を推進力に変える体移動を駆使し巨人の腕の下に潜り込んだサルースは、刀を一閃させた。

「王子の全ては、王子自身のものだ。腐れ外道の物であるなど、断じてありえない」

 ずるり、と一拍置いて巨人の腕が肘の辺りからずれていく。手は何も掴めずに地に落ちた。

「空でも掴んでろよ」

『お、の、れぇええ!』

 それでもまだ足掻く巨人。

「焦るあまり、足元が見えてないようね」

 正確には胸元だけど、とアカリは言った。彼女の手のナトゥラは、敵を屠るために最適な形状へとすでに変化している。

「塵は塵に、さっさと還れ」

 パイルバンカーが残った赤い球体へと突き刺さる。流し込まれた熱が赤い管を通って巨人の全身を駆け巡る。体を構成していたゾンビ全てを荼毘に付された。

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