第316話 身元調査

「君は、誰だ?」

 結婚初夜、二人きりの王の居室で、私たちは対峙していた。輿入れし、結婚式を終え、頭も体も疲弊しきっていた。そんな時に、その言葉が首筋に突き付けられたナイフ代わりに私の動きを封じた。油断しきったところへの強襲。戦いなら一気に趨勢が決まるだろう。

「嫌ですわ陛下。今日妻になった者をお忘れですか。冗談にしては」

「冗談ではない。いや、冗談みたいな話なのかな」

 王は穏やかな笑みを湛え、しかし私の目をじっと見つめていた。

「私も王と呼ばれる人種だ。それなりに、人を見る目はあると自負している」

「それなり、だなんて。賢王と名高きシーバッファ王がご謙遜を」

「そして、記憶力もそれなりにあると思っている」

 称賛を無視して、王は言う。

「実は、あなたと以前お会いしたことがある。アウ・ルムでの会談のことだ。王城の庭園にて、御父上を待つあなたに会い、挨拶を交わした」

 笑みに、わずかながら昏い色が混じる。

「幼子がこんな目をするのかと思った。いや、幼子だからこそだろうかな。純粋に、思っていることがそのまま態度に現れていた。その目は、明らかに私を侮蔑し、下に見ていた。小国の王は自ら他国へ赴き、頭を垂れて回らなければならないのだ、力がないとは、弱いとは、なんと惨めで可哀そうなことだろうか、こうはなりたくない、とね」

「誤解でございます。そんなこと露ほどにも思ったことはありませんわ」

 そうなのだ、と王は手をポンと叩いた。

「そこが奇妙なのだよ。君が言っている事は、きっと真実だと思う。なぜなら君の目には、あの時のような哀れみと侮蔑が全く含まれていないのだ。代わりに覚悟が居座っている。誰かのために、どんな手を使っても使命を果たさんとする決死の目だ。三つ子の魂百まで、というルシャの言葉があるが、まさしくその通りだと私は思っている。どれほど時が経とうと、人はそうは変わらん。あの目をした子どもは、きっと今もあの目をしている。であるなら、私の目の前にいる君は、あの子どもとは別人だ。幾ら姿かたちを似せようが、誤魔化せはしない」

 目の前が真っ暗になりそうだった。だが、ここで屈するわけにはいかない。考えろ。考えろ。王は確信をもって偽物だと見抜いている。であるならここから私がアルガリタであると信じ込ませるのはほぼ不可能。でも、まだ終わりではない。

 情に訴えるのは、おそらく無意味。無意味ではないが、いいようにこき使われてしまうだろう。向こうに主導権を渡したままでは、トカゲのしっぽ切りとして使われて終わり。いつか私が守るべき者たちに迷惑をかけてしまうかもしれない。それだけは避けたい。

 舌で唇を濡らす。かつて私の親代わりの人も、領主から理不尽な要求を突き付けられたが、交渉することで領主に取り入り、店を発展させた。薄氷を渡り生き抜いて、私たちを守ってくれた。その親にできて、育てられた私にできないはずがない。引きつりそうな笑顔を張り付け、胸を張る。

「いいえ、陛下。私『が』アルガリタです」

「・・・ほう?」

 王が顎に手を当て、こちらを品定めしている。よし、聞く体勢になった。ひとまず話を聞き終えるまでは、衛兵は呼ばれないだろう。

 主導権を握られるのではなく、対等な相手として王の隣に立つ。これがベスト。かの賢王が結婚式やパレードなど、公の前で私の正体を暴露しなかったのには訳があるはず。そこを見極め交渉し、可能な限り譲歩させる。

「陛下はおっしゃいましたね。人間はそうは変わらんと」

「ああ。中身は変わらないものだ。だから」

「『そうは』です。ごくまれに変わることがあります。あなたと別れてから、様々な経験をし、己の未熟さを知り、努力を重ねて生まれ変わった、いわば私は新・アルガリタです」

「新・・・」

「ということにした方が、あなたの為になります」

 笑みを深め、挑発するように王に向かって一歩踏み出す。

「どういう意味か。説明を求める。どう、私の為になるのか、じっくり聞きたいね」

 王も楽しくなってきたのか、足を組んで口の片端を釣り上げた。その彼にしなだれかかるようにして覆いかぶさり、耳元で囁く。

「もちろんです陛下。お聞きになった後、きっとあなたは三流以下の貴族アルガリタよりも、私を妻にしてよかったと心から思うでしょう」




「まあ、そんな些末なこと、今はどうでもいいでしょう。さ、サルース。話を続けなさい」

 仮にも王妃だった自分が貴族ですらないという衝撃の告白を、どうでもいいこととして流せるわけがない。現に私はまだ衝撃から立ち直れていない。

「いや、王妃。流石にこの重大な事実を些末なこととして片付けるのは無理がありますって」

 サルースも苦笑いだ。

「せめて、そうなった経緯ぐらい説明していただかないと、事前情報のあった僕はともかく、アスカロンの皆さんが情報過多でパニックですよ」

「そう? 別に大した話じゃないのよ? 簡単に説明すると、もともと嫁ぐはずだった本物のアルガリタが、土壇場になって田舎の小国になんか嫁ぎたくないと駄々をこねたの。普通そんな我が儘通るわけないんだけど、貴族の力とコネを存分に使った結果、フェミナンにアルガリタそっくりの娼婦見習いがいるとわかった。これ幸いと見習いにアルガリタの全情報を叩き込み嫁がせた」

 大したことしかない・・・。彼女と私とでは認識に大きなズレでもあるのだろうか。もしそうなら、諦めよう。住む世界が違う、という言葉があるが、あれはきっとこういう個々人が持つ常識や認識のズレのことだ。同じ人種でも宇宙人と話しているようなものに近い。これだから常識のない貴族は困る。貴族じゃないけど。

「それが、王妃なんですね」

「その通り。だから、アウ・ルムで私を血眼になって探していた理由も想像がつく。偽物に帰ってこられたら、困ったことになる人間が多数いるから」

 だから、アウ・ルム領内に入るのを警戒していたのか。

 当時の話が彼女の口から漏れただけでも大スキャンダルだ。替え玉を使った張本人である貴族は失脚することになるし、アウ・ルムはプルウィクスから多額の慰謝料を求められることになるだろう。当時であればバレたとしても知らぬ存ぜぬで通せたが、今は情勢が違う。力関係に差がなくなった今、弱みや貸しは致命的になりうる。

「それならそうと、検問の時に言ってくださればよかったのに」

「ごめんなさいね。正直、あの時はまだあなた方を信用できなかった。ピウディスもいたし、全てを打ち明けるわけにはいかなかったのよ」

 目覚めて目の前にいるのが見知らぬ傭兵だったのだから、仕方ないことかもしれない。

 アルガリタの生い立ちについてはわかった。いや、まだ色々と聞きたいことがあるのだが、一旦保留する。

「ここからは僕が話を引き継ぎます」

 アルガリタからサルースへと話し手が変わる。

「先ほども話したように、元々僕は王女の命令で、暗殺やアウ・ルムとの戦いを未然に防ぐために動いていました。死んだ後に見つかる予定だった王妃とアウ・ルムとのやり取りの証拠を消し、そもそも誰が暗殺なんて大それた計画を立てたのか、主犯は誰かと調べていました。その過程で王妃の過去に関する情報を得たわけです」

「よく見つけたわね。シーバッファ王は慎重な方だったから、そういう醜聞に繋がりそうな情報は丁寧に消していたと思ったのだけど」

「ええ。流石の僕も苦労しましたよ。けど、王族ですら簡単に改編することができず、内容の全てを把握出来ないものが、プルウィクスには存在します」

「なるほど、研究所の保管資料ね。メリトゥムを埋め込む手術をする際、どうしても本人確認が必要になる過程がある。アルガリタではなく、私の本名がね。嘘をつくと脳波が乱れて失敗するとかで脅されて、仕方なく」

 盲点だったわ、とアルガリタは言った。

「ま、そこでもシーバッファ王は情報を制御しようとしていましたけどね。記録には、王妃のことは年齢や性別、身長、体重などの身体の数値の他、手術が成功した、という一文くらいで、ほとんど記載されていませんでした。ですが、そこが逆に怪しい。ちょっとした雑談すら記録係は様子と共に記録するのに。なので当時の研究所の魔術師たちを片っ端から当たりました。それだけでなく、フェミナンに情報を流すついでに王妃の過去も調べてやろうとアウ・ルム領内を調べ回った結果、王妃が別人であるという確信を得たわけです」

 話を暗殺計画の方に戻しますね、とサルースは言った。

「さて、色々と探った結果、同盟国のどこかがプルウィクス王族の誰かを焚きつけて、今回の計画を立てたところまでは何とか。ですがそれ以上は情報が途切れてしまい、追えずに断念しました。まあ、ゾンビになっちゃったベルリー兵の存在が、答えを言ってるようなもんですけど、その時の僕には知る由もなかったので。で、仕方なく、王女にプルウィクス内部の裏切り者をあぶりだすことを任せちゃって、僕はもう一つの可能性の方を追うことにしました」

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