第312話 対ゾンビ戦闘、開始

「飲んでいれば、全ての苦しみから解放されていたものを」

 減っていないコップの中のお茶を見て、悲しそうにエレテが言った。奴に対しナトゥラを構える。団員たちも油断なくエレテたちに武器を突き付けた。

「苦しみから解放されるのと、何も感じられなくなるというのは、同じ意味ではないわ」

 ベルリー兵の様子は明らかに尋常ではない。動いてはいるが、そこに本人たちの意識が介在しているようには見受けられない。まるで操られているかのようだ。

「外の兵士たちにも、お茶を振舞ったの?」

「そうだ。お前たちを待ち伏せるためか、急いできたようでな。ずいぶんと喉が渇いていたらしい。なのでたらふく馳走してやった。お前たちみたいに勘のいい奴も少なからずいたが、そこは住民たちが手伝ってやった。今では私の良き協力者だ」

 ジュールが見つけた血の跡は、抵抗した彼らの血か。

「思い出したわ」

 アルガリタが息子を背に隠しながらエレテに告げた。

「あなた、研究所にいた国家魔術師の一人ね。ずいぶんと顔が違うから気づかなかった」

「大勢の国家魔術師がいる中、私の声を覚えてくださっていたとは。恐悦至極に存じますよ。王妃。これでは顔を変えた意味がありませんな」

 恭しく頭を垂れるが、そこに尊崇の念はない。対して、アルガリタの表情が険しいものになっていく。彼女の警戒もどこ吹く風、エレテは視線を巡らせ、彼女の後ろにいるピウディスに焦点を当て、じっと観察していた。

「しかし、上手に育てられましたなぁ。私の計算では、五年生きられる確率は五割ほどだったが。王も私の見立てを超えて長く生きられました。やはりあなたは、男の扱いが上手いと見える」

「やめなさい」

 珍しく、アルガリタが鋭い声を発した。これは失礼、と悪びれる様子なくエレテは嗤った。邪悪な笑みだ。アルガリタたちを庇うようにして前に立つ。

「どうして国家魔術師が顔を変えてまでこんな樹海に? さっき話してた禁忌とやらが関係しているの?」

「ああ、そうだ。全く理解できん話さ。史上初の偉業を成したというのにな」

「史上初?」

 興味が勝ったか、プラエがジュールの後ろからこそっと顔を出した。危ないからと周りの団員たちにすぐに後ろへと押しやられている。

「教えても良いが、本当に良いのかな? 王妃」

 エレテがアルガリタの顔を見た。彼女は答えない。全員の目が、王妃に集中する。

「母上?」

 ピウディスも、不安げな目で彼女を見上げ、その裾を掴んでいた。

「おや、王妃。もしかして、まだご子息に打ち明けておられないのか?」

 わざとらしく驚いた顔を作って、エレテが両手を広げた。

「やめなさいと、言ったはずよ」

「なぜ隠すので? これは、王子の出生にも関わってくる大事な話だぞ」

「僕の? 母上、どういう事です」

 しかし、アルガリタは答えない。答えられないように感じた。

「くくく、忠義に厚いことだ。律儀にシーバッファ王の命令を守ってらっしゃるのか。多くの者に恨まれ、憎まれ、蔑まれ、挙句命すら狙われても、なお」

 シーバッファ王の命令? どういうことだ。彼女はアウ・ルムの刺客ではないのか。

「お喋りの長い男は、嫌われるわよ。・・・アカリ団長」

 アルガリタが小声で話しかけてきた。

「後で必ず説明する。事ここに至って黙っているつもりはない。だから今は」

「わかっています。ここから脱出、ですね」

「お願い。奴の話を、この子に聞かせたくない。どうせ知るなら、私の口から伝えたいの」

 頷き、後ろ手に団員たちにハンドサインを送る。臨戦態勢で、いつでも強行突破出来る準備をしておく。住民が入ってきたということは、エレテの後ろには外へ続くドアがあるということだ。もちろん同じように裏側も囲まれているかもしれないが、目の前のエレテを討つなり人質にするなりすれば、打開は可能のはずだ。目の前の敵はエレテを入れて三名。取り押さえられない数じゃない。

 私たちが虎視眈々と狙っているのに気付いているはずなのに、エレテは余裕の表情を崩さない。

「私はあなたに感謝していますよ、王妃。我が野望の成就に必要な駒を、ここまで運んできてくれたのだからな」

 奴が口に小さな何か、犬笛のようなものを咥えた。ギン、と横面を張られたみたいな嫌な音が鳴る。音源はこの笛だったのか。

 後ろにいた住民がエレテの前に出た。ぎょろぎょろ目玉を動かしながら、荒い呼気を吐いて、歯をむき出しにしてこちらに襲い掛かってきた。振り回す両手を掻い潜り、突っ込んできた住民の胸に飛び込んでカウンター気味にナトゥラを突き刺す。確実に致命傷を与えた、だが。

「離れろ団長!」

 ジュールが叫ぶ。住民は突き刺さったナトゥラを意にも介さず、こちらを掴もうとしてきた。ナトゥラから手を放し、相手を蹴り飛ばしつつ距離を取る。住民は腹に刺さったナトゥラの刃の部分を掴み、強引に抜いた。血が飛び散り、裂けた部分から内臓が零れ落ちているのだが、立っている。致命傷どころか、死んでいてもおかしくない傷を受けて、平然とナトゥラの柄を握った。

「こいつ、もしかしてゾンビか」

 パルシーに寄生され、新たな寄生先、餌を確保するために周囲の生物を襲う化け物。別の生物を襲うのは新たな宿主や餌を得るための、いわば本能による行動だ。なのに今のこいつらは、エレテの笛の指示に従ったように見えた。しかも、人の武器を奪って使おうとしている。寄生虫にこんな知恵があるのか?

 私の疑問を察したか、自慢げにエレテが語る。

「私の研究成果さ。この笛でゾンビを操っている。正確には少し違うのだが、まあ、お前たちの様な学のなさそうな連中にはその程度の理解で充分だろう。それに、どうせここで死ぬ」

 ナトゥラを奪ったゾンビが、こちらに切りかかってきた。急所以外では死なない、それだけでも敵としては脅威ではある。加えて武器を操るある程度の知恵まである。が。

「倒せないわけではない」

 ある程度の知恵しかないともいえる。上から、下へ。単調な斬撃を躱すのは容易い。半身で避け、アレーナをゾンビの腕に叩きつける。ゾンビは出している力に対して、腕の耐久力が適応できていないのか、もしくは腐っていたのか簡単にへし折れた。ナトゥラがゾンビの手から離れる。すぐさま奪い返し、今度は刃を首筋へと滑り込ませた。頭を失ったゾンビの体は力を失い、その場に崩れ落ちる。

 もう一体がジュールの方へとよだれを垂らしながら飛び掛かる。うへえ、と悲鳴をあげながらも、ジュールは即座に対応した。ウガッカの縄部分を相手の足に巻き付け転倒させ、上から杭の部分を頭に突き刺す。脳を破壊され、ゾンビは沈黙した。

「エレテは?」

 脅威ではなくなったゾンビから視線を戻すと、エレテがいつの間にかいなくなっていた。逃げたのか。

 どん、と背後のドアが震えた。さっきの笛はこの場のゾンビだけではなく、外にいた連中も操っていたようだ。ゾンビたちがドアに殺到している。

「ドアを塞げ!」

 ムトの声に応えて、ゲオーロや団員たちが数人がかりでドアを抑える。

「窓から来てる!」

 プラエが叫んだ。壁をよじ登り、窓に頭を突っ込んでいる。イーナがすぐさま近づき、短刀を首に突き入れる。そのままクルリと円を描くように短刀の柄を動かすと、ごろりと首が落ちた。窓に張り付いていたゾンビの四肢から力が抜け、外側へと転げ落ちていく。

「ふむ、柔らかい。私の力でも大丈夫そう」

 自分の手柄を誇るでもなく、淡々と短刀を振って血のりを飛ばす。あまりにも見事な手際に、見ていた団員が唖然としている。その可愛らしさと行為とのギャップに驚いているようだ。彼女もまた、多くの戦いを潜り抜けてきた歴戦のスパイということを再認識した。

 現状を把握し、指示を飛ばす。

「窓とドアを物で塞いで!」

「「「応っ!」」」

 今一番の脅威は外からやってくる大量のゾンビどもだ。

「ジュールさん、先行して家の奥へ。裏口があるはず。安全そうならそっちから逃げます」

「了解だ。確認したら連絡する」

 ジュールが数名の団員を連れて奥へと向かう。

「ジュールさんから連絡が来たら、私たちも順に奥へ」

 話の途中で、壁に穴が開いた。ドアが開かないと見るや、ゾンビたちは壁に斧を叩きつけ、破り始めた。シャイニングじゃあるまいし。隙間から延びた腕を斬り飛ばし、内側に押し込まれた壁を蹴って戻す。他の団員たちも壁に張り付いてゾンビの群れを押し返している。が、こんなもの焼け石に水だ。このまま四方を破られたら、数で押し切られてしまう。

『ジュールだ! こっちにもゾンビはいるが、そっちよりまだ手薄い! 突破できる!』

 待っていた応答が来た。すかさず次の指示を出す。

「ムト君、王妃たち非戦闘員を連れて先に・・・」

 ・・・え?

 周囲を見渡す。だが、肝心の王妃たちがどこにもいない。衆人環視のはずの空間から、忽然と姿を消したのだ。

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