第311話 忘れられない日になりそうだぜ

「ここを越えて、ラーワーへ? はは、そいつは無茶をする」

 エレテが笑いながら私たちの前にコップを置いた。

「すまんが私一人では手が回らない。ポットを置いておくから、好きに飲んでくれ」

 お構いなく、と野太い声が方方から聞こえた。皆と合流し、少し相談した後、私たちは彼の家を訪れた。一番奥にあると教えられて行った先には、他の家の数倍広い平屋があった。私たち全員が入れるほど広いのにエレテ一人しか住んでいないらしい。住居兼、住民たちの寄り合いや宴会などを行うため広いのだそうだ。

「それで、樹海を越える方法なのですが」

「ああ。うむ。ゾンビに関してだが、奴らは音や匂いに敏感だ。音を立てないか、逆に音を立てるんだ。そうだな、例えば長い棒状のようなものを用意して、その先に音が鳴る仕掛けと生肉を吊るす。もし見つかったら自分たちは動かず、仕掛けを鳴らしておびき寄せる。その隙に逃げるか、もしくは頭を落とすんだ。パラシーが寄生しているのは主に頭だ。頭さえ落とせば、体はただの死体に戻る。ただし、頭以外の部位をいくら傷つけようと、ゾンビは怯まないからな。そこだけは気を付けるんだぞ」

「なるほど。後、毒を持つ動植物については」

「基本、派手なものには近づくな。あれは警戒色と言って、自分が毒を持っていると訴えているのだ。もちろんその色を真似る無害な生物もいるが、専門家でもない限り見分けはつかん。近づかないのが無難だ。また、毒を持つ生物は小柄なものが多い。こちらから手出ししなければ逃げていくだろう」

 私が伝えられるのはこんなところだ、とエレテは言った。

「私がついていくことができれば、見分けくらいは手伝ってやれるんだが、村を離れるわけにはいかんのでな。申し訳ないが」

「いえ、充分助かります。ありがとうございます」

「いやいや。それならいいんだ。まあ、見たところ優秀な傭兵団のようだし、年寄りの私がいては逆に足手まといになってしまうか」

 自虐的に笑う彼に、ジュールが手を挙げて尋ねた。

「村長さん。一つ聞いてもいいかな」

「何かな?」

「俺たちの前に、最近誰か来なかった?」

「いや、来なかったと思うが。何故だ?」

「樹海に、足跡があったんだ。俺たちみたいな団体が行軍してきたのか、結構たくさんあったもんでな。先客がいるのかと思ったんだ」

「それは、村の者の足跡じゃないのか? 村の者なら食料を見分けられるから、何度も村と樹海を往復していると思うぞ」

「そうか。かもしれないな」

 納得したか、ジュールは引き下がった。

「追われているのか?」

 エレテが私に尋ねた。

「・・・ええ、まあ。そんなところです。ですので、少しでも誰かが私たちを探しに来た可能性があるなら、早く距離を取らないといけない。残念ですが、休憩はここまでのようです。・・・皆」

 深いため息と掛け声を口から吐きながら団員たちが立ち上がる。

「悪いことは言わん。やめておけ」

 エレテが言った。

「まもなく日が暮れる。夜の樹海は私たちですら入らない。明け方まで休んだ方が身のためだ。特に、その奥にいらっしゃるご婦人に幼子」

 エレテの視線の先にいたのはアルガリタとピウディスだった。

「旅慣れていないのだろう。かなり体力を消耗しているように見受けられる。そんな状態で無理するものではない。休んでいくと良い」

「お気遣いありがとう村長。でも心配はいらないわ。こう見えて体力はそこそこあるの。息子は傭兵団の方が運んでくれているので問題はないし。それよりも、私からも一つ聞いてもいいかしら?」

「構わんよ」

 じっとアルガリタが村長を見つめる。

「どこかで、お会いしたことなかったかしら?」

「ご婦人のような美しい方とお会いしてたら、ボケが始まっている私でも忘れるはずがないさ」

「お上手だこと。でもねえ。私は職業柄、人の顔や名前、後は声を覚えるのが得意なのよ。お顔は確かに、お見かけした事はないのだけど、その声、どこかで聞いたことがあるの。どこだったかしら」

「どこにでもいる、普通の老いぼれの普通のしゃがれ声さ」

 そう言ってエレテは踵を返し、キッチンの方へと足早に戻っていった。私たちは顔を見合わせ、同じ推測をもって頷く。

 エレテはおかしい。

 最初に気づいたのは、ジュールだった。自分たち以外にこの村に到達した集団がいる。足跡だけでなく、微かに血の跡を見つけていた。だから質問した。怪我か何かで立ち寄っているのかもしれない。だが、エレテは私たち以外の来訪を否定した。

 怪しさが積み重なったのは、そのすぐ後のエレテの質問だ。彼は「追われているのか」と私に尋ねた。追っているのか、ではなく。

 後から来た人間が「誰か来なかったか」と質問したら、普通は誰かを追いかけているのではないかと推測する。だが、エレテは「追われているのか?」と尋ねた。私たちが追われている側であることを、村から出ない彼はどこで知ったのか。こうなると、夜が明けるまでここにいろという親切にも裏があると勘ぐってしまう。

 駄目押しは、やはりアルガリタとの会話だ。得意と自分で言うだけあって、彼女の記憶力は高い。五年前の一度しか会っていない私に気づいたくらいだ。その彼女が会ったことがあるかもしれないというなら、それは会ったと考えるべきだ。そもそも、一国の王妃だった女性だ。大勢の人間に顔を知られていてもおかしくない。だから、エレテが何かのイベントで見て知っているとでも言えば、もしかしたらたまたまその時アルガリタもエレテの声を聴いたと解釈できた。だが、彼はまたも否定した。

 怪しいの数え役満になった彼を、私たちはもはや信じることはできない。キッチンに引っ込んだのを見計らって、私たちは立ち上がった。いつでも移動できるように荷物をまとめておいて正解だった。出された茶も口はつけていない。挨拶せずに立ち去る無礼はこの際勘弁してもらい、外へ。

「づっ」

 また耳鳴りだ。三回続けたら気のせいじゃない。耳かどこか不調なのだろうか。依頼が終わったら医者に診てもらうべきだろうか。

 ふと見渡すと、他にも耳を押さえている人間がいた。アルガリタとピウディスだ。アルガリタが自分も耳を押さえながら、顔をしかめるピウディスを心配そうに抱えて声をかけている。他にもジュール、ティゲル、ゲオーロが周囲をきょろきょろ見渡している。私だけでなく、他にも聞こえている人間がいる。何か鳴っていたのか?

 原因を考えるのは後にする。早くここから出るべきだ。だが、ドアは開いているはずなのに入り口付近で渋滞していた。

「どうしたの?」

「団長、まずいです」

 先頭で出たムトがゆっくり後ずさりして戻ってきて、すぐにドアを閉めた。

 入り口近くの出窓に張り付く。覗くと、彼の言っていたまずいの意味が分かった。

「冗談でしょ・・・」

 外には兵士がずらりと並んでいた。掲げられた旗や鎧に彫られている『握手した手』の紋章から、おそらくベルリー兵だ。普段であれば精悍な兵士たちは、およそ生気を感じさせない土気色の顔色をして、どこを向いているのかもわからない虚ろな瞳で、よだれを垂らしている。

「残念だよ」

 後ろを振り返る。住民を侍らせたエレテが立っていた。

「せっかく用意したお茶を、飲まなかったのだな」

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