第310話 人里離れたお約束のような場所

 湿気が幕を張っているかのような、じっとりとした樹海の中を、結局私たちは進んでいた。毒性の高い動植物が多いので、ティゲルに言われた通り肌を露出させない服装を選んだのだが。

「泣けるぜ・・・」

 げんなり顔のジュールが呟いた。彼だけではない。私も、他の団員たちも、アルガリタも顔をしかめている。ちなみにピウディスはプラエが持つ袋の中だ。初めはアルガリタも「そんな危険な場所に入れるつもりなの?」と難色を示した。が、居るだけで体力を削り、危険な動植物に囲まれて歩くよりは体力が温存できるという事で、時々安否確認をするという条件付きで袋の中に入ってもらった。子どもに樹海の行軍はハードすぎるし、小柄だから袋の中でも危険な媒体に触れにくいので安全なはずだ。

 最初の湖を越えたあたりから湿度が酷くなった。引っ付く服をつまんでパタパタさせ、空気を送り込んで少しでも不快感を取り除こうと涙ぐましい努力を続けて入るが、入り込む空気すらも湿り気を帯びているのであまり効果があるようには思えない。気温がそこまで高くないのが救いだろうか。

「じとじとじとじと、服が張り付いて気持ち悪ぃし。まるで水の中だ。いや、いっそ水の中の方が快適じゃないのか?」

「なら飛び込んでみる?」

 イライラした口調でプラエが右手方向に見える川を指さした。川の水は茶色く濁っていて、深いのか浅いのかも、何がいるのかもわからない。

「今なら人食いナマズと一緒に泳げるサービス付きよ?」

「お前が一緒に泳いでくれるなら、喜んで飛び込むぜ?」

「生憎、私は泳げないのよ」

「・・・そんなでけえ浮袋二つもあんのに?」

「魚の餌にされたいらしいわね」

「やめましょう。二人とも」

 二人の間に割って入る。不快感のせいでカリカリしているようだ。樹海に足を踏み入れてから三時間が経過している。想像以上に体力を消費していた。疲れが余計に神経をとがらせているのだ。休憩するなりして気を紛らわせないと、と考えていた時、先頭を行くムトが何かを見つけた。団の進みを止め、彼のもとに走る。

「団長、あれ」

 ムトが指さす方向に望遠鏡を向ける。飛び込んできた光景を一瞬疑ってしまった。無いと思われていたものが、そこにあったからだ。

「もしかして、村?」

 見ている方角には、確かに集落があった。樹海が切り拓かれ、道が敷かれ、家が建てられていた。廃村ではない。うっすらと煙も上がっており、生活している様子が伺える。

「もしかして、ティゲルさんの言っていた犯罪者が落ち延びたっていう」

「かも、しれない。警戒しながら行こう」

 警戒するに越したことはないが、ラーワーまでの道のりはまだまだ長い。交渉次第によっては物資を補給できるかもしれない。安全な道などの情報も得られればなお良しだ。

 他の団員には開けた空間の手前で身を隠して待機してもらい、私とムトで集落を歩く。手前の家のドアが開いた。中から現れたのはどこにでもいそうな、普通の女性だった。服に、スカートに、エプロン。どこにでもいる主婦だ。主婦が私たちに気づいた。

「ろりGAてKAろN」

 指さしながら、このような発言をした。上手く聞き取れなかったのか、聞こえた言葉を上手く理解できない。敵意はないことを示しながら女性に近づく。

「すみません、私たちは怪しい者ではありません。旅の傭兵で」

「う$%&、S&※*#ろ」

「は?」

 ハッキリ聞こえたが、やはり理解できない。おかしい。リムスの言語は統一されていたんじゃないのか。

 ばたん、と他の家のドアも開いた。女性の声に引き寄せられたか、他の住人達もぞろぞろと現れる。普通の服装の、どこにでもいそうな村人だ。彼らに向かって両手を上げ、交渉の前段階、挨拶を交わそうと試みる。

「こんにちは、あの、ただの、旅の、傭兵なん、ですが・・・」

「て@K&%*」

「@R#*な@」

 駄目だ。言葉が通じない。これはもしかして、外界とつながりのない原住民に遭遇したということか。戸惑っている間にも、住民たちは私たちの前に集まってきた。友好的歓迎ムードには程遠い雰囲気が漂っている。逃げるべきか、と後ずさりしかけたところで、突如住民たちの動きが止まった。一瞬、耳鳴りのような嫌な音がしたが、気のせいだろうか。

「さあ、皆。仕事に戻るんだ」

 人垣の向こう側で誰かが、私に理解できる言葉で話した。また一瞬だけ耳鳴りがした。住民たちはその指示に従い、一人、また一人と散開し、順番に家の中に戻っていく。住民たちの壁が消え、残ったのは小柄な老人だった。

「やあ、すまない。驚かせてしまったか」

 老人がこちらに近づいてきた。

「あなたは?」

「エレテ・サラウザという。この集落の村長をさせてもらっている。そちらは?」

「旅の傭兵です。アカリと」

「ムトです」

「おお、そうか。旅の方か。すまないな。この村に旅の人間などほとんど来ることがない。だから皆も警戒してしまったのだろう」

「そうでしたか。こちらこそ申し訳ありませんでした」

「いやいや、お気になさるな。未知に対して人は恐怖を感じるものだ。知ってしまえばもう警戒されることはあるまい。私からも皆に君たちの事を伝えておこう」

「ありがとうございます。それで、ここはなんという村なのですか。失礼ですが、こんな樹海の奥深くに村があるとは知らなかったので」

「ここはラックンアブレア村という。知らないのも無理はない。この村は、私が来るまで外界との接触はなかったからな。ベルリー領内だが、ベルリーの人間ですら存在を知らないだろう」

「そんな村に、どうして」

「私は訳あり、脛に傷を持つ人間でな。昔はさる王家に仕えていたのだが、禁忌を犯してしまった。良かれと思ってしたことが裏目に出てしまってな。国を追放され、行きついたのがここだったのだ。以来、ここで隠居生活をしている」

「そうだったんですね。しかし、この辺りは危険な生物が多く存在していると聞きます。そんな場所でどうやって生活をされていたんです?」

「パラシーに寄生された『ゾンビ』どものことか?」

「ええ、そうです。他にも毒をもつ動植物や、川に生息する危険な魚も多く生息している。およそ人が安心して暮らせる場所とは思えなかったもので」

「外界の人が普通に考えれば、確かにここは普通ではない。が、ここに長く住んでいる者からすれば、この生活こそが普通なのだ」

「つまり、当たり前のようにそれらを避ける方法があると?」

「その通り。この地に長く暮らしている住民たちは、これまでの経験でゾンビや危険な生物を退ける方法を知っている。危険さえ取り除ければ、ここでの生活はそこまで悪くはない。住めば都、というやつだ」

「もしよろしければ、その危険を避ける方法を教えていただけませんか。私たちはどうしてもアルボル樹海を越えなければならないのです」

「ふむ、そちらも何か訳あり、ということか。理由は・・・聞かぬ方が良さそうだ。もちろんお教えしよう。ただ少し、話は長くなるのでな。我が家に招待する。食事でもしながら説明しよう。村の入り口に隠れているお仲間にもそう伝えると良い」

「気づいていたのですか?」

「いや、勘だ。だが、傭兵がたった二人というのも考えにくい。あなた方が偵察し、安全を確保したら本隊が移動するのでは、と思ったまで。正解かな?」

「御見それしました」

「そんな大層なことじゃないさ。では、私は先に家に戻ってお茶の準備でもしておこう。この道をまっすぐ行ったところにある、一番奥の家だ。合流してから来ると良い」

 エレテは家に戻っていった。その背を見送りながら、私は通信機を手に取った。ひとまず合流し、皆と情報を共有しよう。しかし。

「何というか、得体のしれない爺さんですね」

 ムトも私と似たような印象を受けていたらしい。警戒は、まだ解かない方がよさそうだ。

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