第308話 あなたに首ったけ
「本気?」
二人の人物が対峙している。一人がもう一人に詰め寄っている。その口論を、自分は第三者の視点で見ている。一人は過去の自分だった。過去にあった出来事を、自分の記憶から情報を抜き出し、上手くつぎはぎして作り上げている。夢とはいやはや、都合の良いものだ。
欲を言うなら、もう少し角度を考えてくれても良かったのではないかと思う。もう少し斜め上の角度の方が、私の顔は良く見えるのに。
「もちろんです」
澄ました顔で詰め寄られている方が応えた。すでに覚悟は決まっていると言わんばかりだ。どんな出来事にも冷静に、柔軟に対応するくせに、意思だけは無駄に固い。
「いいや、わかってない。連中は、あなたに死ねと言っているのよ?」
「大袈裟ですし、むしろ反対ですよ。成功すればこれまで誰も成し遂げたことないような偉業となります」
「それがどれほど薄氷の先にあると思ってるの? それに、あいつらは耳障りの良いことばかり並べ立ててたけど、失敗した時の保証はまったく口にしなかった。絶対にあなたを切り捨てるわ。そして・・・」
言葉が切れる。自分がどれほど残酷なことを相手に叩きつけようとしたか理解し、寸前で飲み込んだ。だが、聡い相手にとってはその沈黙こそが答えだった。
相手も理解していた。彼女がどれほど苦しい決断を迫られているかを。だからこそ笑った。
「貴方は守ってください。守らねばなりません。私の家族を。私の家を。そんな貴方を守るために私は行くのです」
「そんな言い方、卑怯よ」
「すみません。育ての親の影響でしょうか」
暗い雰囲気を変えようとおどけて見せる。子どもが悪さをすると、色んな嘘や言い訳をして大人たちを煙に巻いて逃げようとした。それを大人げないくらいの正論と証拠と理屈で道を塞ぎ、悪いことをしたら謝るという事を徹底させていたのが目の前の、尊敬する育ての親だった。だから、嫌な言い方をしてでも目をそらしている天秤に向き合ってもらう必要があった。向き合えば、必ず選択しなければならないからだ。大を生かすために小を殺す選択を、必ず。
「時間です」
立ち上がり、出口に向かおうとする。その背に声をかける。
「約束するわ」
立ち止まるが、相手はこちらを振り向かない。構わない。
「必ず守る。それだけじゃない。もっと大きく、強くなる。二度とこんな理不尽を許さないために」
「お願いします。二度と、私のような犠牲を出さないために」
「犠牲になど、させないわ」
固く拳を握る。
「生き延びて。お願いだから、私の手が届くその時まで」
「・・・善処します」
小さな背が遠ざかっていった。
―――――――――――――
アンは目を開いた。
自分は今、机の前に座っている。事務処理中にうたた寝をしていたようだ。眉間をもみながら首を振る。疲れが溜まっていたのだろうか。これまで仕事中に居眠りなどしたことなかったのに。
「年のせいかしら」
自嘲気味に笑う。疲れの理由はわかっている。アカリたちアスカロンに出した依頼がずっと頭の片隅に陣取っているからだ。ギースの言う通り、自分のような素人が心配することではないのだが、気になるものは気になる。それに、王妃の暗殺決行日は一昨日だ。同行したイーナからの連絡が早ければそろそろ届くと思えば、気もそぞろになるし、余計な想像は膨らむし、脳を使えば疲れもする。
だからだろうか。あんな夢を見たのは。
「ちょっといいか?」
厳めしい顔に似合わない彼の控えめなノックが、アンを業務中の自分に戻す。
「どうぞ」
杖を突きながらギースが入ってきた。
「どうしたの? まさか、連絡がきたの? 彼女たちはどうなったの?」
思わず立ち上がったアンを、ギースは「落ち着け」と座らせた。
「安心しろ。最悪の事態は避けられたようだ」
知らず、アンの口から長い息が吐き出された。力が抜け、背もたれに背中を預ける。
「こっちに向かっているのね。じゃあ、こちらも急いで準備を進めないといけないわ」
流石はアカリだ。彼女たちは無事依頼を果たした。であるなら、後は自分たちの仕事だ。晴れ晴れとした気分で仕事にとりかかろうとしたアンを、何故か申し訳なさそうにギースが見つめていた。
「水を差すようで心苦しいんだが、おそらく悪いニュースだ」
「どうしたの?」
悪いニュースとは、どういう意味だ。暗殺は防がれたのではないのか。それに、ギースの言い方もさっきから気になる。ようだ、とか、おそらく、とか、まるで推論だ。
「それを確認しに来た。多分、アカリがイーナに言ったまま手紙を出せと指示したのだと思う。きっと、君にしかわからないように」
「暗号文なの?」
答える代わりに、ギースが手に持っていた紙を事務机に広げた。紙に書かれた内容を目で追う。
『杉原千畝の真似事をしているのだけど、日本には最初からSSが潜り込んでいるみたい。そう言えば、レインボーブリッジって言えばどんな邦画があったっけ?
天空に七つの星が輝いてるようなので、その下のドワーフに会いに行く。そっちにビザを発行しておくけど、文句はないわよね?』
アンは天を仰ぎ、頭を抱えた。その様子を見て、ギースが心配そうに声をかける。
「すまない。王妃も王子も無事だとは思うのだが、私にも聞き覚えのない単語が並んでいて解読は出来なかった」
「そうでしょうね。おそらくこの世界では、私とアカリ以外、この暗号は解読できないわ」
杉原千畝と言えば、多くのユダヤ人の命を救った偉人のことだ。真似事とは、そのまま王妃たちの命を救ったという事だろう。
SSとは、ユダヤ人を迫害したナチスドイツの親衛隊のことだ。SSが日本に潜り込んでいたら、日本通過のビザを持つユダヤ人にとって最悪の状況である。最初から、という言葉も気になる。
後に続くレインボーブリッジが関係する邦画で有名なのは、踊る大捜査線のレインボーブリッジを封鎖せよ、だろう。
つなげると、王妃が逃げ込むべきアウ・ルムに敵が潜んでおり、そいつらのせいで関所が封鎖されていて通れないということだ。しかも最初から、王妃暗殺前から準備していたのであれば、どこかから事前に情報が漏れていたことになる。もちろんアン自身に心当たりはないから、自分たちに話が届く前か、別ルートで敵が知った可能性もある。
天空の七つの星と言えば北斗七星のことで、言葉の通り北の空にあり、それを題材にした有名な漫画がある。漫画では、北斗七星が輝いている時は悲劇が繰り返される、世が乱れているという不吉を表す意味だったはず。
ドワーフはファンタジーによく出る架空の妖精、または亜人のことだろう。ドワーフが得意なことは採掘や鍛冶だ。北にあって採掘や鍛冶が有名なところと言えば、ラーワーのミネラだ。アカリは確か、ミネラに伝手があった。
最後のビザを発行とは、最初の杉浦千畝にちなんだ命のビザのことに違いない。
これらを全てつなげて解読すると、王妃暗殺は未然に防いだが、裏切り者がいるのか情報が漏れているのか、アウ・ルムは封鎖されていて入れず、命も狙われている。王妃たちの命を守るために、ラーワーのミネラに向かう。もちろん事後承諾になるけど文句はないな、ということになる。
「最悪・・・」
自分のふがいなさに腹が立つ。焦るあまり情報を精査せず、アカリたちを危険にさらしてしまった。時間がなかったなどと言い訳にもならない。
「大丈夫か? 何か力になれないか?」
アンの肩にギースが優しく手をそえた。温かい彼の手が教えてくれる。まだできることはある。やるべきことがある、と。自分の手を彼の手に重ねる。僅かな時間温かさに甘えた後、アンは決断した。
「ありがとう。あなたの力を貸してほしい」
「もちろんだ。何をすればいい?」
「アカリがこんな暗号で送ってきたという事は、彼女はこの文を読む人間の中にも裏切り者がいる可能性を考えたはず」
「私たちの中に、裏切り者が?」
「信じたくないけど、可能性はゼロじゃない。それに、知らない内に、という可能性もある」
「なるほど、味方と思っていた人間が実は、というパターンか」
「ええ。だから、あなたに頼みたいのは」
「フェミナンのネットワーク上で誰がこの情報に触れ知り得たか、直接ではなくても間接的に知ることができたのは誰か、情報の流れを追いかけるわけだな」
「話が早くて助かるわ。流石はアスカロンの元ご意見番」
「おだてるな。まだ成果も出ていないのに。それに、君は重要な事を一つ忘れている」
「何かしら?」
「私が裏切り者という可能性だ。これもゼロではない。むしろ、最も怪しいと言える。君に最も近く、アカリたちの動きもある程度予測できる。これほど裏切り者に適した人間もいまい」
「ああ、その可能性はすでに考えたわ」
「で、その答えは?」
「あなたは裏切らない」
「理由を聞いても?」
「そうね。いくつか理由はあるけれど、あなたが裏切り者なら、王妃はもう死んでいるはずだからよ。きっと未然に防ぐことはできなかった」
「まあ、そうだな。情報を君に届けなければ、今回の依頼さえ発生しなかっただろう」
「それだけじゃないわ。今のは後付けの理由よ」
「後付け?」
「ええ、だってあなた、私にぞっこんでしょう?」
顔を真っ赤にして、小さな声で「茶化すな」とギースは言った。
「え、違うの?」
「いや、そのだな」
「どうなの? 愛してないの?」
「・・・言わせるな」
「言って。わかっていても、女はその言葉を聞きたいものよ」
しばらく口をもごもごさせた後、蚊の鳴くような声で彼は応えた。
「君を、愛している」
「まあ、正直な人。あなたに裏切りは無理ね」
満足げにアンは微笑み、次の瞬間には切り替えた。空気を感じ取ったギースも居住まいを正す。
「では、早急にお願い」
「イエス、マム」
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