第300話 ペルソナ・ノン・グラータ
『すまない』
茜色に染まる空間の中、人型の黒い染みが空いている。染みは、私の前にたたずんでいる。
『すまない』
声は染みの方から聞こえていた。ああ、と気づく。これは夢。かつて私が経験した過去の記憶が、何らかの拍子に夢の形で起き上がったのだ。
私が私を捨てる直前の、最後の記憶。意識しないようにしていたし、事実普段は記憶の端にも上らないくせに、夢で思い出せとばかりに現れた。過去のこんなものを見せるという事は、何か不安があるのだろうか。誰が誰に不安か。私か。それとも夢に出てくる過去の誰かが夢の扉を潜って警告に来たのか。心配しなくても、必ず私は、私の務めを果たすとも。
『君には本当に悪いと思っている』
染みが呟く。この後のセリフも、耳に残っている。
『君の偉業が誰かに称えられることはない。君の苦しみが誰かに理解されることはない』
それでも、と染みが続ける。
『この務めは、君にしか果たせない。どうか、お願いだ』
―■■のために、死んでくれ―
その日、プルウィクスは喪に服した。偉大なる王、シーバッファ・プルウィクス三世の葬儀が執り行われるからだ。
プルウィクス王家の葬儀は、他の王家の葬儀と少し違いがある。
通常、王の遺体はすぐに冷凍や内臓の摘出など地域によって違いはあれど腐敗処理がなされる。のちの告別式へと移行するためだ。しかし、プルウィクスでは遺体はまず城内にある王立魔道具研究所に送られる。
プルウィクスの王族の体にはほぼ例外なく魔道具メリトゥムの一部が埋め込まれている。所持者の命が失われ魔力供給が途切れた瞬間、本体内部にため込まれた魔力が暴走し爆発する自爆型魔道具だ。メリトゥムを研究所の安置場所に設置しておけば本人の代わりに魔力供給が行われるため、死亡しても爆発は起こらない。ただし、生死は問わず、本人は城内にいなければならない。
そのため、研究所にて遺体からメリトゥムの欠片の除去を行う必要がある。といっても難しい話ではない。遺体の胸の上にメリトゥム本体を置いておくだけだ。本体への魔力供給が維持さえされれば、止まった心臓からメリトゥムの欠片は爆発することなく自動的に剥離する。剥離した欠片は本体の方に引かれ、体外に排出される。ただし、その速度は非常に遅い。体を切り、強引に抜き取ることも可能だが、遺体とはいえ臣下が玉体を治療行為以外で傷つけることは忌避される。ゆえに室内を低温に保ち、十日かけて針状の欠片が体の外に排出されるのを待つのだ。排出された後、葬儀が執り行われる。
葬儀の準備をする臣下たちをアルガリタが見守っている。これから遺体は大通りを抜け城下街を一周し、国民に別れを告げながら歴代王族が眠る墓地に弔われる。
死んでからも公務があるとは、筋金入りの働き者ね。遺体と王族を運搬する馬車を見上げながら、アルガリタは夫との記憶を思い返す。
彼女が王のもとに嫁いできたのは十四の時だ。彼女にとっては恐ろしい王であった。二十年、彼女はその隣に立ち続けた。
その王もすでにいない。これからは・・・。
「アルガリタ王妃」
呼ばれ、現実に戻る。隣にコルサナティオ王女が立っていた。
「まもなく、準備が整います。私たちも行きましょう」
「ええ、ありがとう」
己に声をかけてくるコルサナティオのことを、アルガリタは不思議そうな目で見ていた。
以前、彼女の命をアルガリタは間接的に狙った。彼女もそのことを理解している。彼女も反撃とばかりに第一王子と組み、アルガリタを追い詰めた。互いに失敗に終わり、憎み合っていてもおかしくない間柄だが、心の内はさておき、コルサナティオの態度はさほど変わらない。十三国連合が結成され、アウ・ルムやラーワーに慮らなくても良くなった。アルガリタの立場は激変し、それまでちやほやしていた連中が去った。そんな中コルサナティオは同じ関係、距離を保ち続けている。
聡い娘だとは思っていた。他の王子や王妃と違い、自分の価値を低く評価する点もあったが、低い評価はいつしか謙虚に変化していた。今では積極的に十三国連合の大使のような役割を果たし、他の同盟国との橋渡しを担っている。良い部下に恵まれたのもあるだろうが、やはり本人の素質が大部分を担っている。
失敗したな。
いつの間にか大きくなっていた彼女を眺め苦笑いを浮かべる。彼女を化けさせたのは、おそらく自分の謀略が関わっている。途中で雇った傭兵を引き連れて現れた彼女は、出立前に見せていた人形のような無機質な笑みがなりを潜め、代わりに強い意思を秘めた目を自分に向けていた。あのまま、大人しい人形でいてくれれば、自分ももう少し立ち回りやすかっただろうか。今更、詮無き事か。
「ねえ、コルサナティオ」
「はい。なんでしょうか?」
「どうしてあなたは変わらず私を王妃と呼ぶの?」
「? 質問の意図が、申し訳ありません。よくわからないのですが。王妃を王妃と呼ぶことの、どこがおかしいのでしょう?」
「見てみなさい」
アルガリタが両手を広げた。
「今や、私の周りには誰もいない。これまで私の顔色を窺っていた臣下たちはアウ・ルムに怯える必要がなくなった途端離れていった。これまで私を敵視していた王子たちは、今や私の方を見向きもしない。私の身近にいるのは侍女くらい」
それも仕事で必要だから仕方なくね、とアルガリタは言った。
「あなたは、変わらず私に接している。どうして?」
「どうして、と申されましても」
答えに窮したコルサナティオは、アルガリタの顔を見た。その目を見つめ、顔を引き締めた。その変わり様に、アルガリタの方がおや、と興味を惹かれた。
「貴方が変わらないからです。アルガリタ王妃」
偽りなく本心を、コルサナティオはぶつける。
「私が?」
「そうです。失礼ながら申し上げます。おっしゃる通り、リッティラ王子はじめ、誰もがあなたを見ていない。アウ・ルム恐れるに足らず、言葉で語らずとも、誰もがそう考えて態度に表してしまっている。そんな状況にも関わらず、貴方は悲嘆にくれることも、怒りに任せて当たり散らすことも、諦念から廃退的に振舞うこともなく、何一つ変わらずここで生活されているからです。聞こえよがしな小声の嫌味も、目に見えぬ悪意も、貴方は察知しているはずなのに、涼しい顔をされているからです。であるなら、私にとって貴方は油断ならざるお方だからです」
「面白いことを言うのね。アウ・ルムは恐れるに足らない相手であるなら、私のことも恐れる必要はないのでは?」
「私の考えは皆とは少し違います」
きっぱりとコルサナティオは言った。
「私は、アウ・ルムは恐るべき相手であると考えています。敵対すべき相手ではない。皆は自分たちの力の方が上だと思っているようですが、これは大きな勘違いです。十三国全ての力が揃って初めてアウ・ルムと対等に戦えるのです。これを自分たちの力だと勘違いしていることに、私は危惧を覚えます。もし他の同盟相手から見放されたら、簡単に詰んでしまうというのに」
アルガリタの興味が、警戒に変わった。それをコルサナティオも察していた。
「私の信頼する部下も言っています。この城内で最も警戒すべきは貴方だと。その相手に敬意を表すのは、何一つおかしいことではありません。殺されかけた恨みを飲み込んででも、できれば、味方に引き込んでおきたい、というのが私の本心です。私は、アウ・ルムを敵に回したくない」
ですが、私と同じ考えの者は少ない。コルサナティオが嘆く。全員が酔っている。突然降ってわいた力に酔って、自分の足元が見えなくなっている。リッティラも、あれだけすり寄っていたラーワーへの訪問回数が極端に減った。
自分たちの誇りを取り戻すのは良い。しかし、せっかく築いてきた関係をわざわざ破棄することはない。だからコルサナティオがリッティラの代役を務めている。そして、アウ・ルムの関係を保つためにはアルガリタの存在が不可欠だ。それだけでもアルガリタをぞんざいに扱ってはならない理由になるが、なによりも。
「たった一人で他国に嫁いできた貴方を、私は尊敬しています。それこそ、これまで祖先たちが命がけで行ってきた自国を守る方法だからです」
コルサナティオの言葉が、アルガリタの記憶のドアを叩いた。勝手に開きそうなドアを無理やり抑え込み、アルガリタは王の面影が残る彼女に向かって微笑んだ。
「強くなったわね。あなたは」
コルサナティオの肩に手を置き、アルガリタはつい本音をこぼした。プルウィクスに来てから数えるほどだった本音が一つ増えた。彼女から褒められるとは思わなかったコルサナティオは、驚愕に目を見開き固まってしまった。
こんなところはまだまだ子どもね。肩から手を放し、アルガリタは歩き始める。
「準備が整ったのよね。行きましょう」
「あ、お、王妃!」
置いていかれたコルサナティオが慌てて後ろに続く。
「なあに?」
「もしよろしければ、馬車で隣に座っても?」
「どうぞ。ガラガラだから好きにしなさい。けど、また命を狙うかもしれないわよ?」
私はそんなことした覚えないんだけどね、とうそぶく。コルサナティオは真面目な顔で軽口に応える。
「ご安心を。その時は、今度は私が、先に貴方を殺します」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます