第297話 レバー1回転+P

 さかさまの世界を私は見ていた。

 雷に打たれたような衝撃が全身に走り、呼吸ができない。鏡でもない限り、自分の姿を確認することは難しいと思われるが、おそらく、ではあるのだが今の私は両肩と両腕、背中の上部、後頭部を床につけ、尻を天上に向けて、両足は左右に開いた、いわゆるアルファベットのV字開脚状態だろう。

「団長!?」

 遠くでムトの戸惑う声が聞こえるが、答えることはできず、ゆっくりと意識が遠のいていく。しゅるりと私の胴に絡まっていた腕が外れる感触と、荒々しく鼻から息を吐き出す音が耳に届いた。

「これで勘弁してあげるわ」

 これだけの荒事を成した後にも関わらず、艶っぽく響く彼女の声を聞きながら、私は完全に意識を失った。



 ダリア村での今後の方針を話し合った結果、私たちはアンたちの力を借りることにした。関わることでどうしても彼女たちに迷惑をかけてしまうことになるが、これから傭兵として活動するにあたり、リムス中の情報に通じている彼女たちの力は魅力的すぎた。また、元アスカロン相談役のギースにも話を聞きたいし、何よりイーナたちがいる。彼女たちにもすでに生活はあるだろうが、また共に戦ってくれれば心強い。自分たちの生活を考えれば、アンを尋ねない理由がない。開き直って頼り切ってしまうことにした。弱小傭兵団になりふり構う余裕などあるわけがないのだ。

 こうして、私たちはアウ・ルム第二の都市、ラクリモサにあるフェミナン本店に向かった。念のため顔を隠し、ジュールとムトに先を歩いてもらって入店する。受付には知った顔であるシャワラがいて、私たちに気づくやいなや、すぐに奥へと通してくれた。待つことしばし。オーナーであるアンが現れた。

「無事だったのね」

 感極まったように、アンが私に近づいてきた。私も思わず泣きそうになり、近づいてくる彼女を迎えようと両手を広げたら、突然彼女の姿が視界から消えた。アンは総合格闘家も驚きの低い姿勢で私の胴にタックルをかまし、そのまま胴に腕を回して背後を取った。

「え?」

 我ながら間抜けな声が出たと思う。

「どれだけ心配したと思ってるの!」

 感動の再会から色んな意味で一転、赤パンツのプロレスラーもかくやのジャーマンスープレックスで分厚い絨毯に叩きつけられKOとなった。これが、私がさかさまの世界を見ていた原因である。


「死んだらどうしてくれるのよ」

 痛む頭を冷やしながら、私は目の前に座るアンに文句を垂れた。私がこんな口を叩けるのはリムス広しといえどただ一人。この年上の同級生だけだ。

「死んでないから問題ないでしょう」

 しれっと返し、彼女は優雅な所作で紅茶を口にする。

「まったく、さっさと連絡をよこさないからこうなるんだ」

 アンの隣に控えるのは彼女の夫ギースだ。年を重ねたはずなのに、なんだか以前よりも若々しく見えるのは、怪我が完治した理由だけではなさそうだ。新たにできた守る者たちの存在が、彼に活力を与えているのだろう。幸せそうで何よりだ。

「お前のことだ。どうせお尋ね者が我々と接触すれば迷惑がかかるからとか、そういう理由で身を潜めていたんだろう」

 頭の鋭さも相変わらずで、私の考えなどお見通しだった。返す言葉もない。

「馬鹿ね。本当に馬鹿。あなたに接触した程度で揺らぐようなやわな身分じゃないわ。それに、私たちが何を取り扱っているか忘れたの? 情報操作なんてお手の物、あなたの身分も変えられるし、接触した事実も無かったことにできるんだから」

 ため息をつきながらアンが私を両手で包んだ。今度は優しく、壊れ物を扱うように、しかし、しっかりと離さぬように。

「本当に、無事でよかった」

 プラエの時もそうだが、私は皆にどれほど心配をかけていたのか、改めて思い知った。

「心配かけて、ごめん」

 私もしっかりと、彼女の体に手を回した。自分の存在を伝えるように、少し震える彼女の体を強く抱きしめた。


「で、ただ生存報告をしに来たわけじゃないでしょう」

 互いの再会を祝した後すぐに、アンは切り出した。切り替えが早い。流石はやり手の実業家。こちらの目的もお見通しだったようだ。

「再び傭兵団として活動するので情報が欲しい。あと、仕事があれば斡旋して貰おうかと」

「情報?」

 彼女の片眉が吊り上がった。

「何かあったの?」

「つい先日のことなんだけど、十三国連合の一つ、モンスで街と村が壊滅した」

「噂程度だけど、耳に入ってるわ。何でも『大きな地震のせいで地盤沈下が起きた』そうじゃない。かなりの被害者が出たと聞いてるわ」

 今度はこちらが眉間にしわを作る番となった。正しい情報が出回ってない。どこで操作された?

「真相は違うのね?」

 私の反応を見たアンがやっぱり、と口元に手を当てた。

「教えてもらえる?」

 机に身を乗り出してこちらを見据える。正確に伝えるには、私のこれからの目的やカリュプスで行方をくらましてからの全てを話す必要がある。

「少し長い話になりますが、お店は大丈夫ですか?」


「また、面白そうなことに巻き込まれているじゃない」

 全て聞き終えたアンがソファに背中を預けた。

「巻き込まれている本人は、まったく面白くないんだけど。よければ替わる?」

「丁重にお断りするわ。命がいくつあっても足りなそうだし。・・・ねえあなた。この子っていつもこんな感じなのかしら?」

 アンが隣で聞いていたギースに尋ねる。当のギースは頭を抱えていた。懐かしい光景だ。無茶な案や作戦を立てたら、いつもこの恰好をしてたな。

「いいや。私がいたころより酷くなっているな。カリュプスを本当に潰したことだけでもまだ消化しきれていないのに、インフェルナムの話がずっしりと胃に響き、それから古代遺跡に、人間をターゲットにして動く化け物。そして龍神教の裏の顔。普通に生きていたら一切かかわることなく過ごしそうなものにどうしてこの短期間で関わっているのか・・・。何かこう、作為的なものすら感じる」

「作為的に死にかけたりしたくないんですけどね」

「お前が、ではない。詩的な表現を使うなら、運命、というやつだ。この世の中の大きな流れが、お前を導いているような気がしてならない」

「運命も見る目がないですね。導くならもっと強そうな、物語に出てきそうな勇者っぽいのを選べばいいのに」

「勇者、ね」

 私の軽口に、何か言いたそうにこちらを見ていたアンだが「ま、いいわ」と自分の考えを追い払うようにして手を振った。

「それで、知りたいのは各国の動き、という事でいいのね」

「うん。マキーナと同じ過去の遺跡に関する話や、もしくは龍神教関連の噂、戦局とは無関係な兵の動きなどをお願い。後、情報を操作しようとしている相手もわかれば」

「手配しておくわ。こちらとしても、間違った情報を流布する相手は特定しておきたいしね。ただ、いくら友人の頼みとはいえ、タダでは手伝えないわ」

「わかってる。そちらの仕事に敬意を払う意味でも、対価は支払うよ」

「話が早くて助かるわ」

 アンがギースに目配せした。彼が鞄から書類を取り出してテーブルに置き、こちらに滑らせる。受け取り、目を通す。背後からムトとジュールがのぞき込む。

「情報を渡す代わりに、一つ仕事をお願いしたいの。腕が立ち、信用出来て、隠密行動ができそうな小規模の傭兵団を探していたのよ」

「マジか・・・」「こいつは・・・」

 依頼内容を読み終えたムトたちが呻く。書類をテーブルに置いて、アンとギース、二人の顔を交互に睨む。私がここに来るとわかった時点で、この話を持ってくるつもりだったのか。用意の良い。

「これ、本気ですか?」

 真意を、依頼内容もさることながら、彼女たちの考えを探るために問いかける。

「もちろん。依頼内容は、魔導国家プルウィクス王妃、アルガリタ王妃の亡命の護衛よ」

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