第288話 結果、お肌がツルツルになった
人間の身長を超えるマキーナの長い腕がしなり、地面に突き刺さった。そのたびに街が震える。まもなく拳が地盤を割り、地下の空間がむき出しになるだろう。
何度目になるか、拳が天に向かって振り上げられ、ピタリと止まった。井戸の穴に向けられていたマキーナの顔がぐるりと巡り、止まる。視線の先に、人間の女が一人立っていた。
「ハロー、ご機嫌いかがだこの野郎」
気楽な挨拶をする人間に、マキーナは当然言葉以外の返事をした。顎が外れ、光が収束、レーザーが放たれる、直前。マキーナと女の間に煙が吹き出す。女が放り投げた小さな筒から出た煙は、カーテンのようにマキーナと女を隔てる。構わず、マキーナはレーザーを放つ。煙はすぐに晴れたが、女は姿を消していた。マキーナが首を巡らせると、すぐ近くの建物の裏に熱源があった。そこへ向けてレーザーを放とうとして、止まる。
熱源が消えたのだ。突然。顔の前にあった光は霧散し、マキーナは左右に視線をさ迷わせる。熱源が捉えられない。いないのならば、先ほど確認した人間の方を先に片付けるだけだ。マキーナは再び井戸の方へ向かおうとして、ガクン、と頭部に衝撃を受けた。
「よそ見はいけないわ」
音源の方へと振り向く。だが、視界では捉えられない。マキーナは理解した。体温を遮断した人間が近くにいる。
マキーナが口を開いた。だが、レーザーを放つためではない。代わりに吐き出されたのは、ハイトーンボイスと呼ぶにはあまりに凶悪な咆哮だった。ビリビリと大気が振動し、そして、マキーナの視界にそれは映った。低い温度の所に、突如としてオレンジ色、三十度以上の物が現れる。青い目が捕捉。やはり、人間は目の前にいた。
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マキーナが、完全にこちらをロックオンしている。
「くそ、こっちがどれだけ葛藤したと思ってるのよ」
吐き捨てながら、私は顔の泥を拭った。
マキーナの眼を欺くためにはどうすればいいかを考えた時、シンプルに体表の温度を下げるか、温度を遮ればいいのではと考えた。というよりも、それ以外の方法を短時間では見つけられなかった。
煙幕弾フームスで視界を遮った後、事前に用意しておいた泥を全身に塗った。これは、魔道具ワポルの機能の一つを応用したものだ。イーナたちの要望に答えた結果、泥パックも手軽に出来るようにしたとのこと。ただ、美容用の泥とまではいわないが、海とか川の上流、清流で採取できる泥ならまだしも、下水にも使っていたかもしれない古井戸にあった泥を体に塗るのはかなりの抵抗があった。
先ほどのマキーナの咆哮で、体に塗られていた泥が失われた。空気の振動によって体表の泥が飛ばされてしまったのだ。超音波振動によって体の汚れを落とすのと同じ理屈だろうか。美容の応用が美容の応用で返されるとは思いもしなかった。
アンが見たら欲しがるかもしれない機能だとくだらないことを考えながら、マキーナから逃げる。見つかってしまった以上、逃げる以外の選択肢はない。マキーナは当たり前のように目の前の私を追う体制に入った。
「なに、まだ失敗でも敗北でもないわ」
最善は見つからないままちょっかいをかけ続けて時間を稼ぐことだった。想定外だが、問題ない。出来なくなったのなら、リスクを負いながらの次善策に移行するだけだ。
自分がさっきまでいた場所をレーザーが焼く。それだけにとどまらず、マキーナは再びロケットスタートモードに移行していた。
「ただ、可能な限り急いでもらえると助かる、かな」
もう一つの場所で行われている作戦を思いながら、再び悪夢の追いかけっこが始まる。
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最初に気づいたのは、水辺近くにいたセプス傭兵団の団員だった。頭上からの物理的にすら感じる圧力が突如失われ、呆然と皆が上を見上げていた時だ。ごぽっと水面に泡が浮き出た。泡はすぐに消えてしまったので、団員も気のせいか、と目を離しかけて、再び泡が湧き上がってきたのを視界の隅に捉えた。泡はさらに増えてくる。団員は顔を近づけて水の中を観察する。何かが、浮上してくる。まさか、あの化け物の仲間か。恐れながら身構える。泡はどんどん増え、遂に何かが水面を割って現れた。
「ぶはぁっ!」
「うわぁっ!」
驚いた団員が尻もちをついた。彼の前に浮上してきたのは、化け物ではなく、人間だった。声に驚いて全員の視線が集まる。
「・・・ジュールさん?」
むせこむ人間の正体に気づいたゲオーロが近づく。
「おう、ぶっほぅ、ゲオーロ、おえっ、無事だったか」
口から水を吐きながら返事をしたのはゲオーロが気づいた通りジュールだった。
「一体、どこから」
「そこだよ」
ジュールが指差したのは、さっき自分たちが途中まで調べていた水中の穴だった。
「実は、俺たちが隠れていた古井戸とここは繋がっていたんだ」
「簡単に言いますけど、大丈夫だったんですか?」
先ほどセプス傭兵団と一緒に調べたが、穴はかなり広く、この先に息継ぎの出来る空間があると確信がなければとても進むことは出来ない。
「空間があるのは、お前らがいることで確信出来ていた。また、同じ場所に逃げ込んでいた住人から、昔この井戸が枯れていたころは繋がっていて人が行き来できていたとも教えてもらった。問題は明りのない水中を移動しなきゃならないって点だが、これに関して、俺のウガッカを進ませて命綱兼目印として先導させることで暗闇の部分を解決、呼吸は原始的な方法で解決した」
ジュールが取り出したのは水筒だ。一つだけではなく、腰には複数取り付けてある。
「中に水の代わりに空気を入れて、吸いながら来た。前にカリュプス潜入時に使ったっていう空気を出す魔道具があればもっと楽だったんだが、サンプルも何もかも全てプラエの袋の中だからな。まあ、一つあれば充分な程度の距離で助かったよ」
それよりも、とジュールが辺りを見渡す。
「ここからは、もっと大事な話をしようや。そこにいる皆さんも交えてな」
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息が切れ、膝が折れる。脱水症状を心配するほど汗が滴っている。心臓は破裂しそうなくらい脈打ち、全身に酸素を送り続けている。
周囲に目をやる。隠れられそうな建物は破壊しつくされ、存在しない。住民の生活の痕跡は瓦礫に埋もれてしまった。
がりがりと、耳障りで、悪夢に出そうな不快な音を引き連れて、マキーナが私の前に旋回してきた。距離は二、三十メートルほどか。
かなり時間を稼いだはずだが、連絡はまだ来ない。時間がかかっているのか、それともそもそも古井戸は繋がっていなかったのか。ゲンマも昔の話で記憶は朧気と言っていた。それに、地震やそれこそ今回の襲撃のせいで塞がってしまってもおかしくはない。古井戸が繋がっている、という条件が作戦の成功率を上げている。もし繋がっていなかった場合、次善の策をすぐに、私の体力が尽きる前に実行に移さなければならない。だが、それは他の人間にとってもリスクが大きくなることを意味し、リスクがあれば人は躊躇する。そうなると作戦自体が実行できないことになる。
マキーナがレーザーを吐いた。瞬時に判断して右に飛ぶ。そこへマキーナが突っ込んでくる。勢いが全く変わらない。無尽蔵のスタミナだ。いや、そもそも生物としての規格が違うのか、スタミナという概念がないのか。なんとか転がって躱すが、振り返れば奴はもう既に旋回し終えてこちらにターゲットを定めている。
先ほどのレーザーは威嚇であり、こちらの逃げる場所を限定させるための、詰将棋のような一発だ。こっちの逃げ場所を徐々に狭めていく。こちらが疲弊するのを待っているのだ。後何度躱せるか、弱気が頭をよぎった、その時。
『お待たせアカリ!』
プラエからの通信が入った。通信機を持たない彼女からの通信が入ったということは。頭に意味が浸透したら、足に力が戻った。気力が回復する。生まれたての鹿みたいに足を震わせながら立ち上がり、効果があるかわからないが閃光手榴弾と一緒にフームスを投げる。閃光を背にして作戦ポイントへ向けて走った。悲鳴を上げる体に鞭打つ。
面前に作戦ポイントが見えた。あと少し。あと少しで。
背中にプレッシャーを感じた。首だけ振り返れば、すぐ後ろにロケットから噴煙上げるマキーナがいた。景色がスローモーションになる。思考だけが引き延ばされた時間の中にあった。
アレーナを伸ばす。無理だ。伸ばし、縮めるタイムラグの間にマキーナが到達する。
横へ飛ぶ。これも無理だ。この速さで急遽方向を変える余裕が足にない。慣性に負けて転倒するのがオチだ。
徐々に近づくマキーナの巨体。あと少しなのに・・・っ。
「団長ぉ!」
視覚の外から飛んできた誰かが、私の横っ腹にタックルをかました。両足が宙に浮き、無理と思われた方向へと飛んでいる。
マキーナが目の前を横切っていく。地面に落下し、ゴロゴロと転がる。
「無事ですか団長!」
「ムト、君?」
私を救ったのは村人を避難させていたムトだった。
「ありがとう、助かった」
むせながら礼を言う。彼に肩を借りながら立ち上がる。マキーナがこちらに向きを変えようとしている。奴と私たちの間に、作戦ポイントがある。ポイントに向かって走りながら通信機を手に取る。
「プラエさん。お願いします!」
『任せなさい!』
地面が震えた。マキーナの起こす振動とはまた別の理由だ。ぴしり、と地面に亀裂が入り、ひびが広がっていく。亀裂は人が通れるほどの穴になった。
「ムト君、飛び込むわよ!」
「は、はい!」
マキーナの突撃を間一髪で躱し、下へと落下する。
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マキーナは旋回し、ゆっくりとそこへ近づく。追いかけていた人間たちが逃げ込んだ穴があった。何の躊躇もなく飛び込む。着地すると、派手な水しぶきが上がった。ゆっくりと見渡す。
「歓迎するわ」
人間の女の声が届き、マキーナは音源の方へと目を向けた。女がこちらを見ている。マキーナに人間の表情の意味や理由は知識としてあっても区別はできない。だが、マキーナは相手が笑ったと認識した。笑う。嬉しい時や可笑しい時、また、相手を嘲る時にする表情。しかし、目の前の女の笑みはそのどれとも違うとマキーナは判別し、新たに猛る時にも使用すると記憶した。事実、目の前の女の体温は興奮しているのか上昇していた。
「決着を、つけましょう」
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