第287話 信頼と実績

 ティゲルはゲオーロに手を引かれて必死で逃げた。どこをどう逃げたかはわからない。いつの間にかプラエ達とはぐれていた。街の外まであと少し、というところで、ゲオーロが「ごめん!」とティゲルを抱きかかえて飛んだ。彼女の視線の先で、細い光の線が現れ、前を走っていた人々の背中や頭、足を貫いた。貫かれた人は力が抜けたように膝から崩れ落ちていく。地面に倒れ伏す彼らが視界から消え、代わりに見えるのは積まれた石の壁。光が届かなくなってきてその壁も暗く見えづらくなり、そのまま二人は水の中に落ちた。

 ゲオーロが飛び込んだ先は使われなくなった古井戸だった。中はかなり広い。水から出たティゲルたちは、自分たち以外にも人がいることに気づく。街の住民たちだ。聞けば、この古井戸は昔枯れたことで氷室として使っていたという。怪物が現れたことで住民たちには二つの選択肢があった。街から逃げるか、隠れるか。彼らは後者ということだった。そして、それが功を奏した。氷室として使われるからか、この古井戸内の温度はかなり低い。加えて分厚い地盤のおかげで、マキーナの眼を逃れられたというわけだ。

 少しして、井戸からセプス傭兵団の団長ディールスと、同団員が数名落ちてきた。その中にはアカリと一緒にダリア村に向かったアルデアもいた。住民の避難を手伝っていて逃げ遅れたらしい。見れば、ディールスは足に傷を負っていた。団員に肩を借りて水から上がる。

 一旦は難を逃れたものの、いつまでもここにはいられない。長時間ここに居続けたら、いずれ凍死してしまう。ティゲルは必死に考えた。体力もなく、戦う力もない自分に出来るのは考えることだけだ。せめて、自分を庇い、今も凍えないようにと服をかけてくれたゲオーロの役に立たなければ。そして、ここを出てアカリやプラエたちに合流できればなんとかなるはずだ。

「あのう、すみません~」

 ティゲルは座り込んでいるディールスに話しかけた。彼女の後をゲオーロがついていく。

「あんたらは・・・魔女の」

「はい~。色々と思うところがあるかと思いますが、今はその因縁はちょっと脇へどけてぇ、互いに生き残るために、協力しませんか~」

「もちろん異論はない。協力するさ」

 アルデアが何か言いかけたが、ディールスは視線で黙らせた。

「とはいえ、あんなもんどうにもならんぞ。こっちの武器が全く通用しない。あっちが吐く変な炎は簡単に盾を貫いてくる」

「ですので~、倒すことよりも、生き残ること、ここから脱出することに重点を置きましょう~。私たちが持つ奴の情報や持っている魔道具の効果などを共有しますので~。とはいってもこちらが所有している魔道具は少ないですし、情報には仮説も含まれるので絶対ではないですが、全くの手探りよりはマシかと思いま~す」

「わかった。代わりに俺たちはどうすればいい?」

「あなた方が何ができるかを確認させてくださ~い。持っている魔道具の種類も含めてです~。あと、火を起こしてもらえませんでしょうか~。長時間ここにいれば、全員が寒さでやられてしまいますので~」

 ディールスが視線で団員に指示を出した。ものの数分で暗闇を明るく照らす炎が上がった。炎の熱で冷えた体が温められると、現状の困難も忘れてほっと安堵する。何も言わなくても、皆が火を囲む。

「後は、何かあるか」

「この古井戸、規模が大きそうなので可能な限り調べてみましょう。もしかしたらぁ~街の外までつながってるかもですので~」

「すぐにとりかからせる」

 セプス傭兵団団員とゲオーロが種火をもって四方に散っていく。その間にティゲルはディールスと情報を交換する。

 どれほど時間が経過しただろうか。数分かもしれないし、何時間も経ったような気もする。ある程度の情報を共有でき、かつ井戸周辺をあらかた調べ尽くしたくらいだから十分かそこらだろうか。ドン、と腹の底に響く音が暗闇の中で震えた。身をすくませたティゲル達の頭にパラパラと埃が落ちてくる。

 突如、住民の一人が発狂した。寒く暗い空間に閉じ込められ、それでも何とか耐えていた心の平衡が、音と共にマキーナの恐怖を思い出したことで一気に崩れたのだ。奇声を上げ、傭兵団が止めるのを振り切って梯子に飛びつき、驚くほどの速さで登っていき、ティゲルから見て上半身が外に出たところで突然ピタリと止まった。ビクンと一度痙攣してから手足から力が抜けて、梯子から離れる。なのに、体が落ちてこない。落ちてきたのは赤い雨と何かの肉片だった。ところどころに髪の毛が付いた肉片は、今梯子を登っていった住民の頭の一部だったのだ。やがて、頭のない体が時間差で落ちてきた。阿鼻叫喚が狭い空間に反響する。見上げれば空の青は閉ざされ、代わりに暗闇の中、青い眼が輝いている。殺戮の青い月が人間を見下ろしていた。

「天井の補強をお願いしま~す!」

 ティゲルが叫んだ。ディールスたちが持つ魔道具の中に土嚢や城壁の接合部を強化する魔道具があった。これほどの空間が地下にありながら、地上の重さに耐えてきたのなら、この土地の岩盤はもともと固い。それを更に強くすれば、マキーナであろうと簡単には貫けないはずだ。耐えている間に別の出口を探し出す。ディールスたちがティゲルの言葉にしたがってすぐに壁に取りついた。井戸の縁の削られるのが少し弱まる。

「これでも、止まんねえのかよ・・・!」

 中型のドラゴンの突進だって止めるんだぞとディールスが愚痴る。

「ゲオーロく~ん! 傭兵団の皆さ~ん! 別の出口はありました~?!」

 四方に散った探索隊が首を横に振りながら戻ってくる。

「すみません。通路は全て水没していて」

 ゲオーロが項垂れる。

「道はあるんだろうが、通れるかどうかわからん」

 ずぶぬれになりながら団員の一人が言った。水の中を潜って進んでみたが、見通しが悪いために途中で引き返してきたのだ。今いる場所のように空気があるとわかれば無理にでも進めるが、確約出来ない状況では自殺行為だ。彼らには何の落ち度もないが、思わずティゲルは天を仰いだ。

 どうする。どうすればいい。血が滲むほど唇を噛みしめ、必死に考える。だが、最善であっても最良の結果に導けない。どうしても少なくない犠牲が出てしまう。

「ゲオーロ君、通信機で外に応援を呼びかけ続けてもらえますか~」

「わかりました!」

 情けない話だが、外部要因に頼るしかない。現状ではこれ以上の案はでない。新たな知識、新たな要因。何でもいい。蝶の羽ばたきが別の場所で嵐となるように、少しの刺激で結果が大きく変わるのはよくあることだ。

 最後まで諦めない。これまで色んな事を諦めてきたティゲルだからこそ、諦めてはならないモノを良く知っている。最善の選択肢で生まれる結末を最良に近づけていくための努力を怠りたくない。後悔したくないから。

「覚悟を、決めるか」

 ディールスが諦念混じりに呟いた。

「あいつは体温を追ってくるんだろう。ならお前らは非戦闘員と一緒に水中に隠れてろ。俺があいつを井戸から引き離している間にこいつら連れて走って逃げろ」

「「団長?!」」

 アルデアたちが口を揃えて反対する。

「駄目です!」「そうですよ。皆で逃げなきゃ意味ないです!」

「駄目もくそも、誰かが犠牲にならなきゃ逃げられねえだろうが。どのみちこの傷じゃ逃げらんねえからな。おい、ギャバチ。次はお前が団長だ」

 ざけんな、とギャバチと呼ばれた男が言った。

「俺たちの団長はあんただけだ。あんたが残るなら俺も残る。あんたを見捨てて逃げたとありゃ、犠牲になった連中に顔向けできねえ」

 ギャバチに続いて、残った団員たちも残ると言い出す。

「馬鹿野郎どもが」

 団員たちの気持ちは嬉しい。だが、現実が美しい絆と理想を否定する。それでも逃げろと言い聞かせようとしたとき、思いもかけない横槍が入る。

「その声、団長?!」

 こんな状況であるにも拘らず、素っ頓狂な声を上げたのはゲオーロだった。通信用の魔道具を手に、誰かと話している。

 ガン、と押し潰されたと錯覚するような衝撃に誰もが悲鳴を上げる。見上げれば、天井にヒビが入っていた。

「お願いします! せめて、ティゲルさんだけでも!」

 ゲオーロが通信を終えた。ティゲルが尋ねる。

「ゲオーロ君、今のは」

「団長に繋がったんです。すぐ行くから隠れてろって」

「来るからなんだってのよ」

 彼らの会話を聞きとがめたアルデアが言った。

「あんな化け物、どうにもできないでしょ。さっきだって何もできずに逃げ回ってたのよ」

 わざわざ士気を下げるようなことを、いつものアルデアなら言わない。つい口を開いてしまったのは、魔女に関する話であることと同時に、彼らの顔がこんな時であるにも関わらず、ほっとしたような、まだ望みがあるかのような顔をしていたからだ。こちらは団長が悲痛な覚悟を胸に囮を買って出ようとしているのに、何でそんな安堵できるのか。なんだか傭兵としての実力差を指摘されているようで彼女の癪に障った。

「討つ、と言ってたんです」

「え?」

 アルデアの八つ当たりの様な問いにゲオーロは気分を損ねることなく答えた。

「討つ? あれを? は。無理に決まってるじゃない。あんなもの、人間にどうにかできるわけがない。倒すことなんて不可能よ」

 馬鹿にしたような言い方だが、アルデアの答えはリムスに生きる人間のほとんどが行きつく圧倒的大多数の答えで、何一つおかしいところはない。

 けれど。

 誇張も、虚飾もなく、手の中にある魔道具をぎゅっと握りしめてゲオーロは言った。

「団長は、勝算のない戦いはしません」

 それだけの信頼と実績を積み重ねてきたことを身をもって知っている少数派の彼らは確信している。

「化け物を討ちますよ。いつも通りにね」

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