第286話 全滅逃れの一手を手繰る
「良かった、無事みたいね」
水が滴る私の体を上から下まで眺めて、プラエは一つ頷いた。
「一応は。プラエさんも、無事だったんですね」
「危機一髪だったけどね。何とか逃げきってこの古井戸に逃げ込んだわけよ」
「古井戸?」
辺りを見渡す。古井戸と彼女は言ったが、自分の印象としては洞窟や鍾乳洞に近い。見上げると、小さな丸い穴から青空が見える。あそこから落ちてきたのか。古井戸の縁に縄梯子がかかっている。
「無事か、団長」
彼女の後ろから現れたのはジュールだ。手には彼の魔道具、伸縮自在の鞭と杭を合わせた魔道具『ウガッカ』が握られている。そのウガッカの先端が、私の方に伸びていた。
「街に来るのはわかってたんだが、通信機はあいつの襲撃で壊されちまってな。穴から覗いていたらあんたがあの化け物と追いかけっこしているのが見えた。一か八かだったが、上手く掴めてよかったぜ」
ウガッカで空中にいる私をキャッチして安全圏まで引っ張ったということか。
「ありがとうございます。助かりました」
「これで飯代分は働けたかな?」
軽口を叩くジュールだが、肩に包帯が巻かれ、血が滲んでいる。頬には擦り傷があり、衣服もところどころひっかけたように破れていた。プラエを庇いながらマキーナから逃げるのは並大抵のことではなかっただろう。
「そういえば、ゲオーロ君とティゲルさんは?」
周りを見渡すと、十数名の街の住民の姿が灯りに照らされて確認できるが、その中に見知った彼らの顔が見当たらない。尋ねると、途端二人の顔が曇った。
「実は、逃げるときにはぐれたんだ」
ジュールが言うには、マキーナのレーザーで出来た瓦礫が道を塞いではぐれてしまったのだそうだ。
「マキーナは俺たちの方を追いかけてきたから、逃げ切れた可能性は高い。そこまで心配はしてないんだが」
「問題は、ゲオーロに渡したままの魔道具なのよ」
プラエが後を引き継ぐように言った。
「もしかして、私が頼んでいた」
「そう。そして、おそらく現時点で唯一あの化け物の装甲を貫ける可能性がある武器、なんだけど」
ゲオーロが最終調整をしている時にマキーナの襲撃があり、そのままという事らしい。
「ちなみにですが、持ってこれた魔道具類は何があります?」
「ジュールから聞いてるわ。体温で敵を追ってくるんでしょう。とりあえず水を生み出す魔道具『アクウェ』と撃った相手を凍らせるスティリアの弾丸、後使えそうなのは、アクウェに似た効果を持つこの『ワポル』かな」
アクウェとスティリアは知っているが、ワポルは初めて聞いた。
「これ、実はイーナの注文で作ってたのよ」
イーナはアスカロンの元団員で凄腕のスパイだ。アウ・ルムにある高級娼館『フェミナン』は裏ではスパイを育成しており、彼女はそこに所属していた。フェミナンオーナーであり友人でもあるアンから、正体がばれた彼女を守るために預かってほしいと頼まれ、一緒に旅をしていた。
「イーナが注文していたってことは、諜報道具の類ですか?」
「いや、というより美容器具ね」
「・・・美容?」
想定外の答えに、少し反応に困った。
「うん。だから、イーナ個人の注文というか、彼女から話を聞いたフェミナンの、ほら、あなたの友達の」
「アン?」
「そうそう。フェミナンからの注文、と言った方が正しいかな。アンオーナーから『金に糸目はつけないからぜひ作って』と言われてね。色々試作を重ねて出来上がったのがこのワポル。効果は・・・」
プラエの説明を危機ながら、私は作戦を練り直していた。
「・・・って感じなんだけど、これじゃあ、あんまり効果ないよね」
今の状況にそぐわないと彼女は思ったのか、少し自信なさげだった。
「あいつに私の魔道具入れを取られなきゃ、他にも色々あったんだけど」
「いいえ、何を言ってるんですか」
私はプラエの肩を力強く掴んだ。
「これで、勝ち目が見えてきました」
「・・・美容器具で?」
「美容器具で」
訝し気に私を見るプラエに向かって、力強くうなずく。そして、この場にいる住民たちに尋ねる。
「すみません。この古井戸の情報を知っている方はいらっしゃいませんか」
声が古井戸内に反響する。私の声が聞こえているのに、返答はない。聞こえてないはずがない。身を寄せ合っている者同士で顔を見合わせている。
「何でもいいんです。構造でもいいし他の場所に繋がっているとかでもいい。知っていることを何でもいいので教えてくれませんか。全員で、無事に生き残るために」
この問いかけが効いたのか、少しして一人が挙手した。ゆっくりとした足取りで近づいてきたのは、老年の男性だった。
「私の若いころの頃の話で、記憶は少々朧気ですが」
「構いません。教えてください」
ゲンマと名乗った老人は、目を瞑り、額に手を当てて記憶を探りながら話し始めた。
「昔、この井戸が枯れたことがあります。なので新しく水を引くことになりまして。代わりにここを氷室代わりに使おうという話がありました。その時にここを簡単ですが見て回りました。かなり広かった覚えがあります。私たちが居るこの場所は街の中央辺りで、一番幅のある場所です。ここを中心にして北東から南西に通路が伸びていたはずです。一番端は街の端くらいまで伸びていたと思います」
ダリア村から街に向かう道中に沢がある。ダリア村の村人がそこに隠れているはずだが、沢の水の流れは、もしかしたら繋がっているかもしれない。
「ここ以外にも古井戸が作られた場所が数か所あります。南にある自警団の詰所、東にある作物を保存しておく貯蔵庫、確かこの二か所にあったはずです。ただ」
ゲンマが目を開き、辺りを見渡した。
「見ての通り、再び水が流れ出したため、古井戸を氷室として使う事は出来なくなりました。今言った二か所に向かう通路も、途中が水に沈んでしまっています」
彼の話を聞きつつ、策を練る。頭の中にマップを作る。罠を仕掛け、段取りを組み、タイミングを計る。だが、どれだけ策を練ろうと、罠をかけようと、最も重要な一手がない。
『・・・さん』
雑音交じりの声が聞こえてきた。
『ラエ・・・ジュ・・・さん・・・誰か』
通信機からだ。取り出して振り、水気を切る。電子機器とは作りが異なるため、水没程度では故障はしないが、やはり水が音を妨げるのには変わりない。少し良くなったが、向こうからの問いかけはまだ不鮮明だ。
「こっちに声は届いてる。そっちは聞こえてる?」
言いながら、日が差し込む穴に近づく。少しでも障害の少ないところでなら、音を受信できるかもしれない。プラエ、ジュールが後ろからついてきて聞き耳を立てている。
『その声、団長?!』
ざらざらとした雑音が入るが、ようやく声がきちんと聞こえるようになった。
『ああ、良かった、繋がった!』
「ゲオーロ君? ゲオーロ君ね。そっちは大丈夫? 無事なの?」
『助けてください!』
私の声にかぶせるようにしてゲオーロが叫んだ。
「落ち着いて! 今どこにいるの」
『今、街の南にある古い井戸の中に皆で逃げ込んでいます。ですが、奴が』
ゲオーロの説明を甲高い悲鳴が掻き消した。今の声はティゲルか。一拍遅れて、何かが崩れたような音が古井戸内を震わせ、私たちは身をすくめた。
「ゲオーロ君?! 大丈夫?!」
『隠れているのがばれました! 天井が破られそうです!』
再び悲鳴が聞こえる。事情は察した。
「すぐ行くから、何とか隠れて。水の中に潜れるなら潜ってて!」
『お願いします! せめて、ティゲルさんだけでも!』
通信はそこで切れた。街の南側の古井戸と言ったか。振り返るとプラエとジュールが真剣な顔で私を見ていた。尋ねるまでもなく、覚悟は決まっているようだ。
「お聞きの通りです。時間がないので手短に作戦を伝えます」
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