第280話 アンゲルス・エクス・マキナ

 突然視界が明るくなった。だが、閃光手榴弾の痛みを感じるような強烈な閃光ではない。もっと穏やかな、月光のような柔らかく青白い光が空間を満たした。光源は、祭壇だ。私も、私と戦っていたモンス兵もこの異変に思わず手を止めて祭壇の方を見る。

「おお! 発動したぞ!」

 突然の戦闘に怯え、地面に伏せていたファナティが立ち上がって歓喜の声を上げた。

「そうか、そうかそうか。そういうことか! 認めよう。私の解釈は少し誤っていた。祭壇に書かれている『ウィタ・リクドゥム』、命の水とは、霊山の水だけではなかった。生命の体に流れる液体は水だけではない。血だ!」

 目を凝らす。祭壇の上にある陶器が割れ、そこから水がチョロチョロと流れている。その陶器の割れ目に刃が刺さっていた。おそらく、私が撃ったネズミのナイフだろう。ナイフにはおそらく、アルデアの血が付着していた。その血が水と混ざり、祭壇に流れたのだ。

「星は巡り、朝と夜、世界の境が揺らぐ、盟約に定められし時が来た! 骨格となる龍骨! 肉体となる土! 力を全身に巡らせる水と血! 御使いの依り代となる贄を扉であり鍵である祭壇に捧げる! 我は龍神の教えを順守せし者、龍神の代行者、新たなる主人である! 救い求めし者たちの願いを聞き届け、今こそ再臨せよ! 『マキーナ』!」

 祭壇がさらに強く輝き、光の奔流が柱となって天に向かって伸びる。

 光が唐突に消えた。代わりに、地上の祭壇の上にソレはいた。

「なん、だ、ありゃあ」

 モンス兵が、思わず口にした。気持ちはわかる。

 現れたのは体長三メートルから四メートル、人型をした何かだった。人間と龍を外科手術か何かで強引につなぎ合わせたみたいな、自然界には存在しない存在。

 頭は角が四本あってつるりとしていて白く、継ぎ目のない龍種の頭蓋骨のようだが、前に突き出した鼻から下はそのまま口があるわけではない。突然人間のような口元が歯茎をむき出しで現れている。人間が顔半分まで龍の被り物をしているようだ。

 首から下に視線を移動させる。ボディビルダー三人分位の隆起した筋肉は人体模型みたいに皮がなく表出していて、金属的な蛇腹のホースのようなものが筋肉を各パーツごとに区切っている。ホースは時折伸縮して、その中を光る何かが移動していた。手足も体と同じくごつく大木もかくやの太さで、しかしその先にある手足は機械仕掛けの義手になっている。モビルスーツかターミネーターに似ていた。

 正体はわからない。わかるのは、危険な存在だ、という事だけ。さっきから嫌な汗が全身から吹き出し、うなじがチリチリしている。

「ムト君」

 可能な限り小さな声で、ムトを呼んだ。突然現れたソレに視線を奪われていた彼の肩がピクリと動く。

「ゆっくり、アルデアを連れて下がりなさい。目の前のそれを刺激しないように、ゆっくり」

 私も視線をソレから動かさないまま指示を出す。ムトはアルデアの腕を引き、自分の背中に隠すようにしてゆっくりと下がっていく。

「素晴らしい。これが開祖の記した『龍の書』にある、たった一体で戦乱を終結させた御使い『マキーナ』か」

 私たちの恐怖を他所に、ファナティは恍惚とした表情でソレ『マキーナ』とやらを見上げている。

「おい、これはどういうことだ?」

 ファナティの隣に立つネズミが問い詰める。

「俺が受けた命令は、この地に眠る魔道具を回収することだったはずなんだが」

「そうだ。その通り。何も間違ってはいない。お前の目の前にいる『マキーナ』こそ、古の時代、龍神が創造し、地上に遣わした生きた魔道具だ」

「こいつが?」

 疑わし気な目でネズミがマキーナを見上げる。

「龍の書によれば、かつてこの地はいくつもの国が存在し、いつ終わるとも知れない戦いを繰り広げていた。しかし、龍神が遣わしたこの御使いが戦乱を収めた。その強大な力でもってな」

 ファナティの熱っぽい講釈は続く。その間もマキーナは微動だにせず、ムトたちは森の方へと移動している。

 流れ出る汗を袖で拭き、気づく。じわじわと懐のあたりが熱を持っている。尋常でなはい汗は、恐怖と緊張だけのものではなく、懐の熱さも影響していた。熱さの根源を探り当てる。インフェルナムから貰った謎の石だ。濃い赤色だったそれが、今はオレンジ色に輝いて熱を放っている。


 ギギッ


 異音がした、気がした。マキーナの方からだ。突然の変化は気になるが、石にかまけている場合じゃない。懐にしまってマキーナに集中する。動いたと思ったのは、気のせいだったのか。頭蓋骨の眼のところは、まだ黒いままで瞑っているみたいだ。まだ起きていない、と今はなるべく楽観的に物を考える。ムトは森に到達した。私もゆっくりと撤退を始める。幸い、ネズミたちはマキーナに集中していて、私たちのことなどどうでも良い様子だ。

「まあいい。これが魔道具なら、回収するだけだ。おい」

 ネズミが固まっていたモンス兵たちを呼び寄せる。我に返った彼らは、ネズミの指示通りに動く。

「お、おい! 何をする!」

「何って、決まってるだろう。回収するんだ」

「バカな真似はよせ! 御使いを何だと心得る! どれだけ希少な物かわかっていないのか! 傷をつけたらどうするつもりだ!」

「強大な力を持つ御使い様とやらがこの程度で傷つくかよ。・・・しかしでかいな。運ぶには馬車がいるか。とりあえずロープで固定して」

「止めろと言っているだろう! 私の命令が聞けないのか!」

「うるさいな」

 どん、とネズミがファナティを突き飛ばした。

「言ったはずだ。俺が受けた命令は魔道具の回収だと。その命令に従っているだけだ。お前の振りかざす学術的価値なんぞ知ったこっちゃない。魔道具は、武器だ。戦争の道具だ。これと同じ」

 ネズミが剣をファナティに突きつける。

「この祭壇の謎を解ければ、お前にはもう用はないんだ」

「ば、馬鹿なことを言うな。私は、コンヒュムの龍神教で解読班に勤める・・・」

「元、エリートだろ。話は聞いてるよ。龍の書にのめりこみ過ぎて古代文明だの異界だの、役に立たないロマンとやらを追い求める異端にしてお荷物。遂には龍神教からも見放された」

「元・・・? 見放、された・・・? 一体、どういう」

「あ、聞いてないのか? 今回の一件をもって、お前は破門されたんだ」

「私が、破門? 長年龍神教のために貢献してきた私が?」

「ああ。お前みたいな役立たずは必要ないんだとさ。だからこいつは、ていのいい厄介払いみたいなもんだ。お前の妄言通り魔道具が見つかれば儲けもの、見つからなければ責任取って死んでもらうことになってる。実際、こっちは大勢の仲間がお前の妄言に付き合わされて死んでるんだ。殺されたって仕方ないよな」

「だが、事実ここに魔道具は、マキーナはあったんだぞ! この功績はどうするつもりだ!」

「上手くいったなら龍神教のトップ、教皇様の手柄、ご人徳の賜物、聖人の奇跡だとさ。で、失敗すれば、わかるだろ? 頭のおかしい学者の失態、責任だ」

「そんな・・・」

「ここに、お前の功績は存在しない。存在するのは、お前の死体だけだ」

 ネズミが剣を振りかぶる。ファナティの口から悲鳴が上がる。

 鮮血が舞う。噴水のように人体から吹き出した血液が、ファナティの顔を濡らし、地面を赤く湿らせる。

 どう、と首のない死体が倒れた。ネズミ、と呼ばれていた人間の死体だ。彼の首があった場所に、巨大でメタリックな手が握りこまれた状態で存在した。手の隙間から、ぼたぼたと血が滴っている。手がゆっくり開かれると、べちゃっとネズミの頭だったものが落ちた。原型は存在しない。

「ひゃああああああああああああああ!」

 ファナティが白目をむき、泡を吹いて卒倒した。

 血濡れの御使いの目の部分が、爛々と青く輝いていた。

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