第275話 あなたは私を怒らせた

「脱走された? そんな馬鹿な」

 ムトが驚いて立ち上がり、ディールスに詰め寄る。

「地下室を利用した牢に、捕虜の手足は拘束されていた。所持品も全て没収した。僕も立ち会って確認している。自警団も交代で見張りについていたはずだ。どうやってそこから脱出できるんだ」

「ネズミが潜り込んでいたようだ」

 苦り切った顔でディールスは答えた。

「交代の自警団員が、牢の前で死んでいる自警団の仲間を発見した。牢は開かれ、中はもぬけの殻だった」

「まさか、敗走したと見せかけて、仲間を助けるためにこの街に潜入したのか?」

 考えられないことではない。密命を帯びているという事は、失敗が許されないという意味でもある。失敗しても捕虜になっても、命令を下した人間は知らぬ存ぜぬで切り捨てると理解していただろう。

「それなんだが、妙なんだ」

 ディールスが神妙な顔で説明した。私たちも身を乗り出して彼の話に耳を傾ける。

「街からの追加依頼で、俺たちは周辺の警戒を請け負っていた。また襲ってくるかもしれないと危惧していたからな。だが、俺たちの警戒網を突破した形跡は見当たらない」

 セプス傭兵団の戦い方を観察していたが、けして未熟なわけではない。むしろ反対で、数で勝る連中を押しとどめていた事からも練度や実力は高い。その彼らの警戒網、しかも襲撃から何日も経過し、音沙汰がなくて油断していたならともかく、襲撃のあったその夜、最も警戒している時に突破するのは難しい。となると、最初から街の中に潜んでいた、という事になる。

 厄介だな。普通であれば、仲間が一丸となって街を襲撃しているのを見れば、協力のために正体を現すものだ。ここで勝利を収めてしまえば、潜入を継続する必要がなくなるのだから。だが、そいつは戦いの最中、ひっそりと息をひそめていた。仲間がやられても、撃退されても、これまでと同じように街の中に潜んでいたことになる。自分の任務遂行だけを見据えて行動を徹底しているような人間は厄介だ。

「また、殺された自警団だが、抵抗した形跡が見当たらない」

「背後から突然襲撃された、ってことか?」

 ジュールが尋ねる。

「いや、そうじゃない。自警団が死んでいたのは、地下室がつながっている部屋の中だ。つまりだ。争った形跡はないのに、自警団は襲撃者を牢の前まで案内したってことになる。油断したところをブスリ、とやられていた」

「身内、顔見知りの犯行か」

「考えたくはないがな」

 裏切り者の犯行、ということか。もしくは魔道具による変装。

「今、自警団と協力して脱走した捕虜たちを捜索している。あんたらにも協力してもらいたい」

「協力、ね・・・」

 彼の顔を見る限り、協力してほしい、という感じではない。どちらかというと協力しなければただじゃおかない、という感じだ。協力、ではなく監視だろうな。疑われているのだ。当たり前で、シンプルな話だ。自分たちや自警団が犯人ではありえない。残っているのは私たちだけ。私たちなら、敵の撃退に協力しているから自警団も警戒することはない、というところか。

 私が観察しているのに気付いたディールスが、こちらを見返す。視線が交錯することしばし。

「わかったわ。協力する」

「良いんですか?」

 予想外の返事を私がしたことに、ムトが少し驚いていた。

「ええ。その方が、安心なのでしょう?」

 後の問いかけはディールスに向けたものだ。

「ああ。話が早くて助かる」

「ただ、こちらには非戦闘員もいる。手伝うのは私と・・・」

「僕も行きます。あとジュールさんが」

「え、俺も?」

「働いて返してくれるんですよね?」

「わぁかったよ。・・・飯食ってからじゃダメ?」

「このパン食べながらでお願いします」

 ため息をつきながらジュールがパンを噛みちぎる。

「私たち三人だけでいいわね?」

「問題ない」

 プラエたちをここに置いていっても問題ないってことは、見張りでも立てる気か。好都合だ。見張りが護衛代わりになる。振り返り、プラエたちに声をかける。

「というわけで行ってきます。通信機は・・・」

「持ってるわ。私がもともと持っていた物は、お情けで差し押さえられずに済んだから」

「よかった。何かあったら連絡をください。あ、あとすみませんプラエさん。私が使えそうな武器はありませんか?」

「武器って、ウェントゥスがあるでしょう?」

「折れました」

「折れたぁ?! はぁ?! 何で?!」

 さっきもしたような気がする説明を彼女に聞かせた。

「ですので、何か代わりがあれば」

「いや、あれに代わる物なんか流石にないわよ」

 ウェントゥスは素晴らしい魔道具だったとプラエは語る。流し込む魔力やトリガーによって複数の効果を得られる魔道具などそうはない。そもそも魔道具の効果は通常一種類だ。複数の効果を得ようとすると、その効果を発動させるための魔術回路を複数用意しなければならない。それだけでなく、切り替えるための回路も必要になってくる。効果を生み出す回路に加えて切り替える回路を組み込めば、当然その分重くなる。武器が重くなれば使い心地は変わる。もちろん重いことが重要な武器、斧や鈍器はあるが、軽い方が使いやすい。また、軽ければ組み込める武器の種類も増える。

 ウェントゥスは、魔術回路をトリガーの機構によって物理的に切り替え、効果を入れ替えていた。同じ回路を使うから重さの問題もクリアできている。合理的で、洗練された芸術品だった、と。

「そうですか。そうですよね。流石にプラエさんでも無理ですよね」

 ピクッと彼女の体が震えた。傍にいたジュールとティゲルがひきつった顔をしている。どうしたんだろう?

「おい、どうでもいいが、早くしてくれ」

 食堂の外でディールスが待っていた。

「すみません。すぐ行きます」

 仕方ない。また自警団から槍を借りるか。外に出ようとして。

「待ちなさい」

 むんず、と頭を掴まれた。そのまま強引に頭をひねられる。

「ちょ、痛っ、痛いですプラエさん。なん・・・で・・・」

 言葉がしぼんでいった。代わりにか細い悲鳴が呼吸と共に出た。

 目の前に、鬼がいた。笑顔だけど、笑みをかたどった目の奥は全く笑っていなかった。

「アカリ。あなた、今、私に何て言った?」

「え、え?」

「無理、と言ったわね? この私に。魔術師に。無理、と」

 静かな声音がより一層恐ろしい。震えることしかできない。

「良いでしょう。わかりました」

 彼女が手を離した。何が良いというのだろうか。

「捜索に行ってきなさい。その間に準備しておいてあげる」

「な、何を、でしょうか?」

 恐る恐る尋ねる。彼女の口元が、三日月のように細くすうっと開いた。

「代わりになるものを、です。ウェントゥスには遠く及ばないかもしれませんが、無いよりはましな物を。ゲオーロ、ティゲル」

「「はいぃ!」」

「一緒に来なさい」

 突然呼ばれたゲオーロ、ティゲルと共に、プラエは食堂の奥の部屋を借りて、そこに引っ込んでしまった。

「後で、謝っておくことを勧める。酒も、持って行った方がいいだろう」

 私の肩を叩き、ジュールが言った。私は何度も頷いた。

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