第266話 天秤にかけるは過去と未来

 鈍く光る刀身が迫る。陽の光を反射している、だけではなさそうだ。アレーナで防ぎ、弾いたところを叩くつもりだったが、とっさに下がる。

 私の眼前を刃が通過し、盗賊の墓標替わりに突き立てた剣に当たる。

 バチンッと光と音が弾けた。剣と剣が触れる直前、一瞬青白い線が二本の剣の間で発生した。

「電流か」

 勘に従って正解だった。まともに受けていれば感電していたところだ。

「はぁああああっ!」

 襲撃者はさらに一歩踏み込み、返す刀で斜めに切り上げてくる。触れれば確実に意識を刈り取られる。ならば。

 体を逸らし、剣の軌道上から逃れる。相手の剣が振り切られたところで、アレーナを鞭に変化させ、相手の手首を下から叩く。くぐもった悲鳴と共に相手が剣を手放す。アレーナをそのまま伸ばし、相手の首に巻き付け引き倒す。落下してきた剣を掴み、相手の背中に足をのせて押さえ、剣を首横に突き立てる。

「この、離せっ!」

「己の状況を把握していないようね」

 グイ、とアレーナを縮め、締め落とさない程度に加減しながら相手をエビぞりにする。周囲の物陰からぞろぞろと武装した集団が出てきた。先ほど私に矢を射かけた連中だ。襲撃者の仲間、傭兵団だろう。

「何のつもりだ、ディールス!」

 ムトが連中に向かって怒鳴る。

「どうして僕たちを、この人を襲う!」

「理由はお前が守ろうとしている女と、その女が捕らえているアルデアに聞いてくれ」

 ムトが振り返り、私の足元に転がっている女性を見た。まだ少女と呼んで差支えない彼女に、私を襲う理由があるという。私を睨む彼女の顔をじっと見る。

「ああ」

 思い出した。この顔、見覚えがある。見たのは五年前だ。まだ子どもだったが、その面影がある。

「あなた、あの時私に腐った卵を投げつけた子どもね?」

「殺し、て、やる! 殺してやるぞ、魔女め!」

 憎しみが燃え上がる。感情が凶器となるならば、私は何度この少女に殺されるだろうか。

 だが、感情が現実に及ぼす物理的影響など存在しない。私自身が実証済みだ。感情は推進力になるだけで、結局のところ欲する結果を得るにはやはり物理的に達成するしかない。運も実力も伴わないなら、何も成せずに死ぬだけだ。

「よく私の顔を覚えていたわね。まだあんなに小さかったのに」

「忘れるものか、憎き貴様のその顔を、インフェルナムに跨りこちらを無表情に見下ろす魔女を忘れるわけがない! 貴様のせいで、家族は焼け焦げた。私の目の前でだ! あの日、全てを失ったんだ! 貴様さえいなければ! 私の家族を返せ!」

 ああ、彼女はきっと、私が国を滅ぼすまで幸せだったのだろう。だから、きっと気づいていない。これまでいくつもの国がカリュプスに虐げられ、滅ぼされ、今の彼女と同じような感情を抱きながら死んでいった人間が大勢いた事に。自分の幸せの足元に、多くの憎しみが埋まっていることに。そんな彼女を、自分と重なる彼女を私は嗤う。

「悪いけど、死んだ者を甦らせる術は知らないわ。私が知りたいくらいよ」

「ならば死んで詫びろ! 今ここで、私の父に、母に、無念を抱いたまま死んでいった全ての者に詫びながら死ね!」

 これが、ムトたちと合流できなかった最大の理由だ。私の顔を知る、あの時あの場にいた連中の生き残りがわずかながら存在する。私自身の因果に、彼らを巻き込むのは筋違いだ。

「お断りよ」

「何だと!」

「恨まれるのは仕方ない。憎まれるのは当たり前。私はそれだけのことをしでかした自覚がある。あなたのような復讐者に狙われ、殺されるならまだ諦めもつくけど、自分からは死んでやらない。私を守って死んだ皆に申し訳が立たないからね」

「だったら、私が殺してやる!」

「笑わせないでお嬢ちゃん。感情に任せて突っ走った挙句、仇に捕らえられ、味方の動きを阻害している役立たずの自覚はおあり? その程度の実力で取れるほど、この首は安くないわよ」

 歯をむき出して唸る小娘から、ディールスと呼ばれた、おそらくこの傭兵団の団長の方へと視線を移す。

「それで、あなた方はどうする? この子を犠牲にして、私を殺す?」

「団長!」

 ムトが諫めるような声を上げて、それでも私とディールスたちの間に体を割って入れた。

「その人数なら、まあ、私の命は取れるでしょうが、こちらも全力で抗うわ。多少の被害は覚悟しておくことね」

 なぜこんな交渉のようなことをしているかというと、交渉できる余地があると踏んだからだ。もし全員がアルデアと同じように私に対して復讐心を抱いているなら、なりふり構わず押し潰しにかかるはずだ。こうして周りをのんびり取り囲んでいる暇などないはず。こちらへの攻撃も矢を射かけ、アルデアが捕まった後は止んでいる。

 それに、ディールスは『アルデアに聞け』と、復讐からは少し引いた発言をした。彼自身はカリュプス出身ではあるが、王都にいなかったものと考えられる。怒りも憎しみもあるだろうが、彼女ほどではない。また私と違いプラエがカリュプスに対して抱いていた一種の諦め、踏ん切りに近いものを、彼らも私に対して抱いている。私を殺しても失ったものは戻ってこない、ということを理解して、これからのことを優先している気がする。

「ディールス団長! 構うことはないわ! 私のことは気にせず魔女をっ」

 ぐいとアレーナを引っ張る。感情ばかりが先走る人間の厄介なところは、時にその感情が他人に伝播する事だ。彼女の復讐心が伝播されると、少々面倒なことになる。そうなる前に封じておく。

「下っ端が団長に意見するもんじゃないわ」

 言いつつ、彼らの様子を観察する。ほとんどの団員が足を前に踏み出すなど体を無意識に動かしている。数人が武器を構え、今にも飛び掛かりそうな雰囲気だが、そうはならない。仲間の命に加え、私が交渉の余地を残していることを向こうも察している。余地がないなら、敵の頭数を減らすために私がさっさと彼女を殺しているからだ。確実に助けられる仲間と、討てるかどうかわからない、逃げられるかもしれない仇。二つを天秤にかけるのは、良い意味で諦めの良い大人。

「アルデアを開放してくれ」

 ディールスが言う。天秤が傾いた。

「ただで開放すると思うの?」

「条件は何だ?」

「もう私に関わらないで。もちろん、この子にも言い聞かせて」

「ふざけるな、そんなもの聞けるわけ」

 再び騒ぎ出したアルデアの口を塞ぐ。

「傭兵の仁義に基づいて、約束する」

「傭兵の約束は重いわよ? もし仁義に背いて破ったら、どうなるか知ってる?」

 ある傭兵団は幹部や部下を大勢失い、信用が失墜した。これまでの伝手で何とか持ちこたえているようだが、彼らのような小さな傭兵団は一度信用を失えばその後の仕事を全て失うことになる。

「知ってるよ。俺たちだって生きていかなきゃならない。あんたを騙し討ちで殺したって、その後で食い扶持がなくなったら意味がねえからな。なんなら、証人としてここに村人何人か集めて、彼らの前で宣誓し、署名したって良い」

「その後で証拠を消すために全員を殺す、なんて笑い話は」

「しねえよ。約束する。それに、あんたのお仲間の方が、俺たちより足が速そうだ。街に先に着かれたら俺たちは終わりだからな。割に合わない賭けはしない主義なんだよ」

 私はムトたちのほうに目配せする。アルデアを解放した後、彼らが妙な動きを見せた時にすぐに動けるように。ムトも頷き、後ろ手に閃光手榴弾を構えている。久しぶりだ。このすんなり話が通じる感じ。村人との共闘では意図が汲んでもらえず歯がゆい思いをしただけになおさら嬉しく、ついつい口元がほころんでしまう。

「じゃあ、ディールス団長。ゆっくりとこちらへ。アルデアを引き取りに来て。念のため、武器はその場に置いて」

「わかった」

 彼が一歩ずつ近づくのに合わせて、私はアルデアから距離を取る。彼がアルデアの両肩に手を置いたところで、アレーナを解除する。

 解放された途端、アルデアが振り返って剣を掴む。私に向かって飛び掛かる。が、その前にディールスに羽交い絞めにされる。

「離して団長!」

「駄目だ! こらえろ!」

「この女は殺さなきゃならない! 殺さなきゃならないの! 私はその為に、今日まで生きてきたんだ!」

「それでお前は満足するかもしれないけどな! 俺たちはこれからも生きていかなきゃならねえんだ! お前の自己満足で、俺たちを飢え死にさせる気か!」

 ディールスの言葉がアルデアの動きを止め、ついでに私にも突き刺さる。笑うしかない。私もまた、自分の自己満足のために大切な人たちを犠牲にした。その結果得られたのが多くの恨みと悪名と賞金首だ。

「ぐ、う・・・、くそぉおおおおおお!」

 アルデアが剣を投げ捨て、天に向かって吠えた。

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