第262話 小さな依頼人

 ドアの前にいたのは、まだ幼い少年だった。汗まみれで息を切らし、近くの椅子に手をかけてもたれかかっている。体にはところどころ擦り傷が見られ、血がにじんでいる。尋常な様子ではなかった。

「おい、どうした。大丈夫か?」

 心配した食堂の店主が彼に水を差しだした。少年は口元からこぼすほど勢いよくコップを傾けて水を飲み干し、せき込む。店主が彼の背中をさすり、ようやく息が整ってきたか、少年はまた同じ言葉を繰り返した。

「助けてください。お願いします」

「助けて、って唐突に言われてもな。一体、何があったんだ? そもそも、お前さんはどこの誰だ」

「僕は、ダリア村のジェンといいます」

「ダリア村? ここから山越えたとこにある農村じゃないか。何でそんなところから」

「村が、盗賊に襲われたんです」

 盗賊と聞いて、にわかに食堂がざわついた。

 戦いが増えれば、当たり前だが勝敗の数も増える。勝者はそのままでいられるが、敗者の行く末は様々だ。死体となって朽ちるか、勝者の軍門に下るか、奴隷となるか、落ち延びて再起を誓うか。その中で、盗賊、野盗の類に身をやつす者も残念ながら多く存在する。

「盗賊だと。数は?」

「わかりません。最初に三人がやってきて、村を取り囲んでいることを告げて、命が惜しければ食料と金を差し出せって命令してきました。村長は準備するからと言って時間を稼ぎ、その間に僕にこの街に行って、案内所に依頼を出す様言われました」

 ジェンが案内所に行って事情を説明すると、職員から驚きの情報を得たという。

「この街にかの『魔女』様がいると聞きました。依頼は受け付けるが、直接頼んでみた方が早いかもしれないと案内所の職員さんに言われてやってきたんです。こちらに魔女様はいませんか。いらっしゃったら、どうか、僕の村を救ってほしいんです」

 いませんか、と声を張り上げる少年に、ムトは近づいた。

「残念だけど」

 自分の方を振り向く少年に、ムトは言った。

「ここに、君が探している魔女はいない」

「え、でも」

「別の宿に魔女を名乗る奴はいたけど、偽物だった。多分、今頃この街から逃げ出してるんじゃないかな?」

「そんな・・・」

「そもそも、魔女なんてもういないんだよ」

「よせよ」

 ゲオーロはジェンに八つ当たりしそうになったムトの肩を掴み、下がらせる。代わりに少年の前に屈んで視線を合わせた。

「少し休んだほうがいい。疲れてボロボロじゃないか」

「村が襲われてるんです! 父や母、妹が危険かもしれない。休んでる場合じゃないんです!」

 ゲオーロの親切を振り払って、ジェンは叫んだ。

「この中に、傭兵団の方はいませんか! お願いです。依頼を受けて、村を守ってもらえませんか!」

 ジェンの声が響いて、消えていく。その間に誰も手を上げることはなかった。

 この中に傭兵がいない、というわけではない。ムトたちも二人しかいないが一応傭兵で、この旅の中でも小さな依頼を細々と請け負っていた。

 彼らは理解しているのだ。どれだけ急いでも、村はもう滅んでいるのではないか、と。ダリア村がどこかはわからないが、山を一つ越えるのにかなりの時間がかかる。子どもの足だとなお更だ。ジェンがここに到着するまでにかなりの時間がかかっているはず。急いで今から出ても、到着は明日の朝になるだろう。盗賊が今日要求に来たとしても丸一日。小さな村から全てを奪い去るのに、一日もかからない。かけるようなら盗賊失格だ。

「どうして、誰も・・・」

 誰からも反応がないことに、ジェンは泣きそうな顔で項垂れた。傍から見ていても可哀そうなほどだった。そんな子どもに『金にならない仕事はしない』と言えるほどドライな人間はいなかった。同時に、情にほだされる人間もいないわけだが。

「・・・クソ」

 ムトが頭をかいた。そして気づいた時には、ムトはまたジェンの前に立っていた。なぜそうしたかはわからない。ただ、もしここに彼の団長がいたら、同じようにしたのではないかと考えたら、同じような行動をとっていた。

「おい。ジェン」

「は、はい」

「幾ら出す」

「え?」

「報酬だ。僕たちは傭兵だ。報酬がなければ動かない」

「あ、ええと、村長から、村を守ることができたら金貨十枚払うと」

 小さな村で金貨十枚はかなりの大金だった。だが、この依頼の割に合うかと言えば、そうでもない。村を包囲したというのならかなりの規模の盗賊団になる。

「少ないな。それに、村が無事じゃなければ支払われないんだろう、それ」

 緊急の依頼の場合、案内所に成功報酬を預ける時間がないため後払いになることが多い。

「おい、ムト!」

 流石にゲオーロが止めに入る。彼が想像していた通り、ジェンの頭の中に村が無事ではない想像がなかったのだろう。幼いジェンは絶句していた。

「事実だろ。・・・いいかジェン。辛いだろうが、現実を見ていこう。君の村が襲われたのはいつだ?」

「昨日の、夕方です」

 かなり前だな、とムトは頭の中で時間を逆算していく。アスカロンにいた時、師であるギースから様々なことを学んだ。そのうちの一つが事象を整理することだ。いつ、どこで、誰が、何を、どうしたか。原因と結果を明確にし、正確な情報を記録する。戦いにおいて情報は優先度の八割を占めるからだ。

「昨日の夕方から、今日の夜まで丸一日かかっている。君が言うように盗賊が村を包囲していたのなら、今頃はすでに何もかも奪われている」

「そんな・・・」

 ジェンがさらに落ち込むのを見ながら、ムトはふと気になった。

 今自分が考えたことくらい、村長もわかっていたはずだ。であるなら、依頼ではなく、多くの村人を逃がそうとするのではないか。ジェンの話では、彼の妹も残っているという。何歳かは知らないが、一緒に逃がすものではないか? それをせず、彼だけを逃がして依頼してくるように指示した。

 そもそも、包囲されているというのに、彼はその包囲を突破して街に辿り着いている。妙だ。ムトの中で引っかかりが生まれた。もしかしたら、僕たちが知らない情報があるのではないか。その情報をもとにして、村長はジェンが依頼を出して傭兵を連れて来るまでの時間を稼げると考えたのではないか。例えば籠城とかだ。それならば、村はまだ無事の可能性がある。

 ただ、安易な憶測を口にしないだけ、ムトも成長していた。

「ジェン。君は、僕らに幾ら払う」

「僕が・・・?」

「そうだ。今言った通り、村が存在しているかどうか定かではないから、金貨十枚は期待できない。確実に支払えるのは君だけだ。どうする? 僕を・・・」

 そこでムトはゲオーロの方を見た。勝手に話を進めていたが、ここまで共に来てくれた戦友を蔑ろにしていることに気づいた。ムトの視線に気づいたゲオーロは頷いた。

「僕たちを雇うか? ただ、盗賊を全員倒せ、とかは無理だ。人数的に。僕たちにできるのは君と一緒に村まで戻って、君の家族や、無事な村人と一緒に逃げるくらいだ。危険だと思ったら僕たちは自分の命を優先する。それでも良ければになるけど」

 絶対できる、とは言い切らない。自分の出来ることを把握しておくのも大事だと教わった。

「雇います! お金は必ず支払います。だからお願いします! 一緒に来てください! 家族を助けてください」

 深く頭を下げる彼の頭を軽く叩く。

「承った。成功報酬の、出世払いにしておいてやる。ゲオーロ」

「うん。すぐに荷物をまとめるよ」

 成功報酬で依頼を受ければ、成功なら村が無事なので最初の話の通り金貨十枚を貰えるし、無事でなければ失敗だから受け取らない。甘いなあと心の中で微笑みつつも、ゲオーロは二つ返事で引き受けた。

「よし。行くぞ」

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