第261話 贖罪

 自分が宿泊している宿屋に戻ってきたムトは、自室にトニトルスを戻してから一階にある食堂へと向かった。

「ムト、おかえり」

 奥のテーブルにいた男が彼を手招きする。そのテーブルへと近づき、椅子を引いて座る。男がムトの前に水の入ったコップを差し出した。

「ありがとう。ゲオーロ」

「噂の方は、どうだった?」

「ハズレだ」

「だろうね」

 二人の間に沈黙が流れる。互いにコップを口に運んだ。


 燃え落ちるカリュプスから命からがら逃げ出して、五年もの月日が経過した。最初の一、二年は、団長を探すために奔走した。しかし、二年を過ぎ、ひたすらに労力を消費して無駄骨を折り続け、何度もハズレを引き続けると、どうしても弱気の虫が顔を出す。みんなの間で団長はもしかしたらもう、という空気が流れだすのは仕方のないことだった。

 生き残った者は生きなければならない。死んでいった者のためにも、意地でも生きなければならない。団長の願いでもあった。傭兵団アスカロンの団員たちは生きるためにそれぞれの道を歩み出した。団長が団員たちにと分配してくれた団の資金は、彼ら一人一人を遊んで、は難しいがつつましやかな生活であれば二、三十年は送れる程度には存在した。その金を元手に商売を始める者、田舎へ移住する者と多くの選択肢があったが、何故か誰も他の団への入団や新たな団の結成など、傭兵の道には戻ろうとしなかった。皆、口を揃えて『一生分戦った』『もう化け物と戦いたくない』と言い訳をしていたが、本当はわかっている。アスカロンでの生活が彼らにとっての傭兵生活であり、彼女が復讐のために作った、それでも居心地のいい場所はもう存在しないと理解していたからだ。

 一人、また一人と去っていく彼らの背を見ながら、ムトはその居心地のいい場所が忘れられず、幻影に縋りつくように過去に留まっている。

「あなたも、もう自分の将来を優先して考えた方が良い」

 別れ際、プラエがムトに言った。彼女は数度にわたるプルウィクスからの招へいにようやく応じ、臨時の魔術顧問として王立工房に入ることになった。

「プラエさん。あなたまで、団長は死んだって思っているんですか?」

「いいや。あの子がそう簡単にくたばるような人間じゃないってのは、私が一番知ってる」

「だったら探しに行きましょうよ!」

「探し出してどうするの? またアスカロンを率いろって?」

「そうですよ! 戻ってきて、貰わないと」

「それは、あなたの願いでしょう」

 プラエの言葉がムトの胸に刺さった。その通りだったからだ。

「もちろん、私だってまたあの子と旅をしたい。けど、あの子がそれを望んでいるなら、情報が出てくるはずなのよ。でもイーナのフェミナンネットワークにもあの子の話は上がらない」

 イーナの元上司であり、団長の友人でもある娼館フェミナンのオーナー、アンは各地にある支店を利用した独自の情報網を持っている。団長が行方不明になってから、イーナとアンは彼女の行方を探るべく情報を集めているが、今日まで成果は上がっていない。

「意図的にあの子が消息を絶っている」

「え・・・」

「そうとしか考えられない。これだけ探して捉まらないなら、向こうが私たちに見つからないようにしている」

「な、なんで・・・そんな・・・」

 さあね、と苛立たし気にプラエは言い捨てた。

「迷惑かけたとか、合わせる顔がないとか、そういうくだらない事を気にしてるのかもね。バカみたいなことに気を遣うから」

 気にしてないっつうの、と肩を怒らせてプラエは去っていった。

 確かに、団長は自分の目的を果たすために団を利用していると言った。けど、ムトたちはそれを承知で彼女についていくと決めたのに。

 そこから三年。各地を放浪しながらムトは団長の消息を追っていた。団長の名を語る偽物には多く出会えたが、本物の足跡は全く見つけられなかった。


「そもそも、あの団長が自分から魔女だなんて名乗るとは思えないんだよね」

 ゲオーロが重苦しい場を取り繕うようにして、明るい声で言った。

「傭兵にあるまじき謙虚な人だったもんね。普通、自分はこれだけの偉業を成したんだぞ、これだけの修羅場を潜ってきたんだぞ、って自慢するもんじゃない? でもそれが逆に、只者じゃないって空気を纏ってて格好良かったっていうか」

「なあ、ゲオーロ・・・」

 ゲオーロの言葉を遮って、ムトは言った。

「もう、僕に付き合わなくていいんだぞ」

 ゲオーロは言葉を詰まらせた。

「お前には、帰る場所があるだろう? ミネラのファキオ親方も待ってるだろうし、ドンバッハのティゲルさんのところもある。ドンバッハの味噌の需要が増えて、人手が欲しいって領主様言ってたろ?」

 それだけではない。戦いの需要は兵士だけではなく、兵士が使う武具を加工する鍛冶師もまた高かった。ゲオーロほどの腕があれば、どこでも雇ってくれるだろうし、プラエと一緒に魔道具の工房に入ることもできた。

 だが、ゲオーロはそういった良い話をすべて断り、ムトと共に旅を続けることを選んだ。放っておくと、団で初めての友は壊れてしまうのではないかと危惧したのだ。そしてその推測は当たっていた。

「ムト、どうして」

「団長を探すのは、僕のわがままだ。お前がついていくって言ってくれた時、本当にうれしかった。でも、それも終わりにしよう。お前には一流の鍛冶師になるって夢があるはずだ。僕に付き合って、貴重な時間を無駄にするべきじゃない。槌を振るうのを一日さぼれば、取り戻すのに三日かかるんだろう。何日振ってないんだよ。その腕、腐らせるべきじゃないだろう」

「心配しなくても、練習はずっとしてるよ。それに、俺だって団長に逢いたいんだ。あの人の持つ知識は、鍛冶師にとって刺激になるから。だから、ムトが気にすることじゃない」

 それよりも、とゲオーロは話を変えようとする。マズい雰囲気になっているのは、人間の機微に疎いゲオーロでもわかった。

「やっぱり、今後の方針を考えよう。魔女の噂を追うのは多分意味がない。それよりも団長の特徴を伝えて地道に」

「その団長がいないんだよ! どこにも!」

 カップがテーブルに叩きつけられる。しんと食堂が静まり返る。

「どれだけ探しても見つかるのは偽物ばかりだ。確かめて、違って、確かめて、違っての繰り返しだ」

「だからそれを見直そうって」

「つらいんだ」

 ゲオーロの声は届かず、絞り出すようにしてムトが呟いた。

「団長にもう二度と逢えないんじゃないかって考え出したら、どんどん悪い方に考えが向かって、それが現実なんじゃないかって思い始めて。夢にあの人の死に顔が浮かんで跳び起きて、そんな日が何日も続いて。こんなんじゃダメだってわかってる。でも」

 両手で顔を覆い、ムトは咽ぶ。

「団長のことを、心のどこかで諦めかけている自分がいるんだ」

 ムトの脳裏によみがえるのは、カリュプス兵に追い詰められ、そして、彼女を見捨てて逃げ出した、あの時のことだ。

 どうしようもなかったと、皆が言った。あの場面で二人一緒に逃げる方法はなかった。何より、団長がムトを助けるためにわざと捕まったのだと。

 本当にそうか? 常にムトは自問してきた。本当は別の手があったのではないか? もっと良い方法があったのではないか?

 助かって、ほっとしたのではないか? 自分が助かるために、見殺しにしたのではないか? あの団長なら、自分を犠牲にしてムトを助けることをわかっていたのではないか?

 違う、と何度頭を振っても、その考えはまとわりついた。その贖罪として団長を見つけようとしているのではないか。自分自身が安堵したいから。結局、自分のためなのだ。プラエが言った『あなたの願い』という言葉は、つまりはそういう事なのだ。

 どんどん悪い方向へムトが向かっているのを理解しながらも、ゲオーロはどうすることもできず、震える友を見ていることしかできなかった。せめて、何か流れが変わる出来事が起きてくれれば。

 バン、と激しく音を立てて食堂のドアが開いたのはそんな時だ。全員の視線が入り口に向けられる。

「助けてください!」

 ドアから入ってくるなり、闖入者は叫んだ。

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