第259話 龍の生まれた日

 ゆっくり立ち上がり、ふらつく。その拍子に重さで剣が勝手に抜けた。血が流れ出る。

「こりゃ、私もダメかな」

 映画の真似をして、急所にならないところを選んだはずだが、痛いものは痛いし、血は流れる。映画のようにはいかないものだ。まあいい。やるべきことは大体やった。傷口を押さえ、出口へ向かう。痛みで死にそうだが、こんな奴と川の字で死ぬのはごめん被る。


 キュウン


 顔を上げると、インフェルナムの幼体がちょこんとお座りの体勢でこっちを見ていた。

「なんだ・・・。てっきり、親元に戻ったと思ってたわ」

 私が近づいても、逃げる気配はない。

「わざわざ待っててくれたの?」

 幼体の頭に手を乗せて撫でると、鼻を鳴らして甘えた声を漏らした。成体と違って、愛嬌がある。

 幼体を伴って、再び広場まで歩く。ついさっきまで、人が溢れ、嘲笑と憎しみと呪詛が渦巻いていたが、今は誰もいない。時折バチッと燃える家屋の爆ぜる音がする。赤く染まった無人の大通りを、一人と一匹が歩む。

 ぶわ、と風が体を撫でる。見上げると、インフェルナムが空から降りてくるところだった。巨体に似つかわしくない優しい着陸で、私たちの前に降り立つ。

「やあ、お疲れ様」

 インフェルナムと目が合う。互いに憎み合う間柄だが、一度共闘したくらいで奇妙な信頼感が生まれていた。俗にいうストックホルム症候群というやつだろうか。

「約束通り、カリュプスを滅ぼしてくれたようね。じゃあ」

 幼体の方へ目を向ける。幼体もこちらを見上げていた。顎で行け、とインフェルナムの方を指し示す。幼体は私と親を何度か見比べた後、とてとてと親の方へ近づいていった。一度こちらを振り返り、キュオンと鳴いた。でっかくなれよ、と手を振る。

「こちらも約束通り、確かに仔どもは返したわ。これで、お前との取引は完了よ」

 インフェルナムは何も言わない。こちらの出方を伺うように、じっと見つめている。

「改めて、私と戦え。インフェルナム」

 驚くほど穏やかな声で、私は最強の生物に挑戦状を叩きつけた。

「取引が終わったのだから、今から私たちは対等な敵同士だ。これで最後にしよう」

 勝ち目がないのはわかっている。だが、どのみち私はここで死ぬ。ならば、最初の目的を果たすために最後まで、この消えかかっている命を使い切る。後悔しながらめそめそと死ぬのではなく、最後まで駆け抜けて死ぬ。

「おおっとっ?」

 ぐらり、と体が右に傾く。意識が薄れかける。右足で、文字通り踏みとどまる。倒れたら、おそらくもう目覚めることはない。

「来ないなら、こっちから行くわよ」

 よたよたと奴の足元まで怪しい足取りで近づく。奴の強靭な前足の、硬く、強い、人の顔よりもでかい鱗に向かって、右腕を振りかぶり、叩きつけた。いや、そんな格好いいものじゃない。ハエが止まるほどヘロヘロでヨロヨロなパンチだ。拳も力が入らない、ただのグーの形をとっただけのものだ。ついつい笑ってしまう。こんなに私は弱かったのか。

 弱かったのだ。今まで強かったのは、そう錯覚できていたのは皆がいたからだ。一人だとこんなにちっぽけでもろくて弱い、情けない人間だったのだ。

「ごめんね、皆。これが、今の私の精一杯だわ」

 悔しさはもちろんある。でも、何故だか心は晴れ晴れとして満足感があった。

 膝が笑い出した。力が抜けていく。ずるずると体が重力に引かれて、横たわった。動く力はもう、ない。

「未練は、あるけど、悔いは、ない、わ」

 急速に近づいてくる眠気に負け、私は目を閉じた。


――――――――――――――――――――


 矮小な生物が、足元で横たわっている。インフェルナムにとっては、自分たち以外は全て矮小な生物ではある。

 だが、とインフェルナムは思考する。これまで自分の前に現れたどんな矮小な生物とも違う、珍しい生物だった。己に怯えながらも取引を持ち掛けたり、勝ち目のない戦いを挑むにしては、恐れを一切抱かず穏やかな笑みを湛えていたり。

 己を前にした生物が取る行動はだいたい決まっていた。恐怖に怯えて逃げるか、命乞いをするかだ。だがこの生物は当てはまらない。

 さっぱりわからない。これまでの長い生のなかで、これほど意味不明で愚かで不思議な生物を、インフェルナムは見たことがなかった。

 インフェルナムも覚えている。己の眼を奪ったこの生物を。卵を奪い取ったこの生物たちを憎んでいる。その気持ちは今も変わらない。今日、この生物たちの巣である『街』とやらを燃やし尽くして、幾分かは溜飲が下がったものの、やはりこの生物は許せない。殺しておくべきか。

 キュウキュウ、と頭上で仔が鳴く。ふむ、確かに。こいつは盗んだ生物とは別個体である。その憎しみをぶつけるのは間違っている、か。それに、こいつの働きのおかげで結界が失われた、というのだな。珍しく約束も守る個体でもある。

 この生物『人』は、己の欲望のために平気で嘘をつき、同族すら騙し、殺す。生物の中でも最も愚かな種である。その業ゆえに卵を盗み出すような愚行を犯したわけだが、まれにこういう、同族が犯した愚行を正す、浄化作用的働きをする者が現れる。その者自身は気づかずとも、結果が浄化作用となるように天命が導くことがある。そういえば、そういう『人』を何匹か見たことがあったか。

 キュウキュウと仔がまた鳴く。なるほど。こいつを生かしておけば、今回のように我らの益となるかもしれないというのだな?

 インフェルナムがゆっくりと頭を垂れる。横たわる人を口の先でついばむ。食い千切るためではなくつまみ上げるためだ。人を咥えたインフェルナムが羽ばたく。

 すでに命運尽きかけているが、それはそれで構わない。だがもし生き残れば、あるいは。


――――――――――――――――――――


「インフェルナムがカリュプスからいなくなったみたいですよ」

 『旧』カリュプス王国ラニカイ領元領主邸にて、義手の男、プルウィクスの将サルースが言った。

「ようやくか・・・。まったく。一時はどうなるかと思ったぞ」

 隣にいたコンヒュムの将軍にして、連合軍総大将アポスが胸をなでおろした。

「自分のために全てを利用したといい気になっているクソガキを潰すだけかと思いきや、まさかあんな化け物がやってくるとはな。噂で聞いていたのだが、カリュプスがインフェルナムの卵を所持しているってのは本当だったんだな」

「みたいですね」

「じゃあ、その卵を取り返しに来たってわけか。どんな化け物でも、我が仔は大事なのだな」

「母の愛は偉大、故に怒らせれば死を招く、ってことですね。怖い怖い。触らぬ龍に祟りなし、だ」

 ふん、とアポスは鼻を鳴らす。目の前の男は、その愛を利用してドラゴンすらも利用し、操ったという。

 味方のうちは頼りになるが、もし敵に回れば最も厄介な相手。少しでも妙な真似をすれば即斬る相手。アポスはそう認識していた。

「で、ファース新国王はどうなった? インフェルナムに殺されたのか、それとも逃げおおせたのか?」

 考えを悟られないよう話を変える。逃げ出していたら厄介になる前に捕らえて殺さなければならない。ここでカリュプスという国を確実に滅ぼす。王族に生きていてもらっては困るのだ。生き残ると、途端に担ぎ出す輩が現れる。そうなると厄介だ。

「潜入していたソダール隊長の話によれば、殺されていました」

「手間が省けたな。インフェルナム様様だ」

「いえ、首の骨を折られていたので、人間の手によって殺されたとのことです」

「なんだと?」

 一体誰が、ファースを殺せたのか。もし人間で殺せるとしたら、これから攻め込もうとしていた自分たちくらいだ。まだ進軍指示は出していない。ファースを殺せるものが存在しないのだが。可能性を一つ思いつき、アポスは口にした。

「逃げ出そうとしたところを、ソダールたちが殺した、ということか?」

「それも違います。彼らが発見した時、すでに死亡していました」

 アポスの思い付きをサルースはすぐに否定した。ますます謎だ。ファースを殺した、首級を上げたのだから、その者には褒賞と叱責をくれてやらねばならないのに。叱責はもちろん、独断専行、命令違反の件だ。

「いやいや、一人いるじゃないですか。あの王都でただ一人、ファース王を殺す動機を持つ人間が」

「・・・まさか」

 いる。ソダールの定期報告にもあった。囚われ、牢獄につながれていたはずの女だ。その女は処刑されたのではないのか?

「いえいえ。それどころか、彼女こそカリュプスを滅ぼした張本人ですよ」

「ど、どういうことだ。どうして、処刑を待つだけの女が、兵に囲まれたファースを殺すことができる」

「いや、報告を受けた私も、まだ内容を上手く呑み込めてないんですよ。信じられてないっていうか」

「いいから、報告しろ」

 サルースが苦笑を浮かべる。この知将ですら、この結末は想定できなかったに違いない。報告を聞き終えたアポスは、唖然として、口を開けてたっぷり時間をかけて呆けていた。

「馬鹿な・・・。インフェルナムを従えた、だと?!」

「従えたっていうか、取引したそうですよ。カリュプスを滅ぼすのに手を貸せば、仔どもを返してやるとかなんとか。後は、彼らも逃げるのに一杯いっぱいで詳しくは聞いてないそうですけど。インフェルナムの頭に飛び乗って、空高く舞い上がったと報告にあります。ソダール隊長は、時間稼ぎくらいになれば、みたいな軽い気持ちで彼女の縄に細工をしたらしいんですけど、まさかこんなことになるとは思わなかったでしょうね」

「笑い事ではない! これまでドラゴンが、それもインフェルナムのような最上位種が人間に味方したことなど」

「ありますよね? 龍神教の経典にもいくつか逸話はあるはずです」

「五大国の伝説のことか、そんなもの王族を神聖化させるための作り話だ!」

 一人の信者として経典を蔑ろにする問題発言だが、それも致し方ないことだった。

「いや、しかしですね。事実今さっき起こったことを否定はできませんよ」

「認められん! 認めてはならんのだ! それを認めてしまえば」

「ああ、そうか。龍神教では、その者こそがリムスに平和をもたらす救世主、でしたね。あ、いや、破滅をもたらすんでしたか?」

「両方だ。過ちを正す者。この世界が誤っていれば、それを破壊し、新たな世界を創造するといわれている」

「そいつは大層な存在だ。今度彼女に会ったら媚を売ることにしましょうかね」

「ふざけている場合か!」

「まあまあ落ち着いて。これっぽっちもふざけてはいませんよ。伝説は大事です。だから、思い切り利用しましょう」

「どうするつもりだ」

「我々の仕事を肩代わりしてくれた彼女には申し訳ないですが、悪役になってもらいます。我々がカリュプスを頂戴するのに都合の良い大義名分として、彼女の名を使わせていただきましょう」

 アポスに一時間後軍議を開いてもらうよう進言し、サルースは国内外に広めるための説明文を作り始める。

「あなたは、本当にすごい人だな。いつも僕の想像を超えてくる」

 硬く目を瞑り、彼女との握手を思い出す。もしかしたら、愛したかもしれない人のことを思う。

「許せ、とは言わない。憎んでくれて構わない。だけど、僕にも譲れないものがある。そのために、あなたを利用する」

 目を開いたサルースは彼女に対するすべてを封印し、一心不乱に紙に文章を書き連ねる。


――――――――――――――――――――


 数日後、リムス全土に衝撃が走る。

 大国カリュプス、陥落。その報に誰もが驚き、言葉を失った。カリュプスと言えば五大国の一つ。リムス中にネットワークを持つ巨大商会ファリーナ商会を抱えた南の雄である。そんな大国が滅びることすら信じられないのに、その滅びた原因がさらに信じられないものだった。

 国を滅ぼしたのは、たった一人の魔女だという。

 魔女は伝説のドラゴン『インフェルナム』と共に現れ、王族を根絶やしにし、煌びやかだった王都を一夜のうちに灰燼に帰し、再び空へと去っていったという。

 人々は恐怖した。大国を一夜にして滅ぼすドラゴンと魔女の存在を。いつ、自分たちのもとに現れるか気が気ではなくなっていた。

 そんな人々の不安を取り除くために、龍神教教皇が立ち上がった。ドラゴンの襲来、魔女の恐怖から衆生を守るため、コンヒュムと志を同じくする十二国が同盟を結び、同盟連合国軍を編成すると宣言した。

 連合軍は手始めに傷ついたカリュプスに進軍し、災害によって傷ついた人々や村、街を救援して回った。彼らの存在をカリュプスの人々はもろ手を挙げて歓迎した。信じられないほど迅速に破壊された家屋は修繕され、物資が手に入ったのだから。彼らの生活が元に戻るまで駐屯することになっても、誰も反対しなかった。その意味を悟るものは、全てドラゴンによって灰になってしまったからだ。だから、そこに住むものが本当にカリュプスの住人だったかは誰にもわからない。

 激怒したのはカリュプス以外の他四国だ。連合軍の魂胆は見え透いていた。駐屯し、そのまま自分たちの物にしてしまうつもりなのは明白だった。自分たちであればそうするからだ。みすみす肥沃で広大な大地を小国の連中にくれてやるわけにはいかないと息巻いた。

 だが、タイミングを見計らったように様々な問題が国内で発生した。特に最も近いアーダマスでは、金鉱山で大規模なデモ、水源地で原因不明の病が蔓延、領内各地で大小さまざまな獣害などなど、問題が矢継ぎ早に発生した。

 強引に進軍することはアーダマスにはできなかった。進軍した背中を残りの三国が狙っていると、各地に散った工作員たちからの報告があったからだ。もちろん、同じようにラーワー、ヒュッドラルギュルム、アウ・ルムにも同様の報告があった。

 では同盟に参加している小国に圧力をかけようと目論むも、今度は残り十二国がけん制した。一国であれば敵にすらならないが、十三国、それも自国を取り囲むようにして位置する国々が同時に攻めてくればただでは済まない。勝てたとしても、結局他の大国によって滅ぼされてしまうのは明確だった。

 これまでずっと同じ理由でにらみ合いをしていた四国は身動きが取れず、カリュプスが切り取られていくのを、指をくわえて見ていることしかできなかった。

 たった三年で、元カリュプス領は十三国連合共有領『テンプルム』として生まれ変わり、十三連合国は四国を上回る巨大国家へと変貌した。

 だが、以前の五大国とは違って、今の五大国の拮抗は危ういものだった。カリュプスが滅びた衝撃はやはり大きく、大国であっても滅びる、という印象を植え付けるには充分だった。そのことを各国の王族が最も重く受け止めており、いつか自国も滅びるのでは、と怯えるのは当然だった。ゆえに大国内では連合に組みするべきだという声も上がり始め、戦争によって他国を併呑しようとする反対派と衝突し、国内で不穏な空気が生まれ始めた。連合国にとっても他人事ではなかった。大国が連合に組み込まれればパワーバランスが崩れ、議会制を取っていた連合が破綻するのではないか。だが大国の協力があれば他の国を攻め取れる、と、意見が分かれ、連合国の一枚岩が崩れ始めた。

 かくして、リムスは再び戦乱の世へと移ろい始めた。各地で小競り合いが起き、謀略が張り巡らされ、多くの人が死んでいく混沌の時代だ。

 そんな中、最も儲かる職業は傭兵稼業だった。どこにでも戦場があり、需要があった。大手傭兵団は言うに及ばず、小さな団も名を上げ、力をつけて大傭兵団へと成り上がっていった。リュンクス旅団、パンテーラが良い例だ。

 多くの傭兵団が旗揚げしては消え、また結成されて消え、と繰り返される中。傭兵を目指す者たちの間で妙な噂が流れ始める。

 かつてカリュプスを滅ぼした魔女が、傭兵団の仲間を募っているという。

 その噂は瞬く間に広がり、入団希望者は血眼になって魔女を探した。ドラゴンすら操る彼女のもとでなら、どんな戦にも勝てる。そう考える者は少なくなかった。


 滅国の魔女。歩く災厄。龍の巫女。

 名を『アカリ』という。

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