第257話 盛大な後の祭り

 何故だ。

 親指の爪を噛みながら、ファースは自問する。

 王として輝かしい未来が待っているはずだった。歴史に名を刻む英雄となるはずだった。

 ついさっきまで、世界は美しく輝き、微笑んでいたのだ。間違いなく。民衆に祝福され、玉座へつき、覇道を歩む、はずだったのに。

 今や景色は赤く染まり、周囲には瓦礫が散乱し、民衆は逃げたか死んだかわからない。玉座は失われた。自分の前に敷かれていた覇道はとうに埋もれ、代わりにあるのは無残な逃走ルートだ。ファースは二人の側近に挟まれ、ネズミのようにびくびくしながら惨めに逃げていた。

 どこで間違った。自分は何を間違った。あり得ない。あの状況から、全てを手にした状況から、どうして全てを失うことになる? 完璧だったはずだ。王座を簒奪するまで完璧だった。

 龍の生まれた日。

 どこかの学者どもがドラゴンの活性化と歴史のターニングポイントを結びつけようとしたバカげた学説だ。歴史が動くとき、ドラゴンの目撃例が増加するという。

 もちろん、ファースもいくつかの逸話は知っている。有名なのは遥か昔、痩せた大地で皆が飢えているのをカリュプス五世が嘆くと、その声に応えたドラゴン達が現れ、大地を耕して肥沃な大地に変えた、という。他にもいくつか知っているが、そのどれもが国を救う英雄、傑物の出現と関連している。先の話に出たカリュプス五世は、この逸話によって歴代で最も人気のある救国王として祭られている。龍神教の信者はカリュプス五世がドラゴンの生まれ変わりだったなどと嘯いている。

 ならば、インフェルナムの出現は俺が英雄となる兆しではないのか。祝福を与えるべきではないのか。俺が、歴史に刻まれるために!

 祝福の代わりに与えられたのは全てを灰燼に帰す炎だった。城も民もことごとく炎に飲まれ、王都は破壊されていった。

「いや、まだだ。まだ終わらん」

 王である自分が生きている限り、カリュプスは終わらない。王都から脱出し、辺境に身を移す。奴らが戴冠式に来られなかったのは僥倖だった。王都は壊滅したが辺境に被害はない。イディオが辺境貴族や軍をまとめておいてくれたのも自分にとっては好都合だ。奴の意思を継いで国を再編する、その際は更なる地位を約束する、と言えば奴らは従うだろう。事実、多くの貴族が城内で死んでポストが空いている。空いたポストにそのままスライドさせればいい。簡単な話だ。

 そうだ。まだ俺の覇道は始まっていない。この苦難を乗り越えれば、風は俺に吹く。国を再建させた賢王として歴史に名を刻む。龍の生まれた日は、俺が成長するためにあったのだと笑って話せるときがくる。

 希望がファースの前に現れた。まもなく王都から脱出できる。側近たちの表情からも険しさが少し和らいだ。

 だから、死ぬことになる。彼らは死ぬまでわからない。完全に安全だと判断するまでは安全ではない。もうすぐ安全だと認識してしまうその時こそが最も危険で、かつ油断しやすいという事を。

 ファースの頬にぴっ、と滴が飛んだ。思わず立ち止まり、手で拭う。手が、赤く染まっていた。

「な、きさ」

 側近の怒声が途中で途切れる。声につられて顔を上げると、側近の数が減っていた。一人は地面に倒れ伏し、もう一人はだらんと力なく両手を下げていた。その手から剣が落ち、ガランと音を立てた。首のなくなった側近の体が剣に覆いかぶさるようにして倒れた。

 前にいた二人がいなくなったことで視界が開けた。ファースの前には一面に広がる炎が照らす赤と、赤の中央に小さな黒い影があった。影は徐々に大きくなって、やがて一人の女へと変わった。

「どこへ行こうってのよ」

 肩で息をしながら、傷だらけの女は笑った。

「最前列で見ていくといい。お前の短い天下が燃え落ちていくのを」

「龍ぅうううう殺しぃいいいいいっ!」

 怒りに顔が歪む。全ての元凶が目の前にいた。剣で切りかかる。一合、二合と切り結び、つばぜり合いになる。

「貴様さえ、貴様さえいなければ! 俺はカリュプスを、全てを手にしていたのに! 輝かしい未来を築き、歴史に名を遺したはずなのに! 許さぬ。絶対に許さんぞ!」

 逆恨みも甚だしいわね、と女は苦笑した。つばぜり合いから、互いに腕を突き出して反動で飛び、間合いを開ける。

「そもそも、私がいようがいまいが、最初からお前に未来なんぞなかったのよ」

「何だとっ!」

 ファースの神経を逆なでするような、女の嘲笑。

「全部を裏で操ってました、本当の黒幕ですみたいなドヤ顔していたから、教えてやるのが可哀そうで憚られたんだけど、もういいでしょう。教えてあげるわ。お前は最初から騙されているのよ」

「俺が、騙されている? 馬鹿な。俺が誰に騙されているっていうんだ」

「正式名称は知らないけど『虐げられし者たち』とかいう連中に、よ」

 それこそ昨日教えてもらっただけの私がドヤ顔でいうのもどうかと思うんだけどね。と女は大仰に両手を広げた。

「そもそも、不思議に思わなかった? いくら急だといっても、貴族が自分たちの王の戴冠式に出席できないなんて。隣の国のコンヒュムにいた私たちですら頑張れば一日で来れたのよ? 何をおいても来るもんじゃない?」

「それは、反乱の後始末が」

「馬鹿ね。そもそも反乱は王都から兵を出すための口実、しかもあなたたちが仕掛けたものでしょう。片付けなんてすぐに終わるに決まってるじゃない」

 その点はファースも気になっていた。そこまで手間取るはずがないのに、来られないとはどういうことかと。作戦概要を知らない兵たちの前でそこを指摘はできなかったのでそのままにしておいたが。

「お前からの呼び出しが辺境に届いたころ、すでに辺境は『虐げられし者たち』によって制圧されていた。返事をしたのは成り済ました彼らよ」

「噓をつくな! 腐ってもカリュプス辺境軍。精鋭たちだぞ! そこらの小国の全軍よりも強大な軍が、そう簡単に」

「複数の小国の連合軍だとしたら?」

「・・・は?」

 こいつは、一体何を言っている? 小国の連合軍だと? そんな動きなどなかった。軍が動けば流石に気づく。女はファースの考えを読んだのか「それがあったの」と言った。

「誰にも知られないように集まっていたの。これには私も驚いたわ。まさか、アルボスやラクリモサの事件がここにつながっているとはね」

 女は女自身にだけわかる話を用いて額に手を当ててぼやいている。

「彼らは少しずつ、少しずつ兵を商人や積み荷に偽装して運搬し、カリュプス周辺に潜んでいたの」

「俺の国に、攻め入る算段をしていたというのか。たかが小国が・・・。だが、なぜ他の四つではなく、カリュプスを奴らは選んだ」

「色々と理由はあるだろうけど、決め手はお前だ、ファース。お前のちっぽけな野心に奴らは付け込んだ。私もすぐに気づくべきだった。ハーミットに変装していた魔道具、どこから仕入れたの?」

「あれは、信頼できる部下が」

「その信頼できる部下は今どこに? そこに倒れている連中じゃないわよね」

 部下は、いない。インフェルナムが現れた時の混乱ではぐれてしまった。いや、撒かれた、のか? まさか、奴が裏切った? そもそも味方ですらなかったというのか?

「あの魔道具は『虐げられし者たち』が他国に潜入する際によく使う物よ。彼らはそうやって他国に潜入し、情報を集め、時に混乱を生み出していた。そんな彼らが、お前の野心を知った。で、利用できるって考えた。お前が得意満面に用意した玉座簒奪作戦すらも彼らの計画通りだった。他国に暗殺事件を悟らせない為のスピード勝負だったあの暗殺は、お前が玉座を取りやすくするための物ではなく、彼らの動きが知られないために利用された」

「奴らは、この国をどうするつもりだ」

「支配者のいない土地をどうするかなんて、決まってる。彼らが何人、何か国かは知らないけど、ケーキみたいに上手く切り分けられて分割されるでしょうね。カリュプスは広いから」

「許されるものか。俺の国を、好き勝手させてたまるか!」

「残念だけど、お前の国はもう存在しない。カリュプスは、ここで消える」

「消えぬ! 俺がカリュプスだ。俺さえ生きていれば、いくらでも再建できる!」

「哀れなことね。現実が見えてない」

 ふう、とため息をついて、女は剣を構えた。

「ああ、でも、最低でも一つは願いを叶えられると思うわ」

「願い、だと?」

「ええ。お前は歴史に必ず名を遺せるわ。大国カリュプスを滅ぼした暗君として、未来永劫嘲笑の的にされるでしょうよ」

「貴様ぁあああああああ!」

 頭が怒りで染まる。殺す。こいつだけはこの手で、ここで殺す。もはや誰も敬わぬ、従うもの無き王の剣を振りかぶり、ファースは女に飛び掛かった。

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