第256話 窯の底から空を仰ぐ

 あと少しだってのに。

 周囲を囲むカリュプス兵に目をやりながらプラエは悔し気に顔を歪めた。


 第三王子ファースが戴冠式をここまで急くとは思わなかった。領内の貴族たちが集まりきって、全員の前で儀式を執り行う。王としての最初の仕事がアカリの処刑となるはずだから、まだ準備期間が数日はあると思い込んでいた。だが、城下に潜入していたジュールから広場の前に大量の希少品が積み出され、頂上に一本の杭が打ち立てられたと報告があった。処刑の準備であることは明らかだ。ファースは貴族たちの前で戴冠の議を執り行うことよりも、その立場を早く手に入れることを優先したようだ。

 よくよく考えれば、ファースの動きは納得できた。暗殺自体、奴自身が仕組んだことだ。時間が経ち、有力な貴族が戴冠に待ったをかける可能性もある。疑問に持つ者だって現れるかもしれない。妨害されるくらいなら、混乱している状況を利用し、いち早く玉座に座ってしまった方が良いと考えたのだろう。腐っても王家の血族、王になってさえしまえば表立って文句をいう輩はいない。正統な後継者が一応正式な手続きをとって王になったのだから。

 それにしたって急ぎすぎな気もする。もしかしたらプラエたちの知らないところで何か別の理由が存在するかもしれない。

 そんなことはどうでもいい。重要なのは戴冠式に合わせてアカリの処刑が決まったという事だ。充分な準備も出来ず、プラエたちは侵入し、救出作戦を決行するしかなかった。

 ただ、これには大きな問題が存在していた。これまで作戦立案はアカリとモンド、かつてはギースが大部分を担ってきた。プラエたちはアカリたちが立てた大まかな作戦の細部を埋めるためのワンポイントアドバイスがせいぜいだ。最近はその作戦会議の中核に参加しだしたムトだが、アカリがいないことで冷静さを著しく欠いている。作戦を立てられるような状態ではなかった。

 同時に、多くの団員を失ったことも作戦を更に困難なものにしている。雑な作戦でも決行できるほど人員がいれば物量で何とか出来るかもしれないし、人間が多ければ出てくる策、アイディアの数も変わる。

 今のアスカロンは、頭も手足ももがれた状態だった。作戦遂行など夢のまた夢、といった状況だ。ファースのことを笑えはしない。自分たちも無謀と理解しつつアカリ救出を断行した。


「はっ、結果がこれ?」

 笑えないわ、とプラエは自嘲する。冷静さを欠き、周りが見えなくなっている。かつてアカリに言ったセリフが自分に返ってきた。

 結果は散々。早々にカリュプスに動きを察知され、尻尾を巻いて逃げるはめになった。あと城壁さえ越えれば、外に隠してある車に辿り着けるというところで追いつかれ、壁際に追い詰められている。

 必死に頭を巡らせ、プラエは打開策を模索し続ける。壁を破壊することは可能だ。破壊するために必要な爆弾の設置を敵が許してくれれば、という条件が付くが。こちらから無理なら、外からならどうか。車にはボブとティゲルを残してきた。車には多少の爆弾は残してある。設置してもらい、爆破してもらうか。それも、先ほどの策と同じで爆発するまでこちらが持ちこたえられるかが肝になってくる。であるなら、車を壁に突っ込ませるか。時速八十キロで衝突すれば・・・いや、却下だ。その速度で衝突すれば運転している人間が無事では済まない。ティゲルやボブが途中で車から飛び出すという芸当をできるとも思えない。

「つうかさ、あんたらさっきの鳴き声とか気にならないわけ?」

 カリュプス兵たちに向かって毒づく。

「絶対この国の危機だと思うわよ。私たちに構ってる暇なんかないと思うんだけど?」

「そう思うなら、さっさと投降しろ」

 カリュプス兵の中の一人が言った。この部隊を率いる隊長だ。

「我らが受けた命令は、カリュプスを貶めた魔女の仲間を捉えることだ。その命令を遂行したら、すぐさま鳴き声の方へ向かう。だからさっさと縛につけ」

 こっちも忙しいのだ、と鬱陶しそうに隊長は言う。

「良いか。十秒数える。十秒の間に全員武器を捨て、投降しろ。投降の意思が見られない場合、実力行使する」

 非情なカウントが始まる。こっちは何一つ策がないというのに。プラエが歯噛みした。

「おい、どうすんだよプラエ。こいつは本格的にまずいぞ」

 テーバが銃を構えながら耳打ちした。

「そんなもん見りゃわかるわよ」

「プラエさん、テーバさん。僕が切り込みます」

 ムトが小太刀を構えた。

「僕が道を作ります。皆さんはそこから脱出してください」

「馬鹿、あなた一人でどうにかできる人数じゃないでしょうが」

「そんなことを言っている時間はありません。こんなところで時間を食っている今も団長の命が危険にさらされているんです。僕は、今度こそ団長を助けるんです。絶対に」

 ギラギラした目でムトが言う。ああもう、とプラエは顔をしかめた。自分の命を何とも思ってない連中特有の目だ。アカリもカリュプスのことを語るときこんな目をしていた。

 カウントは続く。三、二、一


 ひときわ大きな鳴き声が、プラエたちの全身を打ち付けた。心臓を鷲掴みにするような、生物に根源的な恐怖を与える鳴き声。今度はそれだけじゃない。爆発音が轟き、空が真っ赤に染まった。その場の全員が体を竦ませる。

「聞き間違い、じゃなかったのね」

 建物の隙間から吹いてくる熱波を浴びて、プラエは思い出してしまった。多くの仲間たちを失った日のことを。こんなことができる生物が一件、彼女の記憶の中でヒットした。というか、そんな生物が何種類もいてたまるか。

『誰か聞こえますか!?』

 突如、通信機から声が聞こえた。

『聞こえてたら、今すぐ応答してください!?』

 こんな状況にもかかわらず、プラエは泣きそうなくらい嬉しくなった。

「アカリ?! アカリなの?!」

 プラエの声に、テーバやムトたちが思わず敵から目を離してしまう。

『プラエさんですね!? よかった、無事ですか!?』

 いつも通りの冷静な声に腹が立つ。こちらがどれだけ心配したと思っているのか。

「そっちこそ無事なの?! あなた、死刑されそうだったんじゃ」

『何とか逃げ出しました。私は無事です』

 ほう、とアスカロン団員たちの胸にのしかかっていた重しが一つ外れた。それよりも、とアカリが続ける。

『今すぐ、カリュプスから離れてください』

「は? ちょ、どういうことよ。私たちはあなたを助けに」

 プラエの話を無視して、アカリは続ける。

『すでにお気づきかと思いますが、インフェルナムが現れました。まもなく、この街は燃え落ちます。巻き添えにならないよう逃げてください』

 なるほど、インフェルナム登場のどさくさに紛れて逃げられたという事か。ここには奴の卵がある。ジュールからの情報で、希少品が外に運び出されているとあった。外に卵が出たことで、存在に気づいたインフェルナムが現れたとしてもおかしくない。しかし、それならアカリの危機はまだ去っていない。彼女はインフェルナムの近くにいる。迎えに行かなければ、と思ったところで、嫌な予感がプラエの頭に浮かんだ。

「アカリ、まさかあなた、この期に及んでインフェルナムを討つために残ろうってんじゃないでしょうね」

『半分外れです。説明すると長くなるので簡潔に、事実とこれからの予定を伝えます。今、私はインフェルナムに乗っています』

「・・・は?」

『一種の共闘状態にあります。これからファースを殺し、この国を滅ぼしてきます』

 プラエの頭は真っ白になった。これからどうするって? 新国王を殺し? 国を滅ぼす? 居酒屋に行く気軽さで言う事じゃなくない?

「ちょっと待ってちょっと待って、ごめん。理解が追いつかないんだけど。あなたマジで何言ってんの? 頭おかしくなったの?」

 それとも、おかしくなったのは自分の方か? 構わずアカリの説明は続く。

『インフェルナムに人間の区別はつきません。また、立派な城壁が炎をまんべんなく城下街に巡らせるための窯の役割を果たしてしまいます。なので、逃げてください』

 上空を見上げる。曇天でありながら、太陽の代わりに世界を照らす炎があった。

「え、あれに乗ってんの? 熱くない?」

『意外に快適です』

 理解が及ばず、どうでもいい事を呟くと、それに対する答えをアカリは律儀に返してきた。炎が一部分かたれる。小さな炎が徐々に大きくなって落ちてきて、一拍の後に街を焼いた。

「くそ、マジか!」

 毒づくも一瞬。プラエはすぐさま背後の壁に爆弾設置準備を始めた。

「おい、お前ら!」

 話を聞いていたテーバが、街が焼かれる様を呆然と見ているカリュプス兵に向かって怒鳴った。

「死にたくなきゃ、逃げろ!」

「え、あ、いや、しかし」

「馬鹿たれ! あれが見えてねえのか! 最強の生物ドラゴンの中でも最強クラスのドラゴンだぞ! 災害と同義語だぞ! お前、災害が近づいてるのに逃げねえのか! 今しか逃げるチャンスはねえぞ!」

「わ、わかった。総員、撤退! 撤退だ!」

 その言葉を待っていたカリュプス兵たちは、我先にと門へ向かって走り出す。

「よし、敵兵は離れたぞ。これで邪魔されるこたぁねえだろう」

 額にひさしを作って彼らの背中を見送って、テーバが言った。こちらの作業を見られるわけにはいかなかったからだ。

「ナイスよテーバ!」

 敵の目さえなければ設置は五分とかからない。

「爆破させるわ。みんな離れて!」

 全員が物陰に隠れたのを確認して、プラエは爆弾に魔力を流し込む。ドン、と破片をまき散らし、城壁が設置された部分を中心にして円状にえぐれた。空いた穴は小さく、とても人が通れる大きさではない。指向性を持たせることで破壊したい部分だけに衝撃を集中させることを目的とした爆弾だが、まだ威力が弱いのがネックだな、と爆発の分析を頭の中で行いつつ、プラエは通信機に向かって次の指示を飛ばす。

「ボブ! 聞こえる?」

『プラエさん!? ああ、よかった。無事だったんですね。恐ろしい鳴き声がしたと思ったら突如街が燃えて』

「後で全部説明するから、今は指示に従って!」

『は、はい!』

「すぐに車を動かして。合流地点にしていたあたりまで来て。城壁に小さな穴が空いてるところがあるから。ティゲルは近くにいる?」

『はい~います~』

 こんな時だというのに、間延びした緊張感のない声でティゲルが応えた。

「車に残ってる爆弾を、その穴に取り付けて。設置方法は教えた通りよ」

『了解しました~』

 城壁の向こう側から車のエンジン音が聞こえてくる。団員たちが声を上げて居場所をボブたちに伝える。少しして、小さな穴に爆弾が差し込まれた。

『プラエさん、ありったけの爆弾をこの小さな穴と周辺に設置しました~』

「よし、安全圏まで下がって、爆破して」

『りょ、了解です~』

 幾分緊張した声が返ってきた。

『発破ぁ~』

 再度腹の底に響く音を立てて爆発が起こり、城壁が崩れた。今度は人間が通れるほどの穴になった。

「皆、急いで逃げるわよ!」

 団員たちが素早く穴を潜っていく。

「待ってください!」

 自分も潜ろうとしたところで、プラエは袖を引かれた。

「団長は? 団長はどうするんですか?!」

 ムトが叫んだ。

「さっきのアカリの通信聞いてなかったの?! 今からここは蒸し焼き鍋の底になるのよ!?」

「団長を見捨てるんですか!?」

「アカリは今この場で一番安全なところにいるっつの! 私たちがいたら、あの子の邪魔になるのがわからないの?!」

「し、しかし」

 それでもムトは未練があるのか、ちらちらと後ろを振り返るばかりでその場から動こうとしない。そんな彼の胸倉をプラエは掴み、引き寄せる。

「いい? アカリがどうして仇であるインフェルナムと共闘していると思う? 多分、あの子私たちが捕まったと思ってたのよ」

 最初に安否を確認するような通信だったのが良い証拠だ。

「どうやったのかわからないけどインフェルナムの力を利用して、ファースを殺し、国を滅ぼそうとしている。それは全て、私たちのため。私たちを救うためにしたことなのよ。私たちが役立たずなばっかりに、あの子に苦渋の選択を強いたの。私たちにできるのは、あの子の邪魔をしないことくらい。あなた、そんなあの子の気持ちを無下にするつもり?」

 泣きそうな顔のムトを、プラエは突き放した。

「それがわからないなら、ここで死になさい。後で自分のせいでムトが死んだと知ったら、あの子、どう思うかしらね」

 言い捨てて、プラエは街の外に出た。

「団長・・・すみません・・・すみません・・・」

 己の未熟さに打ちひしがれながら、ムトはのろのろと穴を潜る。せめて邪魔にならないように、部下として最低限の義務を果たすためだ。少しして、彼らがいた場所は炎にのまれた。

 燃え落ちる国から、一台の車が離れていく。

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