第255話 龍と傭兵

 ロープを外し、足裏が熱いのも構わずに燃える山を駆け下りる。アレーナを右手にはめ、左手でウェントゥスを掴む。二つの魔道具に隠れて見えなかったが、その下に通信機もあった。これまでの習慣で鎧のポケットに入れようとして、その鎧を奪われたことを思い出して舌打ちする。掴んだままのロープで即席のストラップにし、首からかける。

 私が奴の姿を視認しているように、奴も私、正確には頭に乗ったままの幼体を見つけていることだろう。距離は瞬く間に縮んでいる。ここに到達するまで、後一分あるかないかだ。

 奴を殺すために、私は今まで生きながらえてきた。自分が死ぬ直前になって現れたのは、天命としか思えない。どうせここで失う命だ。刺し違えてでも討ち果たす。

 悲鳴が、インフェルナムに向いていた私の意識を掴んで強引に振り向かせた。

 そこらにいるカリュプスの連中の悲鳴ならさっきから聞こえているし、聞こえていないようなものだ。どうでもいい連中なのだから。今聞こえた悲鳴は通信機からだ。聞き間違えようがない。プラエの声だった。忌々しいファースから、皆が追われていると告げられた。まさか、この状況でまだ追っているのか?

 くそ、鳥頭もかくやの記憶力だな私は! ついさっきまで彼女たちを助けるためにファースを殺すと決意したばかりだというのに、目の前にインフェルナムが現れた途端頭が真っ白になって、インフェルナムを殺すことだけに意識のすべてが持っていかれた。

 このような状況であっても、こちら目掛けて飛んでくるインフェルナムを諦めたくない。

 だが、こんな私を助けに来てくれた皆を見殺しになどできはしない。

 頭を回せ。三十秒以内に打開策を打ち出せ。両方諦めなくて済む方法を。

 感情が訴える。

 インフェルナムを殺せ。お前はその為に生きてきたのだろう。ありとあらゆるものを利用して、犠牲にしてでも討ち果たすと誓ったのだろう。今こそ誓いを果たす時だ。これほどのチャンス、後にも先にもありはしない。

 理性が訴える。

 わかっているはずだ。今の装備では奴を殺すことは困難だ。よしんば運よく殺せたとして、その後に控えるのはファース率いるカリュプスだ。こいつらをどうするつもりだ。どんな手を使ってでも、必ずファースを殺すと決めたのは嘘だったのか? 奴を殺さなければアスカロンの団員たちの身が危うい。優先度、実現度はこちらの方が高いはずだ。インフェルナムが起こした混乱に乗じれば不可能ではない。


 キュウン


 幼体が頭の上で鳴いた。というか、こいつまだいたのか。てっきり振り落としたものとばかり・・・

 天啓が降りてきた。これしかない、というような考えが浮かんだ時、本当に稲妻が頭の中で走るのだ。

 降りてきた策は一か八かの策だ。上手くいかなきゃ私の命はすぐに消える。上手くいけば、私の全ての憂いを払しょくし、望みを叶えることができる。

 正直に言えば、使いたくない策でもある。いろんな意味で。

「贅沢は言っていられないか・・・」

 何もしなければ遅かれ早かれどうせ死ぬのだ。団員達も全滅する。やるさ。やってやる。全員、地獄への道連れにしてやる。どんな手でも使ってやるとも。

 インフェルナムが急降下してくる。ここまで近づけば、奴の姿もよく見える。下に集まっていた連中が蜘蛛の子を散らす様に麓から退避していく。頭の上で幼体が嬉しそうに鼻を鳴らした。

 私は、頭の上の幼体をアレーナで拘束した。苦し気な声を上げる幼体を見て、インフェルナムが怒りを叩きつけてくる。落下の勢いそのままに着地して地面を陥没させた。破片が飛び散り、周囲の家屋を破損させていく。

 インフェルナムと私の視線の高さが一致する。奴の鼻先に向けて幼体を突き出す。

「動くな!」

 インフェルナムが荒々しく鼻息を吹きだす。奴の出す熱が私の体を焦がす。久しぶりの感覚だ。

「それ以上近づいたら、こいつを殺す。お前が私を丸焼きにするより先に、私がこいつの首を落とす。言っていること、わかるな?」

 上位のドラゴンであればあるほど知能、知性が高い。種類によっては人間を凌駕する。ならば、こちらの言葉を理解できるはずだ。第一段階の賭けだ。ここを通らねば、この後は続かない。薄氷を渡り続ける。

 炎は、まだ来ない。牙も、爪も襲ってこない。こちらの意図、幼体を人質、龍質にしていることを理解していると信じて、話を続ける。

「久しぶりね。私の事覚えてる? お前の目を奪った女のことを」

 別れた元カノみたいなセリフだ。誰かと付き合ったことがないけれど。笑えてくる。ある意味、焦がれる程追い求めた相手ではあるが。

「そっちも私を含め人間のことは恨んでるかもしれないけど、こっちはそれ以上に恨んでるし憎んでる。今すぐ殺したいほどにね」

 唸り声を返事と受け取る。

 深呼吸を二、三回繰り返す。これから私は、私にあるまじき行動に出る。私自身に対する裏切り行為と言ってもいい。それでも、どんな手を使ってでも、ファースはまず殺さねばならない。


「取引だ!」


 一世一代の大博打を開始する。

「私と取引しろ、インフェルナム! お前の仔を殺されたくなければ、この国を滅ぼす為に手を貸せ!」

 これが、三十秒で出した私の答えだ。インフェルナムは目的を果たしたらここからすぐに離れてしまうかもしれない。仔を龍質に取ることで逃亡を防ぎ、かつ少ない労力で敵の目をこちらに引き付けてアスカロンを守り、ファースを殺す。ファースさえ殺せばアスカロンと合流して、インフェルナムに再戦を挑む。成功すれば総取りだが、失敗すれば私だけでなくアスカロン全員の命も含めた全てを失う。ゼロサムゲームだ。

 インフェルナムの隻眼が大きく見開かれた、気がする。

「長年苦労して探し回った我が仔だろう? ようやく感動の親子再会と相成ったのに、すぐにお別れ、なんて悲しいことを私にさせないでくれ」

 思い切り悪い顔で嘲るように笑い、最低の悪役になったつもりで奴の前でわざとらしく幼体を左右に揺らす。

「悪い話じゃないはず。お前は卵を盗んでいた張本人たちを殺し、我が仔を取り返せる。私は憎たらしい連中を殺せる。ウィンウィンじゃない?」

 インフェルナムがまた唸った。呼気から湯気が上がる。口腔内の温度が周囲の温度よりも高くなっているためだ。

「疑っているの? だけど、そっちは信じるしかない。こいつは私の手の中にあるのだから。でも、そうね。安心できるかどうかわからないけど、これだけは伝えておく。私は傭兵よ。結んだ契約は必ず守るわ。それがたとえ、殺したいほど憎い相手であろうとも。全て終わったら、必ず無事に仔は返す。そちらが取引に応じる、というのが大前提だけど」

 汗が頬を伝い、顎から滴る。希少品の山は三分の二が燃え尽きた。まもなく私の足元に到達する。

「さあ、生態系の頂点。動く天災。災厄の化身。偉大なる炎の龍。返答や、いかに!」

 奴の目が、私を睨みつけている。私という人間を見定めているかのようだ。

 言葉が通じていた、というのは全て私の都合の良い気のせいで、一瞬の後に噛み殺される、もしくは燃やし尽くされるかもしれない。幼体に熱の耐性があれば燃やされる可能性は充分ある。今更ながら、早まったかもしれない、という後悔が頭をよぎる。やはり、ドラゴンとの意思疎通など不可能だったのか。

 インフェルナムが動いた。びくりと肩をすくめる。死が近づいてきたと思ったのだ。実際は、インフェルナムの首がゆっくりと曲がり、頭を垂れた。私に向けて、頭頂部を向けている。

「・・・乗っていい、と解釈して、良いのよね?」

 ぶふしゅるる、と荒い鼻息が聞こえる。さっさとしろと言っているようだ。

「では、遠慮なく・・・」

 恐る恐る頭に飛び乗る。私が飛び乗ったのを感じたインフェルナムは、大きく羽ばたいた。巨体が空に舞い上がる。落ちないように慌てて鱗に手と足を引っかけて踏ん張り、バランスをとる。

「それじゃあ一つ、国落としと行きましょうか!」

 一人と一匹の雄叫びが大国を震わせる。

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