第254話 運命の赤
処刑当日、私は引き摺られながら群がる民衆の間を抜け、カリュプス前王が収集した希少品の山の頂上に連れていかれた。牢からここに至るまでの短い道中で密度の濃い呪詛と物理的な腐った卵などをぶつけられたが、些末なことだ。兵たちが私を柱に括り付け、さっさと山を下りていく。下で、ファースが民衆に向かって演説をしている。
「これより、カリュプスを大混乱に陥れた大罪人、傭兵団アスカロンの団長、龍殺しアカリの処刑を執り行う!」
これまで以上の歓声と拍手が広場に満ちた。満足げな顔で、ファースはいかに私が悪党かを語って聞かせた。流石は王族だ。巧みな言葉と話の強弱、感情に訴えるセリフで民衆の心を引き込み、煽り、熱狂させていく。全てが捏造だというのに、あたかも事実であったかのように語っている。私ですら『あれ? それもしかして』と疑ったぐらいだ。
反対に、私の心は凪いでいた。やるべきことは全てやりきった。後は、皆が逃げ切っていてくれることを、生き延びてくれることを祈るばかりだ。
「魔女よ! 己が罪と共に、炎に焼かれるが良い!」
松明が投げ入れられる。炎が撒かれた油にそって走り、財に燃え移っていく。
燃え朽ちていく財を呆然と眺めていた時、眼がそれを捉えた。
全ての始まり。復讐の旅路の原因。
「また、お目にかかれるとは思わなかったわ」
あれから何年経ったのか。それは一切姿形を変えず、ずっと存在したのだ。
「最後の晩餐が奴の卵の目玉焼きか。悪くない」
見間違えるはずがない。インフェルナムの卵だ。これも一緒に燃やすというのか。私たちの苦労も悔しさも悲しさも、まとめて灰になるということか。
ごう、と下から熱波が吹き上がってきた。一つで金貨何十枚、何百枚もかかる希少品の燃えカスも一緒に舞い上がる。肌がちりちりと痛む。熱波だけで酷い日焼けをした時のような苦痛がするのだ。足元まで炎が到達し、この体に燃え移ったら、どれほどの苦痛が生まれるか想像したくもない。その前に発狂してしまえば楽なのだろうか。
希少品の山の麓にいるファースが、こちらを見上げながらにやにやと口元を歪めている。彼のもとに部下が近寄り、耳打ちしていた。何を聞いたのか、ファースの顔がさらに喜色満面になった。
「聞こえるか! 喜べ、魔女よ! 道連れの仲間ができたぞ!」
道連れ、だと。嫌な予感がうなじを逆立てる。
「兵たちが、貴様の団員を城下で発見した! 逃げられたが、すでに出口は固めた。追手もかかっている。もはや袋の鼠だ!」
健気よなぁ、とファースが叫ぶ。
「貴様を助けに来たようだぞ。団長思いのいい仲間じゃないか。貴様は団員を助けるために捕らえられ、団員は貴様を救出するために愚行に走る。こういうのを、ルシャの言葉で何というのだったか、そうだ。『賢者の贈り物』だ」
ファースは私の元いた世界の小説の題名を上げた。リムスでことわざのような意味合いとして広まっているのか。ファースの笑い声は続く。
「貴様のせいだな龍殺し! 貴様が、さっさと俺の首をへし折っておかないからこういうことになるのだ! 全て貴様のせいなのだ。可愛い団員たちが死ぬのも、貴様が屈辱と後悔にもだえ苦しみながら死ぬのも、全て、全て貴様の愚かさのせいだ!」
殺す、というのか。皆を。愚かな私のことを団長と言ってくれた皆を。迷惑をかけた皆を。それでも共に歩いてくれた皆を。命の危険を顧みず、助けに来てくれた皆を。
顔を上げる。まだ、やるべきことが残っていた。
愚かなだなんて、言われなくとも合点承知だこのクソ野郎。お前だけは絶対生かしてはおかない。もう誰も、お前なんぞに殺させてやらない。
ここで、確実に、殺す。どんな方法を使ってでも。
四肢に力が戻ってくる。理屈も無理無茶無謀も自分の置かれた状況も無意識のゴミ箱へポイしろ。できる、できないじゃない。やるんだ。必死に身を捩り、抜け出そうと画策する。体が熱い。足元の炎だけのせいじゃない。体の内側から熱があふれ出してくる。怒りで目の前が真っ赤に染まるような感覚だ。
拘束に抗い続けた手元が、擦れて流れた血液や拘束している縄以外の感触を返してきた。ぶつっという手ごたえ。普通、どれだけ足掻こうとこういう縄は簡単には解けないもの。ましてや千切れるなどありえない。あり得るとすれば、昨日私の前に現れた彼の仕業だ。助ける気はない、と言っていたが、こうも続けていた。運よく拘束が解けたら、適度に暴れておいてくれ、と。成功してもしなくても彼らにとってはどうでもいいのだろうが、素直に感謝しておく。おかげで殺せる。
後ろ手にロープを掴み、解放されていることを悟られないようにする。動くときは一気に動くが、それまでは計画と準備だ。彼の言葉が本気であるなら、おそらく、私が気づくところに。
「・・・あった」
アレーナとウェントゥスだ。他の希少品に紛れ込ませてある。何の因果か、インフェルナムの卵のそばだ。あそこまで駆け下りて、それから・・・
ぱきゃ
そんな音だったと思う。また希少品の何かが燃えて、崩れた音だろうかと考えていたのだが、どうも違うようだ。
変わらず存在するインフェルナムの卵が違和感の元凶だった。卵の上部が動いている。目を凝らせば、蜘蛛の巣状にひびが広がっている。ひびはさらに広がり、剝がれ落ち始めた。中から、小さな口がはみ出している。そこをとっかかりとして、口は殻を破ろうと足掻いていた。
なぜ? という言葉が浮かんだ。何年も放置されていた卵がなぜ今割れている? 死んでなかったのか? ドラゴンの非常識さに驚きを通り越して呆れる。
ついに、小さな頭がひょっこり顔を出した。かつて相対した凶悪な成体とは似ても似つかないほどあどけない、くりくりっとしたつぶらな瞳とばっちり目が合う。完全に殻から飛び出した幼体は二、三度背中の小さな翼を動かし、あろうことか私に向かって飛んできた。驚く間もなく、幼体が着陸したのは私の頭の上だ。ずしっと首が重くなる。首の筋がちがうかと思った。
「お前、いきなり何す」
キュウウオオオオオオオオオオオオオオオッ
私の文句を無視し、かき消して。天に向かって幼体が吠えた。鳴き声は曇天のカリュプスに響き渡り、唯一理解できるものへと届く。
誰もが空を仰ぎ見た。
曇天が割れる。炎が落ちてくる。地上の不浄を焼き払うが如く。事実、奴にとって地上に蔓延る人間は不浄以外の何物でもない。
視線が奴に奪われる。会いたくて、会いたくて会いたくて仕方なかった相手に、ここで会えるとは。
「インフェルナァアアアアアムッ!」
奴の名を叫ぶ。呼応するかのように、災厄が雄叫びを上げた。
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