第240話 前門の虎、後門の狼
「他の団は下がって」
両手を広げて自分自身も後退しながらイディオたちを下がらせる。彼らが引いた場所に、テーバたちが入れ替わるようにして陣取る。
面前にはいくつかの大きな水たまりが存在した。その水たまりに不自然な波紋が浮かび、形を変える。すうっと縦に長く伸び、こちらに這い寄ってくる。振動を感知したスライムの群れだ。横たわったままのマゴッティの死体にスライムがまとわりつくと、気泡を発しながらマゴッティの体が溶けていく。それを見ていた誰かの吐き気をこらえるうめき声が後ろから聞こえた。
スライムは通常、自らを罠として獲物を待ち構えるタイプの化け物だ。それが自分から移動するということは、過去ミネラで遭遇したような特殊タイプか、もしくは罠にかかるのを待てないほどの飢餓状態かだ。マゴッティの消化速度からして後者である可能性が極めて高い。
一、二・・・見える範囲に五つ。視線を外さず、隣に声をかける。
「テーバさん」
「わかってるよ。野郎ども、スティリア準備!」
ガシャン、と断続的にスティリアが射出機に装填される音が響く。同時、スライムの表面が動き、小さな波が立った。獲物の居場所を確定させたのだろう。先ほどよりも動きが速い。さざ波が押し寄せるように、静かにこちらに近寄ってくる。距離にしてあと一メートルといったところで、水たまりが突如立ち上がった。獲物を一気に包み込み、消化してしまおうって腹積もりだろうが、そうはさせない。
「撃て」
テーバの号令を受け、団員たちが氷の針をやや下に向けて射出する。スライムの液体状の体を針が通過し、床に当たって砕ける。中に入っていた液体がばらまかれ、周囲から急速に温度を奪っていく。水気を含んだ自分の服に霜が降りる程周囲の温度が低下したころ、目の前に樹氷ならぬスライム氷が鎮座していた。
「モンドさん」
「おっしゃ、道を拓くぞ!」
テーバを下がらせ、モンドとともに砕氷作業に移る。目の前のスライムにモンドが斧を叩きつける。ジグザグに亀裂が走り床まで到達するやいなや、モンドの蹴りがスライムの真ん中に突き刺さる。凍ってしまえば当然無効化されることはない。捕食方法のおぞましさとは打って変わって、ガラス細工のように脆く儚く砕け散る。
「よいしょぉっ!」
ムトが小太刀を別のスライム氷の真ん中へと突き刺す。突き刺さった部分を中心にして蜘蛛の巣状に亀裂が入る。
「もういっちょ!」
続けざま、突き刺さった小太刀の柄頭目掛けて拳を上から下へ振り下ろす。小太刀がねじ込まれ、てこの要領で真ん中から上に向けてスライムが裂けていく。
「すげえ」
ラーシーが思わず、という風にこぼしていた。他の面々もこちらの作業をぼうっと見ている。前を塞いでいた全てのスライムを砕き終えたのを確認した私は、そんな彼らに向き直る。
「感心してないで、襲われる前にさっさと行きますよ!」
「え?」
くそ、何でこっちの意図をわかってくれない。この忙しい時に説明しなきゃいけないのか。頭の中で無茶な要求をする。彼らの反応の方が普通なのだ。すでに私の意図を汲んで、道の先を先行してくれているアスカロンの団員たちと一緒にしてはいけない。ともに戦ってきた年季が違う。
「いや、待ってくれ。こいつらは死んだんじゃないのか?」
イディオが初耳だという顔をして尋ねてきた。
「コアも一緒に砕いたから倒したとは思います。けれど万が一にもコアを潰し切れていなければ、復活する可能性がある。それに、スライムがこれで全部とは限らない」
私の言葉を証明するように、悲鳴が彼らの後方から響いた。後方でもスライムが現れたのだろうか。
周囲に目をやる。左右の壁、その表面が潤いだした。そう、奴らは少しでも隙間があればそこから移動ができる。今の騒ぎで、他の個体も蠢き出した。そこかしこの隙間に隠れていたのだ。
頭の隅で違和感が芽生える。その正体が何なのか確かめたいが、摑まえる前に命の危機という現状がそれを頭の隅へと押しやってしまう。再び手繰り寄せようにも胸の奥に気持ち悪さだけを残して脳の海に沈んでしまった。こういう時の違和感は大事なものが多いが、気にしている暇はない。死んでしまったら考えることすらできなくなるのだから。
「走って!」
叫び、自分も駆け出す。一瞬振り返ると、壁から染み出た新たな個体が砕けた氷を取り込んで溶かしている。更に巨大なスライムになろうとしていた。この調子でいくともっと巨大化して、いずれこの国にとって害悪となるんじゃないだろうか。知ったことではないが。今は、自分たちが切り抜けられればそれでいい。
イディオたちのケツを叩いて進ませる。バリバリと足裏でつぶれるのは先行したテーバたちが凍らせたスライムの破片だろう。やはりまだ存在していた。せっかく拓いてもらった道が狭まる前に走り切る。スライムが何体出るかもわからない狭い通路など不利しかない。前後を塞がれたら終わりだし、頭上から落ちてこないとも限らないのだ。
緩やかならせん通路が終わると、少し広い場所に出た。何本もの支柱があり、この空間を支えているようだ。元の世界で、首都圏外郭放水路という水害軽減のための治水施設があるが、あれに少し似ているだろうか。
「ここは城の真下だ」
息を切らせながらハーミットが言った。
「もう少し進んだところに城内へと続く階段がある。もう少しだ」
「いや、そいつはちょっと気が早い」
水を差して悪いが、と先に進んだはずのテーバが後退してきた。
「テーバさん?」
「よお団長。こいつはちと面倒なことになりそうだ」
皮肉気に口元を歪めて彼は笑っていた。その視線は上、通路の天井を見ている。つられて私も上を見て、ぎょっと目を見開く。
何かが蠢いている。スライムじゃない。松明に照らされている天井の色が、淡いところと暗いところにくっきりと分かれている。淡いところは本来の天井だろう。対して暗いところはその範囲を徐々に広げながらこちらに近寄っている。
「まさか、またお会いするとは思わなかったわ」
思わず愚痴る。つい最近、嫌というほど見た相手だ。
天井を埋め尽くしているのは『スコルピウス』。砂漠の捕食者だ。追い掛け回された悪夢が蘇ってくる。
何故だ。スライムといいスコルピウスといい、この通路はいちいち人のトラウマを掘り起こさないと気が済まないのだろうか。
先頭にいたはずのモンドやムトが、警戒しながら徐々に下がってきた。彼らの前方にもスコルピウスがその鋭い足先で床を削り、巨大な鋏を鳴らしながら近づいてくる。奴らの体の隙間、はるか後方にかすかに階段らしきものが見えた。あまりに遠いゴール地点に眩暈がしそうだ。
突破しなければ道はない。覚悟を決めて、ウェントゥスを握った。
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