第230話 亀裂

 コンヒュムに到着した私たちは、噂の真偽を確認するために情報を集めた。とは言っても、積極的にカリュプスに関する情報を集めていたのは私だけで、他の団員には通常通りの情報収集を頼んでいる。この旅を始めた時に、私は復讐のために全てを利用すると決意し、そしてその思いは変わっていない。であるのに、団員たちに頼まず自分だけでカリュプスの情報を集めるのは、やはりどこかで引け目を感じているからだろう。そのくせ、団員たちが何か関連する情報を拾ってこないだろうか、と期待する自分もいる。それならたまたま仕入れることができたから仕方ないだなどと、誰にする必要もない言い訳を心の中で免罪符代わりに並べ立てて。

 結局、私は中途半端なのだ。非情になり切れず、かといってこの胸の内に昏く渦巻くモノを捨てることはできない。

 尾行されているのに気づいたのは、宿屋までまもなく、といったところだった。考え事をしていて注意が散漫になっていた己の迂闊さに舌打ちしつつ、脇道にそれる。さらに曲がり角をまがり、追跡者を撒こうと試みる。

 だが、相手はさらに上手だった。

 何度目かの曲がり角を待った時。通路の先にフードを被った何者かが立ち塞がった。踵を返そうとするも、背後にも同じように顔を隠した誰かが立つ。退路が断たれた。

 相手は、私が尾行に気づくことも想定していた。複数人で私を追い、この道に誘導してきたのだ。

 どうするか。

 右手に通信機を、左手にウェントゥスを掴む。街中であまり派手な行動はしたくない。相手の力量もわからない内から挑むのも危険だ。となれば逃げ一択か。ちらと視線を一瞬上に向ける。屋根までの高さに、右腕のアレーナを伸ばせないことはない。向こうがこちらの意図に気づいて走って到達するまで二、三秒といったところか。

 逃げられなくはない。だが、相手の意図も知っておきたところだ。これが、アスカロンとして、例えばこの前のトリブトムの時のように傭兵団に対しての用件であるなら、私だけでなく他の団員にも注意喚起を行う必要がある。

 だが、もしカリュプスの火種とやらを探っていた私に対してなら。

「敵対する気はない」

 正面に立つ者が、先手を打つように話しかけてきた。手を上げ、武器を持っていないことを示してからフードを外す。

 低く渋い声通りの、壮年の男だった。顔に刻まれた深い皴は彼のこれまでの苦労を反映しているようだ。隙のない佇まいやこちらの一挙手一投足を見逃すまいとする視線からも、相当の手練れに思える。

「我々の尾行に気づいていたのだな。細心の注意を払ったつもりだったが。流石音に聞こえしアスカロンの団長、というべきか」

「よく言う。気づかれることも想定してここまで誘い込んだくせに」

「貴公ほどの者を相手取るには、次の手はいくつ用意しても足りないからな」

「その次の手には穏やかでないものもあったの?」

「一応な。だが、穏やかにすむと思っていたよ。そちらも、我々の事を探していたのだろう?」

「私が? はて、私が探していたのは割の良い依頼だけど?」

「なるほど。では、依頼を探しているのなら、我々からも一つ出させていただきたい」

「依頼? どんな?」

「割がいいかと聞かれれば、そうではないかもしれない。だが、間違いなく歴史に名を残す大偉業につながると断言できる。そういう依頼だ」

 そう言って壮年の男は手紙を壁に貼り付け、言った。

「我々はある国で、クーデターを起こす」

「クーデター・・・? あなた、一体」

「私の正体が知りたければ、ここに書いてある場所へ時間通りに来てくれ。そこで内容を説明する」

 男が踵を返した。路地の角に消える。

「待って!」

 追いかけ、男の去った方に顔を向ける。しかし、すでに男はいない。慌てて振り返るも、仲間らしき者の影も形もない。

 路地に戻り、壁の手紙を外して中を検める。書かれていたのは、コンヒュム郊外にある廃墟の住所。そこに今日の深夜二時に来い、というものだった。明らかに怪しい。だが、確かめずにはいられない。

 その日の夜。団員たちが持ち帰ってきた情報を全員で共有する。彼らの情報は特に怪しいところのない、悪く言えばありきたりな、いつも通りの依頼に関する情報だった。カリュプスの火種について、という指示も何も出していないのだから、当たり前といえば当たり前だが、勝手に期待して勝手に落胆している自分がいる。顔にそんなそぶりをまったく出さず、ミーティングは当り障りなく終了した。やはり、私が出会った彼らの情報が最も求めていたものに近い、か?

「アカリ」

 思考を中断させ顔を上げる。プラエがいた。いつになく真剣な顔だ。

「後で、私の部屋にきて」

 それだけ告げて、彼女は自分の部屋に戻っていく。いつもなら少し酒の匂いがするのに、今日に限ってはなかった。

 ノックして、彼女の部屋に入る。

「嘘でしょ」

 驚きを禁じ得なかった。普段であれば、到着した直後に荷ほどきを開始し、食事の前までにはもう宿屋の主人か羅クレームが来るほどの悪臭を放ち、一日経過すれば数年は落ちずに残り続ける汚れを部屋にこべりつけるのがプラエの習性だ。それが、部屋に入っても何の悪臭もしないし足の踏み場もあるのだ。彼女が目の前にいるにもかかわらず、部屋を間違えたかと本気で焦る。

「何で部屋の前で止まってるの。入ってきなさいよ」

 あきれ顔のプラエが促し、我に返る。

「だって、こんなに部屋がキレイだから・・・」

「私だってね、やろうと思えばこのくらいの整理整頓はできるのよ。と言いたいとこだけど。ただ荷ほどきしてないだけ。何でかは、わかってるでしょう? いつでも逃げられる準備をしてんのよ」

 彼女の鋭い視線を受けながら、私は促されるまま対面の椅子に座る。

「逃げられる準備、ですか」

「ええ。沈みかけの船からネズミが逃げるのと同じよ。破滅に向かおうとしている団から逃げる準備をするのは当然でしょう」

 おどけた口調から一転。真剣な声音で彼女が切り込んできた。

「アカリ、あなた何か掴んだわね」

「何かとは?」

「しらばっくれても無駄よ。さっきのミーティング。心ここにあらずって感じだったわよ。報告の合間に、時々別の事を考えていたわね? 情報を重要視するあなたらしくないって思ってた。あなたが他の団員からの報告をおろそかにしてまで考えることと言ったらただ一つ」

 彼女の視線がまっすぐに私を貫く。

「お願いだから、馬鹿なことはやめて」

 真摯なまなざしから、私は目をそらした。

「この世界の先達として、友人として警告するわ。カリュプスには、もう関わらないで」

 あの時も言ったはず、と彼女は続ける。

「カリュプスは大国よ。敵うはずがない。いや、勝負にすらならないわ。あっちは、私たちが何を企んでいようが興味もなければ相手にもしない。気づいてすらいないの。私たちをはめたあのラテルの王子でさえ、逃げることもできずに殺されたのよ? 忘れたの?」

 廃墟となったラテルにあった、朽ち果てた遺体を思い出す。

「いいえ。ですが、私も言ったはずです。諦めるつもりなどありません。必ず、奴らを殺す、と」

「それは知ってる。知ってるけど! もう良いじゃない。トリブトムの連中には報いを受けさせたんだし。あとは、インフェルナムを追って倒して、そして元の世界に戻れば良い。あなたの世界はこんな争いごととは無縁の、平和な世界なんでしょう? 今ならティゲルもいるし、トリブトムのヒラマエには情報提供を約束させた。今ならもっと多くの情報が手に入る。元の世界に戻れる可能性が増えてきたじゃない。その前に死んだら元も子もないのよ? マサだって」

 その名前は私を揺さぶった。マサ、上原正義は、クラスメイトで、同じガリオン兵団に入団して共に戦って、そして私を庇ってインフェルナムに喰われた。

「マサがあなたを庇ったのは生きていてほしいからであって、無謀な戦いに挑んでほしいからじゃない。きっと、彼ならそう言うはずよ」

「残念ですが」

 プラエが私の事を思って言ってくれているのはわかっている。彼女の優しさが、今は苦しい。歯を食いしばり、頭と胸に過ぎるいろんなものを無視して私は言った。

「その人はもう、いません」

「アカリ!」

「プラエさんの言う通り、私は今日、ある情報を得ました」

 彼女の前に、昼間に渡された手紙を置く。苦い顔の彼女は、いったん言いたいことを飲み込んで、その手紙を手に取る。

「今日の深夜二時に、郊外の廃墟に来い?」

 何これと手紙をひらひらとプラエが振る。

「それを私に渡した男は、こう言いました。ある国でクーデターを起こす、と」

「クーデター。まさか、リュンクス旅団やパンテーラが言っていたカリュプス内乱の兆しって」

「そこまではわかりません。ある国、としか言っていませんから。ですが、何らかの関連性があると考えています。私は、内容を確認してこようと思っています。そして」

「そして、内容が本物ならカリュプスを攻める、って言いたいのね?」

「勝算がある話なら」

「駄目よ。そんなの。危険すぎる。深夜二時なんて、女を呼び出す時間じゃないわ。そもそも、こいつらがカリュプスの手の者じゃないって保証がないじゃない。カリュプスに逆らう者を誘き出して殺すための偽の噂だったらどうするの?!」

「その可能性は、低いと思います」

「何でそう言えるの?」

「プラエさんが言ったんですよ。カリュプスは私たちの事など見えていないって。そんな連中が、わざわざ噂を捏造してまで私たちを殺そうと考えるとは思えません。これは、かなり精度の高い情報だと考えられます」

「だからって、あなたらしくないわ。もっと裏付けとか取るべきよ。今のあなたは、復讐に気持ちが偏りすぎて、前がちゃんと見えなくなってる。そんな状態のあなたを行かせるわけにはいかないわ」

「あなたの、許可はいりません」

 血を吐くような思いで、私は姉のように慕っていた人に、ひどい言葉をぶつける。

「・・・何ですって?」

「団長は、私です。私の判断に口を挟まないでいただきたい」

 彼女の顔を、まともに見れなかった。一瞬見てしまった彼女の顔は、ひどく傷ついた表情を浮かべていた。目をそらせたままの私の横顔にプラエが言葉をビンタ代わりにぶつけていく。

「あぁそう! わかった。わかりましたよ団長様! 好きにしなさいな!」

 出てけ、と言われ、私は彼女の部屋を辞する。その背に彼女の声が当たる。

「あなたにはもう協力しないから」

 ゆっくりと、扉を閉めた。何かが割れる音が部屋から聞こえたが、聞こえないふりをした。

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