第226話 砂漠が見せた幻

「初めてイーナに会った時、あなたは彼女にこう言ったのを覚えている?」

 楽し気に話す昔の同級生の顔を見ながら、ノリはどうやってこの場を切り抜けるかに意識の全てを向けていた。

 この話が終わったら殺される。確信にも似た予感が彼を焦らせていた。

「『前は別の傭兵団にいたんですが、今のトリブトムの幹部とその時面識があって。その縁で引き抜いてもらえたんです』って。気になったのよ。縁ってどんな縁なのか。トリブトムは誰もが知る大傭兵団よ。今回のような特殊な依頼がない限り、他の傭兵団の人間と関わることはまずないわ。自分たちで全てまかなえてしまうから。扱う依頼も、珍品収集など他の傭兵団と協力しようがないものが多い。一体どんな理由で他傭兵団の、しかも私と同じ時期に傭兵になったのなら経験の浅い新人が引き抜かれたのかと思ったわけ。まあ、数年後、もしかしたら飛びぬけて優秀になって、たまたま知り合って引き抜かれた可能性もあるか、と一旦脇に置いておいたんだけど。この動画を見てまったく違う可能性に行き着いた」

 出口は彼女の後ろに一つきり。窓は小さいが、かろうじて体は通るだろう。手元には剣と、わずかな金。

 シミュレーションする。仮に武器を取り、彼女に襲い掛かれば倒せるのか。

 即座に考えを却下する。すでに腕に傷を負った状態で勝てる相手ではない。彼女の話が本当であれば、彼女こそ本物の龍殺し。男は女よりも強くあるべき、なんていう男のちゃちなプライドを軽くあしらう実力者だ。なぜこんなに差がついたのかと嫉妬はするが、その経緯までは、彼は至らない。それこそが今彼がおかれている状況の全てに関係しているのに。

「偶然かどうかはともかく、あなたはマグルオたちの会話を聞いた。そして、こう考えた。今の状況から抜け出すチャンスだ、と。あの時、ロストルム掃討戦はラテルにいた全ての傭兵団が関わった。であるなら、あなたもその後の解体作業など、こまごまとした雑用に追われていたはず。きっとうんざりしていたでしょう。不自由ない生活から一転、朝から晩まで働かなければ生きていけない生活に突然放り込まれたのだから。この会話を利用することをあなたは思いついた。どういう内容かまではわからないが街の人間に危害が及ぶ不祥事、スキャンダルだ。誰なら一番高くこの情報を買うか考え、あなたはラテル守護国の王に謁見を申し込み、フィリウスと出会った」

 逃げる一択しかない。だが、どうやって? 出口前には彼女がいる。実力で敵わない相手の横をすり抜けるなんて不可能だ。では窓から? ここから窓までは三歩。立ち上がり、振り返って、三歩進むのに要する時間は数秒足らず。そこから自分の胸のあたりに位置する窓をよじ登ってくぐるのに手間取るだろう。その間、彼女が大人しくしているわけがない。

「フィリウスもまたあなたの情報から、トリブトム、その後ろにいるカリュプスを脅せるとにらみ、あなたに情報を集めるよう指示した。あなたが情報を集めている間に、街から出ようとする者全員を検問にかけ、トリギェを見つけ出し、真相を吐かせた。情報を集めたあなたは、トリブトムに協力を約束させるための策を練った。それが私たちを生贄にすること。インフェルナムはじめ、ドラゴンに関わるのは今以上に禁忌、それをトリブトムが犯し、しかもそのせいで街一つが滅びたとなればトリブトムの信用は地に落ちる。なので、インフェルナムの卵を奪ったのはガリオン兵団だったとラテル守護国の名で証言する。一国の証言は重く、傭兵団がいくら嘘だと喚いてもひっくり返せるものではない。しかも、動画では私とヒラマエが言い争いをしているから、報酬の件でもめたのでは、と信ぴょう性はより高くなる。自慢じゃないけど、ロストルムのボスを私たちが討ち取ったのはちょっとした話題になってたし、そのあたりからすでに私たちにターゲットを絞っていたんじゃない?」

 戦うのも無理、逃げるのも無理。一体どうすればいい? 死にたくない。こんなところで死んでたまるか。何で俺がこんな目に遭わなければならない。ただ少し、いい目を見たかっただけじゃないか。ただ少し、話をしただけじゃないか。誰かを直接傷つけたわけじゃない。話を持ち掛けたフィリウスやトリブトムの連中が、勝手にやったことじゃないか。ただ俺は、こうしたらいいかもしれないと少しアドバイスをしただけじゃないか。何も悪いことはしていない。

「あなたにとって良かったのは、フィリウスではなくトリブトムの方に取り入ったことね。片田舎の小国よりも、大国にパイプのあるトリブトムの方が出世する可能性が高いと踏んだ。マグルオたちは自分たちをフィリウスに売ったあなたにいい感情を持たなかったでしょう。けど、スマートフォンの動画で脅迫し、かつその有用性をもって自分を彼らに売りこんだ。合理的な傭兵であるマグルオたちは、感情よりもあなたとスマートフォンを取った、といったところかな。実際、あなたのスマートフォンをマグルオは有効活用し重宝していたようだし。こうして、あなたはトリブトムの幹部付きになった」

 彼女の推理が終わった。事実は、ほぼほぼ彼女の言ったとおりだ。インフェルナム襲撃の事実をフィリウスに売り込み、同時にマグルオたちを脅して自分を引き抜かせた。無能呼ばわりする前の傭兵団の連中にはうんざりしていた。自分よりも頭が悪い癖に、ちょっと腕っぷしが強いだけで、人の事を虫も殺せない頭でっかちと馬鹿にしてくる連中を見返してやりたかった。こんなところ、自分のいていい場所じゃない。もっとふさわしい場所がある。そこにたどり着くチャンスさえあれば、自分はもっと活躍できる。

 そのチャンスが目の前に来たら、掴むだろう普通。俺は、チャンスをものにしただけだ。生きるのに必死だっただけだ。緊急避難、カルネアデスの板だ。誰も、俺を責められはしないはずだ。

 実際、トリブトムにきて俺の有用性は実証された。何百人もの部下が俺の事を称賛している。俺は何も間違っていない。どうして逆恨みされなきゃならないんだ。

「さて、ノリ、赤坂啓友。私はもう喋ることはない。だから、あなたをここで殺すわ」

「どうしてだ。俺たちクラスメイトだろ。仲間だろ?」

 まだ逃げる算段がついていないのに! 少しでも時間を稼ごうと彼女と会話を続かせようとする。

「クラスメイトだったかもしれないけど、仲間じゃないわ。この世界にいるクラスメイトで仲間と呼べるのは、もうアンしかいないの」

 ごめんね? 可愛らしく小首を傾げながら、彼女は剣を振りかぶった。

「待て、待ってくれ。そんな簡単に人を殺せるのかよ。お前そんな奴だったのかよ。サイコパスかよ」

「サイコパスとは聞き捨てならないわね。そもそもサイコパスがイコール殺人鬼だなんて誤りよ。ミステリの読みすぎね。さあ、覚悟は良い? お祈りの時間はいる? 十秒くらいなら待ってあげるけど」

 進退窮まった。だから、命以外のすべてを捨てた。

「お願いだ、許してくれ!」

 土下座した。額を床にこすりつけて懇願した。

「俺が悪かった。あんなことになるなんて全然思わなかったんだ。俺は、俺はただ自分だってできるところを証明したかっただけだ」

「できるところ?」

「そうだ。お前らが、あのでかいロストルムを倒したことは話題になった。俺がいた団でもだ。それで、何かにつけて比較された。ガリオンに引き取られた女の傭兵はロストルムのボスを倒したのに、お前は雑用一つこなせないって馬鹿にされた。だから見返したかった。俺の方が凄いんだということを、連中に知らしめたかっただけなんだ」

「そんな、くだらないことのために私たちを?」

「だから違うんだ。こんなことになるとは思わなかったし、最初はフィリウスから情報料を受け取るだけのつもりだったんだ。なのに、いつの間にか巻き込まれて、引くに引けなくなっていたんだ。本当だ。俺だって命の危機だったんだ。あの時、フィリウスに逆らえば死ぬしかなかった。ただ切り抜けたかっただけなんだ。俺の本意じゃなかったんだ。どうか、どうか許してくれ。お願いだ。死にたくない。こんなところで死にたくない。全部やる。俺が持っているもの全てお前にやる。金も情報も、そのスマートフォンも、だから、命だけは助けてくれ」

 顔を伏せたまま時間が過ぎた。はあ、と彼女が息を吐いた。

「わかったわ」

 ゆっくりと顔を上げると、彼女は剣をおろしていた。

「行きなさい」

「見逃して、くれるのか」

「さっさと消えて。二度と私の前に現れないで。次見かけたら、今度は問答無用でその首を落とす」

「わ、わかった。すぐに消える。お前の前に現れないと約束する」

 土下座もやってみるもんだ。ノリは内側からあふれてくる歓喜をおくびにも出さず、殊勝な態度で荷物を手早くまとめて担ぐ。

「ありがとう、ありがとう篠山」

「いいから、行って。他の団員もあなたを探しているわ。見つかったら説得する間もなく殺される」

「そんな、どうしたら」

「はあ、いいわ。教えてあげる。今、団員たちは歓楽街を中心に捜索しているはず。だから南から外に抜けるルートはやめなさい。東門から抜けてコンヒュムを目指すといい。まもなく日が暮れる。東門を抜けたら、そのまま南東方向を向くと、オアシスが見えるわ。まっすぐ向かいなさい。それ以降はあなたの運次第よ」

「わかった。そうする」

 頭を下げ、舌を出す。詰めが甘いから、お前の団は潰され、仲間は死んだんだよ。

 顔を上げ、反省している顔の裏で誓う。いつか必ず復讐してやる。俺をコケにしたこと、絶対後悔させてやる。命乞いなんかきかない。笑いながら、お前の首を落としてやる。いや、その前に心から殺してやる。何人もの男の慰み者にして、下品な喘ぎ声をあげながらすまし顔が崩れていくのを見届けてやるぞ。

 心の中で呪詛だけ送って、ノリは宿屋を飛び出した。


 宿屋に残ったアカリのもとに、やり取りを見守っていた影が二つ近寄る。

「行かせちまって良いのか?」

 アーダマス正規兵の兜をかぶったリュンクス旅団団長が尋ねた。

「奴は、お前たちの仇ではなかったのか?」

 もう一つの影、同じ兜をかぶったパンテーラ団長が言った。

「見逃すなんて、甘くはないか? あの男、おそらく性根が腐っている。必ずお前に復讐を企てるぞ」

「見逃す? まさか」

 パンテーラ団長の言葉を、アカリは鼻で笑った。百戦錬磨の二人がぞっとするような笑みを浮かべて。

「私は、一言も見逃す、とも生かす、とも言った覚えはないわ」


 言われた通り、ノリは東門から出た。彼女の言った通り東門までのルートは誰に見咎められることもなくスムーズに城壁の外に出られた。

「確か、南東方向に」

 見えた。でも、あんなところにオアシスなんてあったっけか? まあいい。アーダマスさえ出られれば何とでもなる。まだコンヒュムには何も知らないトリブトムの部下が駐留しているはず。自分の資産もまだ残っているだろう。かき集めて、出直しだ。軽い足取りでオアシスに向かう。

 ズボッ

 その足が、砂に埋もれた。舌打ちし、引き抜く。くそ、人の新しい門出に水を差すんじゃ・・・

 突然右腹に衝撃を受け、ノリは体をくの字に折り曲げた。訳も分からず、ただ痛みと苦しみが脳をパニックに追いやる。手で押さえると、ぬるっとした感触が返ってくる。

「・・・え、血? 何で・・・?」

 手のひらが真っ赤に染まっていた。理解する暇もなく、再び衝撃。今度は左肩、右足と複数個所に衝撃が走る。

「い、痛っ、や、やめ、やめて、やめてくれ」

 頬、胸、尻、目、鼻、太もも、耳、つま先。

「た、たすけ」

 そしてついには喉をやられ、声すら出なくなった。

 彼の足が踏み抜いたのは『スカラバエウス』の巣だ。十センチほどの甲虫は、巣を脅かすものを許さない。ひとたび敵とみなせば、総がかりで敵にとびかかり、硬い顎で敵の身を食いちぎり削っていく。ものの数分でノリだったものは解体され、砂漠の貴重な栄養素となった。砂地に残る血の跡も、やがて浸み込んで消えていく。

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