第224話 人の手に余るもの
時間はジュビア脱出直後まで遡る。
私たちはアラーネアの群れに囲まれ、絶体絶命の状況に追い込まれていた。それでも諦めず、私たちは生きるために抗おうとしていた。
「来るぞ!」
威勢よく叫んだものの、様々な覚悟、それも確実に被害が出るという悲壮な覚悟を抱いていた。
そんな私たちの覚悟は、色んな意味で打ち砕かれる。
突進の構えを見せていたアラーネアの動きが、突然止まった。長い足を最大限まで伸ばし、背伸びするようにして上へ上へと頭を持ち上げる。一体だけではなく、他の個体もだ。こちらに対する敵意が突如として失われ、私たちの方が戸惑った。
そんな時、ぽつぽつと背中に細かな砂が当たった。振り返ると、私たちが落ちてきた斜面の砂がぼそりぼそりと落ちている。風で吹かれただけにしては落ちていく量は多く、落ちる幅は広い。風が当たったのであれば、風が当たる順番で落ちる量や場所に多少なりとも差が出るはず。見える範囲でそれはなく、ほぼ同時に砂が落ちているように見受けられる。
その落ちる量が、徐々に増える。原因も分かった。足元が震えている。
「おいおい、また地震かよ!」
勘弁してくれよとテーバがぶつくさ呟いた。
「また火山ってオチか?」
「そんな馬鹿な」
モンドが面白くなさそうに言い、ムトが首を振って否定する。その間にも地震は更に揺れを強めていく。そろそろ立っているのも難しいほどだ。皆が体勢を崩し、四つん這いになっている。
「なんだ、なんだなんだなんだぁ!」
隣でアスピスが喚き、シーミアは剣を地面に突き立てて体勢をなんとか保っている。
アラーネアが飛んだ。私たちの方ではなく、この場から離れるように距離を取った。蜘蛛の子を散らす、ではないが、四方八方にアラーネアたちが散開していく。奴らの動きが理解できない。なぜ餌を前に逃げる必要があるのか。
数秒後、嫌でも理解させられた。
爆発が起きた。砂が舞い上がり、きのこ雲が沸き立つ。
いや、爆発ではない。きのこ雲のように見えたのは、ただただ巨大な化け物が口を開けて姿を現しただけだ。私たちは呆然とそれを見上げた。
宙を飛び跳ねていたアラーネアに、それが下から食らいついた。全長十メートルはある巨大蜘蛛を、一口で丸のみにしたそれは、首が地面につくやいなや体をくねらせて地中へ潜む。再びの地震から、今度は斜め上へと、イルカのショーのように飛び、空中にいたアラーネアを捕食し、そのまま地中へ飛び込む。そのまま逃げたアラーネアを追いかけていく。
「すげえな」
誰かが、呆然と呟いた。全く同意見だった。
「あれが、砂漠の最上位種『フムス』か」
頭だけで、すでにアラーネアよりもでかい。体はその何倍も長い。地面に頭が潜り込んで体が続き、尾が見えるまでに十秒以上かかっている。あのアラーネアに追いつくのだから時速は百キロ近くでているのではないかと思う。速度と時間をかけ合わせたら、奴の全長、三百メートル近くになるんだが。あり得るのか、そんな巨大生物。
自分の眼はまだ疑っているが、それくらいの、それを上回るほどの迫力があったことは事実だ。あれは、確かに人の手に負えるものではない。それに、重要なのはそこではない。
「一番重要なのは、私たちが生き残った、ってことよね」
私たちは再びコンヒュムを目指した。今度はスコルピウスの妨害もなく、穏やかな旅となった。
コンヒュムから一番近いオアシスに到着し、三つの傭兵団は合同作戦会議を開いた。議題はもちろん、私たちをコケにしてくれたトリブトムにどうやってツケを支払わせるかだ。
「は、当然、皆殺しだ」
シンプルな解決策をリュンクス旅団団長、アスピスが真っ先に提案した。
「やられたらやり返す。俺たちが味わった苦痛を倍にして返してやる。幸い、あいつらは俺たちが死んだと思っている。コンヒュムに忍び込み、宴でも開いている連中を奇襲して殺していけば良いんじゃねえか?」
「だがそれでは、大本には辿り着かんぞ」
反論したのは傭兵団パンテーラ団長シーミアだ。
「我々を本当の意味ではめたのは、コンヒュムにいる末端ではなく、アーダマスにいる本隊だ。コンヒュムの奴らを消したところで、本隊は痛くもかゆくもないだろう」
「じゃあ、どうするってんだよ」
「それを今から話し合うんだろうが」
「じゃあてめえは何も考えてねえってことじゃねえの?」
「何だと」
また喧嘩に発展しそうだったので、間に割って入る。
「突破口はあります。そうですね、グリフ」
彼に話を振った。ムトと区別がつかなくなるので、彼には再びグリフの顔になってもらった。見た目は老紳士だが、とぼけた仕草は若者のそれだ。え、僕? みたいな顔をしているので、とっかかりを私から説明する。
「ジュビア脱出時に言っていたじゃないですか。『ここを生き残れたら多分、痛快な話を聴けると思いますよ』って」
ここまで言って、ようやく彼は「ああ」と得心がいったように頷いた。
「そのことですね。はいはい。まあ、端的に申しあげますと、彼らが使った魔道具は、未完成の代物なので」
「未完成、なぜそんなことを知っているんですか?」
「そりゃあ、僕の知り合いが作ったからですよ」
「「「はぁっ?!」」」
こいつは、本当に、なぜそんな大事なことを・・・!
もう、こいつはこういう人物だと諦めるしかない。いちいち驚いていたら時間が足りなくなる。
「続けて。とりあえず、説明を続けてください」
額を押さえながら話を促す。
「はい。彼らがスコルピウスやアラーネアを操った笛型の魔道具『ラクエウス』と言うのですが、それはもともと僕の知り合いが作っていたものです。ラクエウスには種類があって、操れる魔獣の種類が変わります。知り合いは色々と試行錯誤を重ねながら作っているのですが、当然、失敗作も多量にあるわけでして。廃棄したうちの一つがおそらくトリブトムに渡ったと考えられます。どういう経路かはわかりませんが、可能性が一番高いのは、知り合いの工房の近くにはジュビアのような遺跡がたくさんあります。そこに不法投棄していたものを、トリブトムの団員が今回の『砂漠の蓮』のような過去の魔道具と勘違いして持ち帰ったんじゃないかな、と考えられます」
「トリブトム団員が、審美眼を持ってないとは、嘆かわしい」
ヒラマエが頭を抱えた。
「いやぁ、そいつは責めるのは酷というものですよ。身内びいきじゃないですけど、知り合いの魔道具作成能力は非情に高い。生きている魔術師の中でもトップクラスに入るんじゃないかな」
「ほう、そいつは面白い」
プラエが反応を示した。競争心も結構だが、今は置いておく。
「話を続けましょう。で? 痛快な話はその未完成の魔道具に関わってくるんですよね?」
「その通りです。未完成なので、何回も使ううちに簡単に劣化します。未完成品はニスすら塗っていないので、湿気に弱く、すぐに内部構造が変化する。物にもよりますが、多くて十回、少なければ数回吹いただけで、息を吹きかけた時に出る唾などのちょっとした湿気でも微妙に出る音が変わると思います」
「変わるとどうなるんです?」
「言う事を聞かせるというのは、相手にかなりの不満を抱かせる行為です。『ラクエウス』は特殊な音で化け物を無理やり従わざるを得ない状況にしています。これは、かなり微細な調整の上に成り立つ音。少しでも狂えば、その音は相手を怒らせるだけの物になりますね」
グリフはそう言って両手を合わせ、どこかの不幸な誰かを悼んだ。
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