第223話 六年前の亡霊
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
息を切らせながら、ノリはアーダマスの城下町を走っていた。
どうして。なんで。
さっきから頭を支配しているのはこの二つの言葉だ。
アーダマス王の前で、アラーネアを操るだけ。それだけで自分の未来は約束されたはずなのに。
ジュビアでやったのと全く同じ方法で笛を吹いた。昨日は、それで問題なくアラーネアを城の中庭まで誘導し、檻に入れることができた。なのに今日は、アラーネアは指示を聞かないどころか、こちらに襲い掛かってきた。マディが目の前で押し潰され、他のトリブトムの団員たちも跳ね飛ばされた。たちまち、中庭は阿鼻叫喚のるつぼと化した。アラーネアは所狭しと暴れまわり、次々と団員やアーダマス兵をなぎ倒し、城壁や路面を抉っていく。
「おら、邪魔だ、どけ!」
援軍が中庭に現れ、逃げ回っていたノリを突き飛ばす。その援軍の一人がノリに向かって言った。
「死にたくなきゃ逃げろ!」
ノリの脳が、その言葉を絶対命令として受諾した。そうだ、逃げなければ。生存本能と外部からの指示が見事に一致し、体が矛盾なく逃走を選択する。援軍が入ってきたドアにそのまま飛び込む。勝手知ったるアーダマス城とばかりに、最短ルートでノリは駆け抜け、城門前にいた衛兵の呼び止めにも応じず城下へと飛び出した。
路地裏に入ったノリは、壁に手を当てて息を整える。
身の危険からは一時的に脱することができたが、すぐに危険はやってくる。アーダマス城内で、しかもその王の目の前であれだけの失態を犯したのだ。トリブトムはおそらくアーダマスによって消される。その後、アーダマス領内でトリブトムの残党狩りが発生するだろう。大失態を犯した自分は最優先の指名手配を受けることになる。
この国から急いで脱出すると腹をくくるまで、時間はかからなかった。急ぎ宿に戻って、必要な物だけをまとめなければならない。
まずは金だ。充電器と電気を発生させる魔道具、着替え、武器。そして、アカリだ。彼女を宿に待たせたままだ。彼女を連れて逃げなければ。
何故だ。
今日の朝、あれだけ幸せだったのに。自分を「行ってらっしゃい」と送り出した彼女の笑顔を思い出し、ノリは泣きそうになった。
アカリは最初、やはり死んだ仲間に引け目がある、幸せになるわけにはいかないとノリからの求愛を拒んでいた。食事もあまり受け付けず、日に日に弱っていった。
彼女をこのままにはしておけない。迷ったノリは過去に読んだ催眠術の本に書いてあった事を実践することにした。
本には、まず隔離することで情報を遮断し、そこから今いる場所から遠くへ連れ出し、心を揺さぶる、とあった。それで、人を暗示にかかりやすい状態にするのだと。第一段階である隔離はすでに完了している。次は遠くへ連れ出し、心を揺さぶる手順だ。良心が一瞬咎めたが、彼女のためだと自分に言い聞かせた。
コンヒュムの軟禁場所から、ラクエウスが用いられた現場の証言という名目で彼女をアーダマスまで連れてきた。
道中は実質ハネムーンだ。ラクダに揺られながらアーダマスまでの旅路は、ただただ幸せだった。満天の星空の下で語らったり、一緒に食事をしたり、酒を楽しんだり、突然のプレゼントを渡したりした。その甲斐あってか、彼女は徐々に笑顔を見せるようになり、また、一緒にいるノリを頼るようになった。
そして今日、ついに彼女は心を開いたのだ。帰ったら大事な話があると。少しはにかみながら。
ようやく心が通じ合えたのだと歓喜した。抱きしめ、そのまま押し倒しそうになった。彼女は笑いながらノリの両腕から逃れて、悪戯っぽく言った。
「これから大事なお仕事なのでしょう? お楽しみは、帰ってから。ね?」
心が射抜かれるとはこういうことを言うのか、と彼女の笑顔に腰砕けになった。今日、彼女と一つになれる。そう考えただけで興奮し、浮かれるのを止められなかった。浮かれすぎて、彼女に怒られてしまった。
「必要なんでしょう? 忘れちゃダメよ?」
ずっと探していたスマートフォンを渡された。幸福の女神からの祝福に思えた。明るい未来が待っている、それ以外ありえない。
なのにその数時間後、自分は路地裏を死に物狂いで走っている。掴みかけた幸せな未来は無残にも打ち砕かれ、お尋ね者として追われることになった。
どうして俺がこんな目に。俺が何をしたっていうんだ。
泣きながら駆け、宿に到達する。こんな顔をしていたら、彼女が驚くだろう。彼女にはもう、俺しか頼れる人間がいないのだ。その俺がこんなところで挫けるわけにはいかない。
アーダマスにはもういられない。どこか別の国の、どこか辺鄙なところへ逃げよう。そこで、手持ちの金を使って二人で農業でもしよう。幸い自分には現代日本の知識がある。リムスの農業よりも効率的に収穫が得られるはずだ。そのノウハウを他の農家に売っても良いかもしれない。技術を売るコンサルティング会社を設立するという手もあるか。
そうだ。こんなところで終われるか。せっかく最愛の女を手に入れたのだ。彼女の幸せのために、成り上がってやる。そのためにも、今は生き残ることが肝心だ。
涙を拭き、ドアを開ける。
『おかえりなさい』
アカリが笑顔でこちらを振り返った、ような気がした。
実際は、薄暗い無人の空間があった。
「・・・え?」
部屋に入る。朝出た時のままの部屋に、一番居て欲しい人だけがいない。
「アカリ?」
ふざけて隠れているのかとベッドの布団をめくるが、いない。どこかに出かけたのか? もしかして、今日のお祝いのために何かごちそうを作ってくれるとか、そのための材料を会に行っているとか? 嬉しいが、今はまずい。すぐに彼女を探しに行かないと。いや、でもそんなことをしていたら荷物をまとめる時間がない。
「くそ、アカリ。一体どこに行ったんだ」
「呼んだ?」
声がして、はっと振り返る。帰ってきたのか? どこに行ってたんだ心配したんだぞ。そう言って駆け寄り、抱きしめようとした。が、その両手は途中で止まり、足は踏み出した形のまま固まった。
入口の前にいたのは、顔に包帯を巻いた、声からしておそらく女だった。
「誰だ、お前は。勝手に人の部屋に入ってくるんじゃない」
「勝手にって、あなたが私の名前を呼んだから、返事をしただけでしょう?」
からかう様な口調に苛立ちが募る。この一分一秒を争う時に、こんな奴の相手をしていられない。
おそらくこいつは、以前遊んだ娼婦か何かだ。また自分を買えと、金をせびりに来たに違いない。自分は、金払いはケチらなかった。こいつらの間では、良い客だった方だ。
「悪いが、お前に構ってる暇はない。こっちは忙しいんだ」
「ご挨拶ね。せっかく忘れ物を届けに来てあげたのに」
そう言って女が取り出したのは、ノリのスマートフォンだった。
ぞわっと髪の毛が逆立つような感覚。一瞬にして、ノリは自分が窮地に立たされていることを悟る。スマートフォンはマグルオに預けたままだったはずだ。取りに戻れないと諦めていたそれが、アーダマス王の前にあったはずのそれがここにあるという事は、こいつは、追手!
とっさに剣が置いてある方へと身を翻し、手に取ろうとした、その手のひらに激痛が走る。
「っぎぃゃああああああああああああ!」
真っ白な刃が自分の手のひらを貫き、床に縫い留めていた。
「うるさいわね」
足音が近づく。刃は女の手にある剣から延びていた。
「その程度で泣き喚かないで。耳が痛いから」
刃を雑に引き抜いた女は、ノリを蹴り飛ばし、武器から遠ざけた。
「な、何なんだよお前は! 俺が一体何したっていうんだよ!」
「何をした?」
女が笑った。だが、ノリはそれを不快ではなく、恐怖した。その笑い方が、いつかの誰かに似ていたからだ。怒りのあまり、人は笑みを作る事もあるとその時学んだ。
「あなたが私たちにしたのは、これよ」
女が慣れた手つきでスマートフォンを操作した。そして、一つの動画を再生した。今から六年前の動画だ。そこに映っていたのは、当時まだ幹部ではなかった三人の男たちの作戦会議だった。
「お前、どうしてそれを・・・」
痛みも忘れて、包帯が巻かれた女の顔を凝視する。
「まだ、思いだせないかぁ。まあ、しょうがない。あれから六年。しかもあなたは、ずいぶんと出世していたみたいじゃない。大傭兵団トリブトムの幹部直属の部下だなんてね」
女が包帯を解く。徐々に明らかになっていく女の顔を、恐怖におののきながらノリはただ眺めることしかできなかった。
「まさか、お前、まさか、嘘だろ、お前、お前は」
親しかったわけじゃない。彼女はどこにでもいる、普通の女子だった。少し可愛いな、と思ったこともあったが、他にも可愛い子、話して楽しい子はいたし、近くにあの堅物の委員長がいたから話しかけづらかった。だから接点はほぼない。
「お前、篠山っ・・・!」
「誰それ?」
素顔を晒した女は、ノリの答えを鼻で笑った。
「その女は死んだわ。六年前にね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます