第218話 巻き戻った時間が元に戻る
壁を這い上がって追ってきたきたスコルピウスの前足をシーミアが切り飛ばした。バランスを崩したそいつの頭を蹴り飛ばす。後に続いて昇ってこようとした別個体を巻き込んでスコルピウスは落下し、床を陥没させた。
喜びと安堵もつかの間、すぐに次のスコルピウスが這い上がってくる。
「おい、まだか!」
シーミアが大剣を薙いでけん制しながら、こちらに向かって怒鳴る。
「もう少しです!」
床にある複数の配線を、魔力を流し込むメインの線につないでいく。
「何で、事前に、つないでおけなかったんだ!」
頭上から振り下ろされた尾を避け、シーミアはカウンターの一撃を見舞いながら話を続けている。
「もしくは、もっと地下通路まで伸ばすとか!」
「事前に繋げなかったのは誤作動を防ぐためです! 配線は魔力の伝達率を優先したのですが、戦闘中に魔道具を使おうとした時、たまたま配線を踏んだだけで足裏から魔力の余波が伝わり、爆発する危険があったんです! あと、配線を伸ばす余裕はありませんでした!」
「だからって、こんなに手間取ったら意味ないだろ! 後一分で、最後の罠が発動するんだろうが!」
「分かってますから、今喋りかけないで! こっちだって最速でやってます!」
こっちはこの緊迫感の中、手芸用の糸みたいな細い線の束を解けない様に結んでいかなきゃならんのだ。
「出来ました!」
最後の配線を結び終え、シーミアに向かって叫ぶ。
「よおし! よく、やった!」
二体まとめて大剣で弾き飛ばしたシーミアが、こっちに向かって走ってくる。
「早く、この中へ!」
地下へ続く通路へ誘導する。シーミアが通路に飛び込んだのを見計らい、自分も飛び込みながらスイッチを押す。背後で轟音が、続けて断続的にガラガラと鈍い音が響く。
破壊したのは、居館を支える大黒柱だ。大黒柱が失われたことで、居館の天井が崩落する。天井だけにとどまらず、壁も床も崩れていく。居館が消える。まさか私の手で、遺跡を破壊することになろうとは。世界遺産検定三級の、この私が!
「「おわああああ!」」
シーミアと二人、絶叫しながら薄暗い通路を走る。足元がぐらつく。向こうの振動が、通路まで伝わってきている。それだけじゃない。ここまで崩落しようとしているのだ。石畳がまるで木の吊り橋だ。
「やばいやばいやばいやばい!」
大きい破片が目の前に落ちてくる。
「黙って走れ! 舌を噛むぞ!」
シーミアが瓦礫を払いのけながら並走する。
階段を三段飛ばしで駆け下り地下へ到達。地下も崩落が始まっていて、私たちが落とされた最下層に続く階段は完全に塞がれていた。
「こっちだ!」
下りてきた私たちを呼ぶ声。
「テーバさん!」
「他の連中はもう脱出した! 後はお前らだけだ!」
ついてこいとテーバは踵を返した。私たちもその後に続く。どんどん瓦礫が積もり、足の踏み場が失われていく。比例して、出口から入る光が徐々に狭まっていく。
ひと際大きな爆発音が頭上で響いた。
「やべぇ!」
テーバが叫ぶ。最後の罠が発動したのだ。最後の罠は、居館の隣に立つ二つの塔を倒壊させて居館内に溢れるスコルピウスの真上に落とし討伐する作戦だった。丸めた雑誌や新聞で虫を叩くのと同じ要領だ。規模が少し違うが。この作戦ではスコルピウスの数を減らすだけでなく、倒壊した塔によって広範囲に粉じんが巻き起こり、一種の煙幕として生き残ったスコルピウスたちの視線を遮れる、という狙いもある。
瓦礫を踏み越え、体を狭まった通路にねじ込みながら前に進む。あともう少しで、光に手が届く。
ガクン、と足場が傾いた。床が完全に陥没し、斜めに崩れ落ちていく。きつくなっていく傾斜を三人で駆けあがる。出口に手をかけ、首を出した。かなりの高さだ。ロープはあるが、悠長に伝って下りる時間はなさそうだ。
「飛んで!」
「「は?」」
説明している暇はないので、同じく下を覗き込んでいた彼らの背中を押した。体勢を崩した二人は両手をばたつかせながら落ちていく。間を開けず飛び降り、テーバの足を片手で掴み、アレーナを飛び降りたばかりの出口に伸ばす。
「無茶すんなってばアホぉおおお!」
叫びながら、テーバが隣で自分を追い越し落ちていくシーミアの足を掴んだ。アレーナが出口の縁を掴み、落下していたシーミアが地面すれすれで止まった。
激しい破砕音と共に、出口から暴風が吹き出す。ジュビア城の中にあった空気が、瓦礫によって押し出されたのだ。その威力は、私が掴んでいた出口の縁をえぐり取った。
「あ」
間抜けな声が漏れた。そのまま落下していく。
「おぶっ!」「ぐぇ!」「あづぁ!」
シーミア、テーバ、私の順に悲鳴が上がった。積みあがった人間の順でもある。とりあえず、生きているだけまし、という状況だ。
「おい、無事か!」
モンドたちが私たちを助け起こす。
「私は、なんとか大丈夫です。テーバさんは?」
「一応、生きてんよ・・・」
体が割けるかと思ったぜ、とぶつぶつ言っている。大丈夫そうで何よりだ。
「シーミア団長は?」
「こっちも無事だ」
パンテーラ団員たちに助け起こされながら、シーミアが答えた。
「まったく、無茶をしてくれる。だが、助かった。恩に着るぞ」
「お礼は、また後で」
「ああ、そうしよう」
話している私たちの足元が蠢いている。蠢いているのは砂だ。じっとしていると、靴の先が徐々に砂に埋もれていく。グリフが言っていたように、この場所の時間が元に戻ろうとしているのだ。元の砂漠に。
「出発だ! 走るぞ!」
シーミアの声に、全員が一斉に駆けだす。『砂漠の蓮』の効果範囲外に逃げ切れなければ、私たちも砂に埋もれて遺跡に仲間入りしてしまう。
「非戦闘員は?!」
気がかりなのは走るのが最も苦手な彼らの存在だ。
「ムトが先導して先に進ませている! もう間もなく城下町を抜け、森に到達すると連絡があった!」
体力の少ない彼ら彼女らが先に逃げ切ってくれれば、私たちの心配の種が一つ消える。
「スコルピウスだ!」
隣を走っているパンテーラの団員が指を差した。私たちの右、東側に粉じんから抜け出してきたスコルピウスの姿が確認された。こっちから見えているということは、あっち側からも見えている。
「まずい、気づかれたぞ!」
シーミアが叫ぶ。こっちを見ていたスコルピウスが両バサミを天に掲げて威嚇する。つられて、他のスコルピウスたちがこっちに向かって大挙してきた。
「こっちからも来やがった!」
テーバが叫ぶ。反対側、西側からもスコルピウスが追ってきた。
「走って! このままじゃ囲まれる!」
囲みを突破したのにまた囲まれたら洒落にならない。だが、内心の焦りとは裏腹に、歩を進める足は徐々に速度を落としていく。
疲れもあるが、それ以上にまとわりつく砂が進むのを妨害してくる。砂の量が増えているのだ。今では踏み込むと数センチめり込み、踏ん張りがきかなくなってきている。
私たちの動きが鈍くなっているのに、スコルピウスたちの迫る速度はさほど変わらない。なぜだ。奴らだってこの砂地を走っているはずなのに。
「そうか、かんじきと同じ理屈か・・・!」
かんじきは設置面積を増やし、体重を分散させることで雪に深くめり込まないようにする。見れば奴らは、足の先端部にある関節を折り曲げて、接地面を普段より増加して走っている。
「もう少しだ、踏ん張れ!」
「逃げ切れるぞ!」
互いに声を掛け合い、励ましながら前に進む。
しかし、私たちの努力もむなしく、左右から迫るスコルピウスの先頭が私たちの目の前で合流した。まだ数体だが、戦っている間に他のスコルピウスが追いつく。
万事休すか!
「おぅらあああああああああ!」
目の前に陣取ったスコルピウスの尾が千切れ、脳天が割れた。スコルピウスの脳天に突き刺さるのは、十文字の槍!
「アスピス!」
シーミアが叫ぶ。息絶えたスコルピウスに飛び乗って槍を引き抜いたのは、リュンクス旅団団長アスピスだった。
「おらてめえら、もっと急げ! 道は拓いてやるぁ!」
彼が叫ぶと、スコルピウスの背後からリュンクス旅団が現れ、スコルピウスと戦闘を始めた。たちまち数体倒され、隙間が拓く。
「突っ込め!」
死骸の脇をすり抜け、森の中へ。うっそうとしていた森も葉は枯れ落ち、細い枝と乾いた幹を残すのみとなっている。
「よっしゃ俺たちも逃げるぞ!」
私たちの後にリュンクス旅団が続く。アスピスは速度を上げて、私の隣まで上がってきた。
「よお、生きてたか!」
「そっちこそ!」
「お前らが俺らを出し抜いてくれたおかげだ感謝してるぜ! あの虫どもがわらわら出てきたのに気づいて、すぐに森の中に逃げ込めたんだよ!」
「それは皮肉ですか!?」
「いいや? 一応感謝してるんだよ! 騙された時はぶっ殺したいほど腹も立てたが、何が吉と出るかわからねえなこの世はよぉ! で、先に逃げてきたお前らの仲間から簡単簡潔に事情を聞いたってわけだ!」
「うちの団員は、どこに!?」
「先に逃げてるよ! この森にいた気味悪い連中がいないのは俺たちが確認済みだからな!」
やつらも時間操作で蘇った生物、元の時間に戻って死んだということか。それだけ確認できれば充分だ。
「しかし一体全体何だってんだこの状況! 話聞いてもさっぱりだ!」
「詳しい話は後でします!」
「そうしようや! 走ったままじゃ茶も嗜めねえからな!」
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