第215話 プランB

 人の神経を逆なでするような、耳障りな足音がサラウンド音声で聞こえる。スコルピウスの大群が四方から迫ってきていた。もう間もなく会敵する。私たちは奴らが接近するぎりぎりまで城壁内に仕掛けを施し、今は居館内に立てこもっている状況だ。

『来やがったぜ。先頭集団が城壁を昇ってきやがった』

 テーバの駅伝のようなアナウンスが通信機から聞こえる。一階エントランスに集うアスカロン、パンテーラ混合団を見渡すと、彼らも私を見返して頷いた。

 がさがさ、という音が徐々に大きくなりガリガリに変わった。奴らの先端の尖った重い足先が石畳をひっかく音だ。

「罠の発動準備をお願いします」

 居館入り口付近にいるムトたちがスイッチの安全装置を外した。庭園に仕掛けた罠とスイッチを結ぶ導線は、限界まで伸ばしてようやく居館入り口まで引き込めた。本音を言えばもっと安全な場所まで伸ばしたかったが、他の仕掛けにも使うためにギリギリまで節約する必要があったのだ。

 入り口からは、すでにスコルピウスの群れが見えている事だろう。ムトと共に罠のスイッチを持つ、歴戦の兵であるパンテーラの団員たちが、思わず息を吞んでいる様子が伺えた。彼らがたじろぎ、怯える程の光景が迫っているという事だ。

「充分に引き付けてから作動させます。合図を待って」

 多くのスコルピウスを巻き込む最大の効果を発揮するには、充分に連中を引き付ける必要がある。タイミングを間違えれば効果が半減してしまう。かといって遅ければ罠を作動させるどころではなくなる。

 タイミングの全ては、屋上で見張っているテーバたちにかかっている。

 ガリガリと居館内に奴らの足音だけが木霊する。普通の人間ならそれだけで気が滅入ってくるだろう。ただの音を、人間の想像力が補填することでスコルピウスの映像を形作り、恐怖へと変える。見えなくても脳裏に浮かぶのだ。人間よりもでかいサソリの群れが、ぎっちりと隙間なく周囲を埋め尽くしている光景が。

「おい、まだなのか?」

 我慢できなくなったのだろう、パンテーラ団員の一人が、つばを飲み込みながら私に向かって言う。

「まだです。まだ引き付けます」

「もういいだろう?! もう目の前まで来てるんだぞ!」

「合図が来ていません。もう少し我慢してください」

 まずい。一人が恐慌状態に陥ると、雪崩のように他の人間まで不安に駆られる。証拠に、今訴えた団員から恐怖が伝播したのか、他のパンテーラ団員も落ち着かない様子で視線を外と私を行き来させている。

 一番急いているのは私だ。それを何とか抑え込んで、ただ待つ。最高のタイミングを知らせてくれるのを、信じて待つ。

「おいって!」

「まだです」

「もう奴らが来てるって! 見えてねえのか?!」

 見えてるに決まってるだろう。ここまで近づけば嫌でも目に入る。黒光りする外骨格、背中をムズムズさせ生理的嫌悪感と恐怖を呼び起こすフォルム、そして視覚に訴えてくるハサミや尾の針の暴力。彼らがさっさと罠を発動させろと訴えるのもわかる。だが、それでも。

「まだです! 信じて!」

 本能に訴えかけるスコルピウスへの嫌悪と恐怖を、罠を制作したプラエとタイミングを計るテーバたちに対する信頼が上回る。

「ああ、クソ、死んだら恨むからな!」

 パンテーラ団員がやけくそ気味に叫んで、待機状態に戻ってくれた。

 足音はついに、工事現場もかくやの騒音と化した。黒い壁が後十数メートルまで迫る。私たちですらおぞましさに恐怖した。入り口付近の彼らの心労たるや、どれほどのものだっただろうか。だが、そこまで待った甲斐はあった。

『今だ!』

 待望のテーバの合図が来た。

「罠作動!」

 叫んで、私は階段の陰に身をひそめた。ムトたちが居館入り口付近の壁に体を密着させ、歯を食いしばり固く目を閉じてスイッチを押す。

 光が弾けた。

 スコルピウスの群れの真ん中あたりの地面が突然盛り上がり、地面に亀裂が生じた。そこから衝撃波と光があふれ出す。まるで光が質量を持ったかのようだ。光はそのまま地面を吹き飛ばし、その上にいたスコルピウスを天に向かって跳ね飛ばした。それだけにとどまらず、周囲のスコルピウスは発生した衝撃波を全身に浴びて外骨格が押し潰されていく。私たちの見えていない、城壁周辺でも同様の爆発が発生したはずだ。

 プルウィクスで着想を得た、プラエが改良を重ねていた虎の子の爆弾が作動した。ただただ威力だけを追い求めていたタイプのものだ。彼女の研究への執念が、答えとなって現れた。それは、スコルピウスたちだけでなく、私たちのいる居館にまで衝撃を与えた。レンガで出来た分厚い壁が衝撃波でびりびりと振動する。天井からもろくなっていた部分が崩れて落下してくる。爆発する方向を調整したとはいえ、倒壊しなかったのが不思議なくらいの威力だ。狭い入り口からも衝撃波は入り込み、暴風となって居館の中を暴れまわり、私たちの体を叩く。悲鳴すら上げられない。

 風が徐々に弱まった頃合いを見計らって通信機に声をかけた。

「外の状況は?!」

 一階入り口はまだ粉じんが待っていて、表を確認することが出来ない。

『こちらテーバ。爆弾の効果は、大だ! 第一陣をほとんど巻き込んで吹っ飛ばしたぞ!』

 興奮するテーバの声が周囲にも聞こえたのだろう。歓声が上がる。

『だが、もうすでに第二陣が城壁を越えてきている。気をつけろ!』

 彼の言葉を証明するかのように目の前の粉じんが揺らいだ。何かが中で動いたため、空気が押し出されたからだ。あわよくば仲間が大量に殺されたことを受けて怯み、撤退してくれればと考えたが、世の中そう上手くはいかないか。やはり、プランBでいくしかない。

「来るぞ! みんな、構えて!」

 自らもウェントゥスを構えて叫ぶ。

「総員、配置につけ!」

 同じくシーミアが部下たちに号令をかけ、全員が武器を構えた。私たちの視線が、入り口に集中する。粉や欠片が落ちてくる、パラパラという小さな音を圧し潰す、節足類の足音が近づいてきた。

 真っ白な粉じんの幕を切り裂くようにして、真黒な巨体が飛び込んできた。怒りを表現しているのかハサミを掲げ、尾を振り回している。

「全員、絶対生き残るわよ!」

「「「応!」」」

 私たちはスコルピウスに飛び掛かった。

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