第213話 喜劇でも悲劇でも、最悪は最悪

「無事ですか!?」

 声に振り返ると、イーナがこちらに駆け寄ってくるところだった。気づけばさっきまでいたはずの空間は消え、私は居館の屋上に立っていた。

「ええ、大丈夫」

 手を振り返す。笑顔のイーナは、途端顔を曇らせ、武器を構える。私の隣にいる、ムトの顔をしたままの偽物を警戒していた。

「こっちも、大丈夫。一応は」

「ちょっとちょっと、中途半端な紹介はやめてくださいよ。きちんと説明してください」

 両手を上げて苦情を言ってきたので、仕方なくイーナには経緯を伝える。彼女が「信用できますか」という目で私を見てきた。

「少なくとも、この場を凌ぐには必要かな。とりあえず味方として・・・ええと、名前は?」

「グリフで結構ですよ」

「グリフ(偽)も勘定に入れてあげて」

「了解です」

「何か、紹介の仕方に含みがあるなぁ」

 膨れるグリフを無視して話を切り替える。

「それよりも、状況はどうなった? 私たちがあの部屋に入ってからどれだけの時間が経過していたの?」

「時間はさほど経っていません。五分から十分だと思います。しかし、その間に捕捉されました」

「リュンクス旅団?」

「いえ、パンテーラです」

「結局敵対してしまったの?」

「残念ながら。リュンクス旅団とグルだと思われているみたいですね」

「私たちが戦ってたのを見ていたでしょうに。どうしてそうなるかな」

「それすらも自分たちを騙すための演技、と思っているようです。トリブトムを全滅させたのが私たちだとも思っているようで」

 あの戦闘の偽造跡を見て、疑心暗鬼になっているわけか。

 屈んだ状態で屋根の縁に近づき、首を伸ばす。居館の前に転がる柱や壁、家屋の陰にちらちらと影が見える。全身鎧をまとったパンテーラの団員たちだ。

「膠着状態ね」

 首をひっこめて、顎に手を当てる。

「一度攻め入ろうとしてきたのを、何とか押し返しました。現在、正面入り口に障害物や罠の魔道具を並べて塞いでいます」

 その対処のためにプラエたちは階下に降りて、屋上にイーナだけ残ったのか。

 思わず歯噛みする。押し返した時に撤退も追撃もせず、防衛に専念せざるを得なかったのは、私が戻るまでこの場所を守るためだ。飛び出た後にこの居館を占領されたら私が孤立する。

「ごめん、迷惑かけたわね」

「何を仰るんです。私たちが生き残るためにも、あなたが必要なんです。必要な人材を守るのは、当然のことですよ」

 イーナが笑った。ありがとう、とくしゃくしゃとその頭を撫でる。

「その期待に応えられるよう頑張りましょうか」

 とはいえ、どうしたものか。まずは皆に連絡を入れて無事を報告し、情報共有をしないと。そこから打って出るか、逃げるかを選択する。逃げるとしたら再び地下からの方が安全か? いや。

「リュンクス旅団の動きは?」

「それが、見失いました。監視していたジュールさんも、防衛の方へと回ったので」

 五分やそこらで城下町の端辺りにいた連中が来れるとは思えないが、警戒はしておくべきだな。私たちの後を追っていたのであれば、城の北側に到着する。もしかしたら抜け道に気づくかもしれない。そうなると抜け道を通ってきたリュンクス旅団とパンテーラに、今度は私たちが挟み撃ちにあってしまう。残るは、私たちが目指すべきは居館の正面を突破する方法だ。

 高所にいるのは不幸中の幸いだった。敵の動きが良く見える。再度首を伸ばし、こちらの位置を気取られないようにして周囲を見渡す。

「・・・ん?」

 視界の端で何かが動いた。この城に来た時も何かが動いたような、そんな気配がしたのだ。その方向に目を向ける。

 今度はその正体が判明した。判明したく、なかったが。今回はこんなのばっかりだ。いや、今回も、かもしれない。

「嘘でしょ・・・。なんで」

「どうしたんです?」

「あ、あれ」

 隣に来たイーナが、私の指さした方向を見て、両手を口に当てて悲鳴を飲み込んだ。私たちの様子がおかしい事に気づいたグリフも、その理由を発見して絶句した。

 最初は見間違いだと思った。そいつらが、そこにいるわけがないのだから。普通、自分たちの縄張りから離れることは無い。エネルギー効率が悪いからだ。だが、あれはどう見ても。

「何でスコルピウスが、ここにいる!?」

 森からわらわらとスコルピウスが飛び出してきている。その数はどんどん増加して、黒い波がこちらに向かって押し寄せてくるようだ。

「ここから状況を把握して!」

 イーナに指示し、屋上から飛び降りて階下に移動する。モンドたちに合流するまでの間に考えることがいくつもあった。

 まずやるべきはパンテーラとの停戦交渉。

 そこからがスタートだ。戦ってる場合じゃない。どうやってあの大軍を振り切るか。道中で遭遇した規模よりもはるかに大きい群れが、迷うことなくこっちに向かってきているのだ。あの一方向からだけなら反対に逃げればいい。しかし。

『団長、悪い報告があります』

 緊急事態に、流石のイーナも呼び方が戻っている。

『反対方向からも、スコルピウスの群れが現れました。それだけではなく、左右両方も群れが陣取っていて、完全に包囲されています』

 考えうる限りの最悪の状況だ。階段を駆け下り、一階に到着する。

「おう、戻ったの、か?」

 私に気づいたモンドの横を通り過ぎる。

「ちょ、バカお前どこ行く気だ! 状況わかってんのか!?」

 無視して正面玄関を出ると、四方から私に狙いが定められ、八方から殺意と敵意が浴びせられる。

「傭兵団パンテーラに告ぐ!」

 今すぐ射かけられてもおかしくない状況だ。だが、時間がない。シーミアに怒りと憎しみを押さえられるだけの理性が残っている事を祈るしかない。追いついたモンドが盾を構えて、私の前に立った。今のところ、矢は飛んでは来ない。

「アスカロンは、貴殿らに停戦を申し込む!」

 周囲が一瞬ざわつく。パンテーラも、アスカロンも。

「どういうことか、お聞かせ願おうか」

 物陰から二人の射手を引き連れたシーミアが現れた。大剣は背に仕舞っているが、下手な事を言えばすぐさま抜き放ち、私たちをたたっ切るつもりだ。話を聞くだけの冷静さはあるようで幸いだ。時間の経過で頭を冷やせたらしい。

「今更命乞いか? 残念だが、我らは我らを騙した者どもに慈悲をかける気はないぞ」

 それすらも誤解で、私たちは敵対する意思はないのだが、それを言っても信じてもらえはしないだろう。であるなら、突きつけるのは起こっている事実だ。

「この場所に向かってスコルピウスの群れが迫っている。互いに戦っている場合ではない」

「スコルピウスが? 馬鹿も休み休み言え。奴らの生態を知らんのか。やつらはめったに巣穴から出てこないんだぞ。砂漠で生きるために極力動かない」

「例外が起こっているの。このままだと私たちもそちらも飲み込まれるわ。すぐに逃げないと」

「そう言って、我らの後ろでも取ろうというのか? 浅はかな。その手には乗らんぞ」

 考えが凝り固まってしまっている。頭は冷えたが、考えも冷えて固まってしまったのか。こちらは無駄な議論をしている暇はないのに。舌打ちしたいのをこらえて、焦る気持ちを我慢し、相手を納得させるための言葉を探る。

 そんな私を嘲笑うように、事態はさらに変化する。どこの作家が言ったか、最悪と言える状況は、最悪ではない。いつだって、最悪は予想の斜め上を行く。

『団長、大変です』

 通信機からイーナの声がした。

「まだあるの?」

『スコルピウスの群れに交じって、数体のアラーネアを確認しました。おそらく、以前交戦した個体かと思われます』

「・・・冗談でしょ」

 目の前が真っ暗になりそうだ。ここにきてアラーネアとは。

 目まぐるしく頭が動く。なんでアラーネアとスコルピウスの群れが仲良くこっちに向かってるんだ。あいつらは食物連鎖のピラミッドからみれば捕食者と非捕食者だろう。

 いや、そもそも前回のアラーネアの行動からしておかしかった。通常一匹で動く奴らが、三体固まって行動していたのだ。しかも一体がやられたら、あいつらは怒って獰猛になるどころか撤退したのだ。まるで人間みたいに。

「まさか」

 点と点が想像という線で結びついて、形を成していく。行きついた結果に足が震えた。

 消えたトリブトム部隊、だまし討ち、中途半端な時期に切られたヒラマエ、二大国の状況、想定外の行動をするスコルピウスとアラーネア。それらが結びついてできた大きな絵に、過去の出来事が色を加えていく。

「そういう・・・、そういうことか」

「どうした団、ああいやルイ」

 モンドが心配して声をかけてくれる。私の顔は包帯越しでもわかる程真っ青に違いない。

「なんだ。どうし」

 流石に異変を感じたシーミアの言葉を途中で遮って言う。

「生き残りたければ、協力して。私たちは嵌められたの」

「嵌められた? お前たちが嵌めたの間違いだろう」

「違う。私たちも、あなたたちやリュンクス旅団も、トリブトム、いいえ、その後ろにいるアーダマスにはめられたのよ」

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