第212話 甘い夢を見ていた

 飛び込んだ扉の向こうは、不思議な空間でした。割と、まずい感じの。

 まず、重力に引かれない。飛び込んで着地しようとしたが、足がつかない。では空中にいて、落下しているのかと言われればそうでもない。

 無重力空間、というのが、一番しっくりくるだろうか。体験したことはないが、多分、こんな感じではないかと思う。

 それを補強するように、周囲は暗闇に包まれている。光が全くない暗闇は、周囲どころか自分の手足すら見えない。認識できない。

 原始的な恐怖が腹の底から沸き上がってくる。未知とは恐怖だ。喉元をせりあがってくる悲鳴が、暗闇の中に放たれる、が響かない。空気が振動しない。自分が発しているからか、骨伝導でかろうじて自分がカ行を口走っていることがわかるが、空気を伝って鼓膜を震わせている感覚がない。

 では空気がないのかと言えば、それならもっと息苦しくなるはずだが、それはない。別の圧迫感で息苦しいが。

 何なんだここは!

 必死になって手足をばたつかせるが、むなしく空を切るばかりだ。いよいよ発狂する、そう思った時、耳に手が当てられた。

『落ち着いてください』

 イヤーマフのように当てられた手から、声が聞こえた。

『大丈夫。足場はあります』

 むなしく藻掻く足の下に地面があるとでもいうのか?! 焦る私を見越したかのように声が言う。

『目を閉じてイメージを。しっかりとした床がありますよ』

 見えないだけでも焦っているのに目を閉じろと言われ、ますます訳が分からない。

 この暗闇では開けても閉じても同じか。半ばやけ気味に、言葉に従う。足の下に、床。石畳がある。

 突然、足裏が何かに触れた。瞬間、足が支えるべき体重を認識した。驚く私に向かって、声が次の手順を告げる。

『ここも、暗闇ではありません。そうイメージしながら、ゆっくり眼を開けてみてください』

 恐る恐る目を開く。

 上から下に、光が何本も滝のように落ちているのが見えた。光の滝によってほのかに照らされる一本の道の上に私は立っていて、それを挟むように光の筋が等間隔に並んでいる。

「ここは」

 周囲を見渡す。後ろにも同じように光の滝と道が続いていて、前も同じだ。目を凝らしても、果てが見えない。

 今度は光の滝に視線を移す。よくよく見ると、どこかの景色が映った写真だった。それが幾重にも連なっている。ゲームで見たことがある。今ではもう廃れてしまった映写機に入れるタイプのビデオフィルム、だったか。

「何、これ」

「この世界の歴史、みたいなものだと思います」

 振り返ると、ムトが立っていた。同時に剣を突きつける。

「何するんですか。危ないじゃないですか『団長』」

「下手な芝居はもう必要ないわ。正体を教えてもらえる?」

「おっと、慌てた様子がないところを見ると、ばれてたってことですかね?」

 これでも似せようと頑張ったんですがね、とムトの顔でそいつは項垂れた。

「ええ。違和感はいくつかあったしね」

 そもそも、彼が私たちに何の連絡もせずに持ち場を離れる事などそうはない。まずそこでおかしい。それでも緊急事態であれば、話は変わるかもしれないと思い、私と彼しか知らないことを告げカマをかけてみたのだ。そいつは、それに気づいたようだ。

「もしかして、『あの時みたいにしっかり掴まれ』っていうのは」

「ええ、ちょっと試してみたの。もし本物のムト君であれば、彼は私の腰に抱き着いたのよ。あと、なぜかわからないけどこう、腰が引けた感じになってた」

 あの時のムトの仕草を真似ると、ムトの顔をしたそいつは「ああ、なるほどね」とニヤニヤしていた。

「ううん、まさか青年の純情で変装がばれるとはね。今後の課題だなぁ」

「で? あなたはどこのどなた?」

「あのですね。せめてこの危ない物突きつけないで話しませんか。一応、さっき頭がおかしくなりそうになったあなたを助けたつもりなんですけど」

「だから、まだ殺さずに待っているじゃない。これでもかなり譲歩しているつもりなんだけど」

「すぐに正解発表しても良いですが、その前にあなたの答えを聞きたいな。ある程度想像がついているのでは? それとも、謎解きは嫌いですか?」

 ミステリーは名探偵が解くのを見る、読むが専門だ。自分で推理するとか、苦手な部類に入る。けれど。

 相手を見る。今すぐ敵対する、気配は感じられない。私を殺し、目的を達成したければ奴の言う通り、あの時放っておけばよかった。助けた、と言うなら、私の協力を欲しているはずだ。であるなら、無理やり口を開かせるよりも、こういう手合いは話に乗った方がよく喋ってくれそうな気がする。

「『虐げられる側』とやらの一味」

 奴の笑みが深まる。

「素晴らしい。流石は音に聞こえし龍殺し」

「正解したなら、ご褒美が欲しいわね」

「良いですよ? 何が良いです? 僕とデートする権利とかどうです? 良い店知ってるんですよ」

「目的は何?」

「んん、つれない」

「そちらの目的がわからなければ、デートすることもできないかもしれないのよ? わかってるんでしょう、この状況」

「はは、お見通しですか。ええ、その通り。どうやら、アーダマスにいるトリブトムの連中に、僕がグリフに成り代わっていたのがばれちゃったみたいなんですよね。ただ、その後のトリブトムの行動が不可解です。依頼をキャンセルするわけでもなく、どころか幹部であるはずのヒラマエに情報が伝わっていない。さて、どういうことでしょう? 殺される前に身を隠し、顔を変え、姿を変えて色々と隠密行動を取って探っておりました」

「何を掴んだの?」

「詳細まではわかりませんが、どうもトリブトムはヒラマエを排除しようとしているみたいですね」

 やはり、そういう流れか。

「理由は?」

「そこまでは。僕に騙された責任を押し付けたいのかもしれません。既にアーダマスは今回の依頼でトリブトムに少なくない金を支払っています。しかし実態は僕の指示で、アーダマス王の全く意図しないことで浪費されてるんですから、王の怒りは騙されたトリブトムに向くでしょう。誰かが責任を取る必要があります」

 何一つ悪びれることなく奴は言う。

「おかしくない? それならヒラマエ一人を処分すればいい。ここにいる三つの傭兵団を仲たがいさせ、殺し合うように仕向ける必要はないはず」

 グリフが偽物だとわかった時点で、依頼を取り消して引き返させればいい。キャンセル料を支払うのを嫌がった? いや、悔しいが傭兵団としての格が違うのは認めざるを得ない。キャンセルを言い渡されれば、私たちは泣き寝入りするしかなくなる。それに、これまでの行動を見ていれば、グリフの正体がばれたのは、私たちがジュビア城を探索する前のはずだ。でなければ居館に残っていた偽装工作の説明がつかない。

 グリフの正体がばれる前から、トリブトムは私たちを潰そうとしていた?

「そこが、いまいち僕もわからないんですよね。それをもう少し調べようと思っていたら、タイムリミットが来てしまったので」

「私たちがジュビア城の謎を解いた事?」

「はい。先ほどの質問の答えですが、僕の目的は『砂漠の蓮』です。どうぞ上をご覧ください」

 警戒は解かず、ちらと上を見る。光の滝とは違う、別の光源が照明のように真上から私たちを照らしていた。目を凝らすと、光の中に花のような形をした何かが浮いていた。

「あれは何なの?」

「ジュビアの技術の結晶です。偉そうに言ってますが、僕も実物を見たのは初めてでちょっと興奮してます」

「その割には、ここの部屋に入った時の対処法を知っていたようだけど?」

「ええ。だから僕が今回の任務に抜擢されたんですよ。今では知る者のいない、ジュビアの情報を」

「じゃあ、まさかあなた」

 正解、と嬉しそうに奴は言った。

「お察しの通り、滅亡したジュビア王家の末裔、ってやつです。ま、何百年も前に滅びたんですから、王族の肩書なんかあってないようなもの、今ではある国の食客、雇われ工作員です」

 まあ今はそんなことはどうでも良いじゃありませんか、と笑い、奴は『砂漠の蓮』を見上げた。

「問題は、あれです。あれの本来の効果は特定の空間内の時間を操ることです。例えば時間を操って植物を急激に成長させたり、けが人の傷をケガする前に戻して癒したりですね。王族的使い方を考えれば、不老長寿とかでしょうか。老いたら若返りを繰り返して、永遠にこの地を支配することも可能です。理論上は、ね?」

 結果は見ての通り、と奴は両手を広げる。

「『砂漠の蓮』は誤作動を起こし、ジュビア周囲の時間を一気に進めて一帯を砂漠に変えた。僕のご先祖は『砂漠の蓮』を封印し、悲劇を繰り返させないようにした。そしていつか、何かの拍子で『砂漠の蓮』が動き出した時に備えて、子孫に『砂漠の蓮』の危険性や封印場所、その他注意事項を口伝として伝えたんです」

 正直僕も、こんなことになるまで爺さんのほら話だと思ってたんですよね、とうそぶく。

「なぜあなたの先祖は『砂漠の蓮』を破壊ではなく封印を選んだの? 破壊しておけばこんな面倒な事にはならなかったのに」

「さて、そこは伝わってないので想像するしかありませんが、どれほど危険だとわかっていても『砂漠の蓮』はジュビアがもっとも繁栄していた頃の最新技術が盛り込まれた物。ある意味象徴だったのかもしれませんね。美しき記憶が詰まったものを破壊するのは忍びなかった、ってとこでしょうか。もしくは、いずれジュビアの復興を誰かが成すときの助けに、と考えたのかもしれません」

「それで、あなたはどうするの? 復興させる野望をお持ちなの?」

「それも考えてたんですけどねぇ。ちょっと扱いきる自信がないです。身に余る力は身を滅ぼすことになる。破壊の方向で考えてます」

 ていうか物理的に手が届かないんでどうしようもないんですけどね、とその場でジャンプしている。

「そっちこそどうします? あなたは手が届きそうですけど」

 『砂漠の蓮』を見上げる。時間を操る魔道具。それに手が届く。脳裏をよぎるのはやはりラテルの光景だ。あれを、やり直せる?

 皆を生き返らせることが出来るのではないか、その可能性に心が揺らぐ。それどころか、この世界に来る前に戻れるのではないか。全てがなかったことになる。痛みも、苦しみも、何もかも。平和な、うだるように暑い、残暑厳しいあの時に戻れるのではないか。

 良い事尽くめではないのか。私は元の世界に戻れる。アンもこれまでの苦労を捨てることが出来る。上原も、クラスメイトも死んでいない。

 プラエやモンド、テーバ、彼らはガリオンが復活することでガリオン兵団に戻れる。

 手の先に、そんな未来が待っている?

 右腕を伸ばす。今ではすっかり馴染んだ、他人の腕と形見の篭手アレーナ。アレーナがゆっくりと『砂漠の蓮』に伸びていく。これを掴めば、全てはなかったことになる。幸福だった過去と、いつも通りの日常と、平和な未来が待っている。


『団長』


 びくりと体が止まる。通信機から、雑音交じりの声が聞こえた。イーナか、モンドか、プラエか、それ以外の誰かか。彼らの声が、私を現実に戻す。ともに戦い、地べたを這いつくばり、血反吐を吐き、泥水を啜って生きてきた皆が、この世界にそんな上手い話があるわけがないと思い出させてくれる。

 この世界には剣も魔法もあるが、甘い希望はないのだ。

 アレーナを手元に戻し、両手でウェントゥスを構える。狙いを定め、最高硬度にして一気に伸ばし、穿つ。切っ先が当たった瞬間、蓮はキレイに二つに割れた。途端、周囲の景色が歪んでいく。暗闇は薄れ、その向こうに青空が見え始めた。

「あぁあ、人ん家の家宝を」

 ちっとも残念そうではない口調で奴が言った。

「私を誤作動を起こす魔道具の実験台にしようなんて、なかなかあくどいじゃない。私が『砂漠の蓮』を使うのを期待していたんでしょう?」

「はは、まあ、そうですね。今後の魔道具開発の参考に、使用した後の反動を確認しておこうと思って」

 反動があるのか。あるのを知ってて、黙っていやがったのだ。

「口伝通りならどうなるの?」

「一瞬でミイラになったそうですよ」

 再びウェントゥスの切っ先を奴の首筋に向ける。奴は汗を額から垂らし、両手を上げる。

「ええと、黙っていたことは謝ります。これから、この依頼が終わるまでは全面協力をいたしますので、どうか命ばかりは助けてくれませんかね?」

 細かく自分に都合のいい条件を入れてくるあたり、良い根性をしている。だが、それを飲む。

「包み隠さず、あなたが知っている全部の情報を話す、という条件は?」

「セットでお付けしますとも」

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