第210話 解読

『罠が作動したのを確認した』

 城の北側で見張りをしていたジュールからの連絡が入る。緊張した面持ちで、私たちは彼の報告に耳を傾ける。

『リュンクス旅団が反転、ジュビア城の方に向かうようだ。どうやら、こちらの意図に気づいたらしい』

 流石はアスピス、勘が鋭いとジュールが評する。

「テーバさん。パンテーラ、トリブトムはどうですか?」

 反対側の南側で見張りをしているテーバに声をかける。

『すまん、どっちの団もまだ発見できてない。もう少し日が昇って、明るくなればわかるかもしれねえ。引き続き見張ってる』

「お願いします」

『了解だ』

 通信を終え、後ろを振り返る。そこでは、一時間以上前から古代文字解読班であるプラエ、ティゲル、ヒラマエが壁画の前で必死になって作業を行っている。


 早朝、罠を仕掛ける班と解読班を送り届ける班の二班に分かれて行動を開始した。リスクはあったが、時間を優先した形だ。罠を仕掛けるのは隠密行動に長けたテーバたちに任せ、私は先行してジュビア城へと向かう。他傭兵団と遭遇するリスクがあるとは言ったが、勝算ももちろんあった。北の脱出口は私たちしか知らないし、なにより、昨日襲ってきたアラーネアは北の方角へ逃げた。ほぼ間違いなくアラーネアはさらに移動している、北側に居座っていないと思っていたとしても、陣を敷き、夜を明かすには勇気がいる。北部に他傭兵団はいないと読んだ。

 読みは当たり、私たちは無事王族が使ったであろう北部脱出口に到着。そこから城内に侵入し、地下にある壁画前まで辿り着けた。三人を壁画の前に送った後、壁画のある部屋を中心に、団員を通路に配置して警戒する。罠を仕掛け終えたテーバたちは、そのまま城の高台に移動し、他傭兵団の捜索を行う。そして数十分前に移動するリュンクス旅団を発見し、今に至る。

 いまだ二つの団は見つかっていないが、一番敵対していたリュンクス旅団の位置が分かっただけでも良しとするべきか。

 ジュビア城領内は広大というわけでも、遮蔽物が多く見通しが悪い森のようというわけでもない。数十人規模の団が移動すれば何らかの痕跡が発見できそうなものなのに。よほどうまく隠しているか、もしくはここから離れたのか。離れているだけならまだいい。巧妙に隠しているのなら危険だ。私たちに接近を悟られず、私たちを追い詰めるつもりなのかもしれない。未知とは恐怖、とは誰が言ったか。わからないことが多いことすら恐怖なのに、そのわからない中で確実にわかっていることは、放置すれば必ず私たちに害が及ぶ点だ。


 解読班の様子を見やる。前日にヒラマエ自身が言っていた通り、一つの単語が解読できれば一文がおぼろげに見えてくる。一文が見えれば、文章の流れが見えてくる。文章はミステリじゃないがフーダニット、ハウダニット、ホワイダニットのどれかが大まかに当てはまる。誰が何をしたか、どうしたのか、なぜしたのか。そこに主語や重要な単語が必ず含まれる。主語の大体は、どの文にも共通する単語だ。その単語がわかれば、文脈は完璧に訳せなくてもニュアンスや文脈は掴めてくる。英文の訳と同じだ。問題はわからなくても、文章の流れからこの問題が言いたいことはこういう事だろうと当りをつけて、じゃあこの英単語はこういう意味じゃないかと推測していく。単語の意味がわからない場合の非常手段だが、私はこれで三割は成功している。褒められたものではない私の英語の成績でも三割当てられるのだ。アスカロンが誇る頭脳二人ならば。

「あ~、この形、見たことあるわ。確か『空』を意味したんじゃなかったっけ?」

「空、ですね。昔の人が空で表したのは『上』『天』『空』『蒼穹』と、空やその方向に関する言葉以外にも『手の届かない』『青天井』『際限がない』という触れてはならない物や無限、制限がないことを表すことがあります」

「この文脈からは後者の、触れてはならないという意味で使われているように見えるな」

「となると、ここはあれか。『下手に触るな、死にたいのか馬鹿』って感じのことを言いたいのかぁ」

「俺もそういう認識だが、流石に意訳が過ぎないか」

「時間がないンだよ。大きく解読し、重要な細部を浮かび上がらせて詰める方が手っ取り早いだろ。重要じゃない枝葉に構ってられねぇんだ」

「一理ある。しかし、その枝葉に重要な単語と類似するものがある。大きく見るというなら、全体を一度見て共通点を把握しておくべきだ」

「わかってらぁバーロー」

「ソウルフルさんもヒラマエ様も、どうぞ落ち着いてください。さあ、次の文脈です」

 何のしがらみもなく、ああだこうだと三人は意見をぶつけあっている。喧嘩腰のように見えるが、楽しそうにも見える。知恵者、知識人にとって、議論をぶつけあえるというのは一種の娯楽なのだろう。自分の理論が相手に論破されてもそれはそれで楽しいのだ。そうやって新たに得られる知識に比べれば、自分の理論が間違っていたなどということは些末なことで、むしろ、更に視界が開けたという感謝、感動すら覚えるのかもしれない。

 ただ、少しだけ心配なことがある。

 ティゲルはすでにいつもの口調に戻っている。今は良いが、集中しすぎていつもの調子で私のことやプラエのことを名前で呼ばないかがちょっと心配になってきている。それ以上にプラエだ。彼女はずっとあの違和感しか覚えない口調で通すつもりなのだろうか。余計なことに神経を使って、ボロが出なければいいが。いざとなったら下手な芝居を打って濁していくしかない。

 まあ、その辺は私が気を配ればなんとかなる。本当に心配なのは解読が間に合うかどうかだ。すでにリュンクス旅団はこちらに向かってきている。いくら仕掛けた罠が作動しようとも、非殺生型の罠では稼げる時間が限られている。出来れば作動した罠の音につられてきた団同士が鉢合わせて、にらみ合いになってくれればと思ったが、それは叶わなかったようだ。それどころか、他二つの団の行方が知れない。せめて、もう一つの団の動きが分かれば、近づいてくるリュンクス旅団にぶつけるよう誘導も出来るのだが。

「急かすつもりはないですが、進捗はどうですか?」

 なるべく穏やかな口調でそう三人に尋ねたが、内心かなり焦っている。ずっとせわしなくわき腹を叩く指は、組んだ腕の下で隠している。自分に出来ることが特になく、待つしかない歯がゆい状況も、それを助長している。

「後もうちょっとなんだよ」

 イライラした調子でプラエがアフロ頭を掻く。

「肝心の『砂漠の蓮』を奉納した場所の手がかりになりそうな一文は見つけたんです。ですが、どうも解釈に困る部位がありまして」

 困ったようにティゲルが眉尻を下げる。

「我々の意見が綺麗に割れてしまってな。せめて、この単語が分かれば」

 ヒラマエがお手上げ、とでも言いたそうに天を仰いだ。

「ちなみに、どんな単語なんですか?」

 力になれそうもないが、興味が湧いてつい聞いてみた。古代文明とか暗号とかが絡む映画は好きでよく見ていた。

「これです。この部分です」

 ティゲルに導かれ、近づいて首を伸ばしてみた。ジュビアの古代文字は文字というか、漢字やひらがなの成り立ちで見たことのある、絵から文字になる途中のような形をしていた。甲骨文字とかヒエログリフとか、ああいうやつだ。そのうちの一つ、逆三角形の単語にティゲルの指が置かれていた。三角形の中に、小さなマークがある。これは、鐘、ベルか?

「この単語の意味が分からないから、解釈が変わっちまうんよ」

 プラエがキャラを作ったまま教えてくれた。

「無視して訳すと、『右の塔の尖端より見えるものこそ、ジュビアの至宝』とこっち側の文が訳せる。なもんで、右の塔を調べるべきかと思ったんだ」

 そう言って逆三角形の右側にある文を手でなぞる。

「だが、同じように考えると、左側には『左の塔より見えるものこそ、ジュビアの過ち』と訳せる。ジュビアを滅ぼしたのは『砂漠の蓮』と考えられるから、過ち、すなわち『砂漠の蓮』のありかと考えられてしまう」

 ヒラマエが左側を顎で指す。

「では、どちらかの塔に重要なヒントがあると?」

 素人考えで口に出すと、今度はティゲルが「それだけじゃないんです」と言った。

「この逆三角形の下の文は『ジュビアの功罪、我らの頭上に眠る』となります。眠る場所、この場合王族の事だと考えられますが、彼らの住処はこの上にある居館ですから、頭上に眠るとは、その最上階に当たる部分ではないかと考えられるんです」

 三つの文がそれぞれ異なる場所を示している。

「三角形自体の意味がわからないから、文がつながらない、ってことですか?」

 そう尋ねるとティゲルが頷く。

「三角形だけなら、いくつか意味が判明しています。『頂き』『山』『山頂』『頂点』『尖端』『先』などですね。ですが、それだと上手くつながらないんです。三角形は、本来は他の文に使われるような、こういう形なんです」

 彼女の言う通り、右、左、下、それぞれの文にある三角形は頂点と下二点を線で結んだ山の形だ。鐘の文字もない。さっき三人が訳した文の中に尖端や頭上という単語があったから、それを表しているのだろう。

「また、逆三角形の中に鐘のような文字もあって、これまでとパターンが違うので悩んでいる、というわけなんです」

 ううん、と三人が同時に唸る。この三人で意味が分からないのであれば、私にはさっぱりわからない。これ以上邪魔はできない。少し離れ、私は私が出来ることを考えよう。例えば、順に文が指し示す塔と居館を調べる方法とか。

「ん?」

 離れていくさなか、視界の隅に入った壁画をちらりと見た。足を止める。

「ん、んん、お?」

 その場からさらに距離をとったり、近づいたり、位置を変えて壁画を見る。

「どうしたんですか?」

 私の奇妙な行動に気づいた三人が、こっちに近づいてきた。

「あ、いや、気のせいかもしれないんですけど」

 プロフェッショナル三人に素人の考えを伝えるのは少し気恥しい。

「気づいたことは何でも言ってくれ。正直手詰まりだ。別角度からの刺激が欲しい」

 ヒラマエに言われ、思ったことを伝える。

「三角形のことだけを聞いたからか、壁画の三角形だけ浮かび上がって見えたんです」

 私の目線から、合計四つの三角形を指差す。

「逆三角形の角の向きが、全部他の三角形に向いてるんです。偶然かな、と思って距離を変えたりして見てたら、他の三角形と逆三角形までの距離は、同じくらいに見えるなぁ、と。まあ、その、ただそれだけの話なんだけど」

 関係ないよね、と振り返ると、三人が零れ落ちそうなほど目を拓いて私を見ていた。

「「「それだ!」」」

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