第203話 一パーセントの安全策

 退いた敵の後を追うように、私たちも階段を駆け上がる。すでに敵の影も形もない。退き際が良すぎる。あらかじめ計画されていたかのようだ。

 居館内に戻ってきた私たちは、揃って唖然とした顔で自分たちが入ってきたはずの場所を見ていた。

 経年劣化以外に目立った損壊のない、遺跡としては綺麗と言える場所だったはずが、まるで戦場にでもなったかと見紛うほどの荒れ模様だ。そこいらの壁に新しい焦げ跡、折れた矢に刃の欠けた剣、斧。そして、夥しい血の跡が残っている。

「また、あのアラーネアとかが来たのか?」

 テーバが言うが、その可能性は極めて低い。本人も本気で言っているわけではなさそうだ。明らかに人間同士で争った跡に見えた。たった数時間で一体何があったのか。今にも喧騒と剣戟が聞こえてきそうな生々しい惨状の中、警戒を解かずに庭園へと向かう。

 斜陽と高い城壁が作る長い影が、庭園をほぼ埋め尽くしている。辺りを見渡しながら、ゆっくりと歩を進める。

 突然うなじがびりびりした。自分の認識していない部分、無意識、第六感からの危険信号だ。これ以上進むな、と体が反応した。その声に耳を傾け足を止め、左右を見渡す。

「何だよ。止まっちまったかぁ」

 楽し気で剣呑な声が上から聞こえる。目をすぼめながら見上げると、城壁の上に、人影がずらりと並んでいた。逆光に照らされて人相を判別できないが、あの槍のシルエットはアスピスか。

「そのまま何も知らずに進んでくれりゃあ、余計な手間が省けたんだがな」

「アスピス団長。一体どういうつもり?」

 彼に視線を向けつつ、後ろ手で団員たちにいつでも対応できるようにと準備させる。

「どういうつもり、はこっちのセリフなんだよな」

 彼の周りに立つ人影が、一斉に矢をつがえた。

「言い訳の時間をくれてやる。せいぜい面白おかしく語ってくれ」

「言い訳? 面白い事を言うわね。私たちに一体何を言い訳しろと? そっちこそ、教えて欲しいわね。何故私たちを襲った?」

「襲う? 寝言は寝て言え。襲ってきたのは、てめえらの方だろうが」

「何ですって?」

「こっちに投げつけてきた、あの光を放つ魔道具。ありゃお前らのもんだろう? たかが光るだけでどれほどのもんかと思ってたが、奇襲にはぴったりだ。おかげで、部下が三人やられた。だが、こっちもやられっぱなしじゃない。眼をくらまされても、何人かに手傷は負わせていたはずだ。さてはて、お前らのその傷は、俺たちの武器につけられた傷と似てるじゃねえか」

 彼らが殺気立っている理由はそれか。仲間が私たちに殺されたと思っているのだ。

 はめられた。私たちも、リュンクス旅団も。

 嫌な予感が加速していく。誰かが私たちを争わせようとしている。しかし、一体誰に? 残っているのはパンテーラとトリブトム、その片方もしくは両方だが、彼らが私たちをはめる理由は一体なんだ。

「人間相手ならこっちに分があるとか言ってた自分が恥ずかしいぜ。だから、今度は全力でぶっ殺してやる」

 漫画であったなら、こんなわかりやすい罠かけられたって、冷静に考えればすぐばれると鼻で笑っていたものだ。

 実際命がかかっていたら話ががらりと変わる。一パーセントでも『もしかしたら』が頭をよぎったら、もう相手を敵としか見られない。九十九パーセント騙されているとわかっても、一パーセントに引きずられる。後ろから刺される、という恐怖に。これは自分たちだけじゃない。相手にとってもだ。双方が一パーセントに引きずられたら、九十九パーセントを上回る。

 九十九パーセントにこちらが賭けたとしても、相手が殺す気だったらこちらは確実に全滅する。

 かたや一パーセントの『もしかしたら』を理由として戦う事になれば、五割は高確率で生き残れるし、上手くやれば八割の被害で済み、また今後敵対するかもしれない相手を滅ぼし物資等を奪い取ることが出来る、かもしれない。

 傭兵団がどちらを取るかは、明白だ。ここで相手を消した方が、文字通り後顧の憂いを断てる。

「待って、犯人は私たちじゃ・・・」

 それでもここで争うリスクを説こうとした。当然の事ながら、相手は聞く耳を持たなかった。

「待つかよ。放て!」

 アスピスの号令で放たれた矢が飛んでくる。とっさにアレーナを盾にして掲げた。ガンガンと殺意が衝突する。

「「「オオオオオオオオオオオオオオオッ!」」」

 獣の遠吠えかと思うような、相手を威圧し、怯えさせる野太く長い独特の雄叫びを上げ、リュンクス旅団の接近戦部隊が城壁から飛び降りてきた。言葉は届かない。であるなら、切り替えるしかない。自分と団員たちの命を守るために。

「迎え撃つ!」

「「「応っ」」」

 背中を見せたら追撃され、一気に押し切られて全滅する。彼らの突撃を防ぎ、機を見て離脱するのがベストと判断。ウェントゥスを抜刀し、身構えた。

「龍殺しィいいいい!」

 先頭を駆けてきたのはアスピスだ。わき目も降らず、一直線にこちらに向かってくる。彼の持つ十文字槍の刃が、主の怒りに応えんと唸り、吠える。

 アスピスが十文字槍を下から上に振るった。回転する刃が地を這いながら迫り、私の足元で跳ね上がった。ウェントゥスで弾き、伸びた槍の柄に沿うようにして間合いを詰める。アスピスが手首を返した。空気を裂いて、命を刈り取る音が迫る。とっさにスライディングしてやり過ごし、アレーナを地面に叩きつけて伸ばす。跳ね上がるようにして体勢を立て直し、一気に懐に飛び込んだ。アスピスの手元に槍が戻ったところだ。先日と同じように、槍を十全に使えないように封じ

 アスピスが嗤う。背筋に再び走る悪寒。

 彼の手元で槍の柄が変形した。四つある柄が、それぞれ縦四等分に裂ける。分かれたパーツがアスピスの両手足を囲み、横断面から皮ともゴムともつかない素材が伸びてそれぞれを結びつけて、一気に縮む。柄が手足を保護する装甲に変化したのだ。回転していた刃も変化し、今は両拳の先端についている。こんなギミックを、別の場面で見たことがある。

「魔導義手?!」

「義手じゃねえが似たようなもんさ!」

 接近した私に右拳を繰り出すアスピス。ウェントゥスで弾くが、続けざまに左フックが見舞われる。スウェーバックでなんとか躱すが、髪が何本か持っていかれる。後ろに傾いた力を利用して飛び退ったが、アスピスはそれを読んでいたように間合いを詰めてくる。

 一気に劣勢に追い込まれる。接近戦で槍の強みを抑え込むはずが、超接近戦に持ち込まれ、こっちのウェントゥスが振り回せず、十全で戦えなくなっている。

「オラオラオラオラ!」

 左右のラッシュが命を刈りに来る。防ぐので精一杯だ。

「フッ!」

 強く短い呼気で、アスピスの右足が消えた。下げた左腕と左脇に衝撃が走り、吹き飛ばされる。二、三バウンドし、転がりながら体を起こす。息ができない。体を宙に逃がしてなかったら意識も奪われていた、それほどの衝撃だ。体に残った少ない酸素を一気に使うつもりで苦し紛れの一手を打つ。アレーナを土中に潜らせ、詰め寄ろうとしたアスピスの足元直下から一気に伸ばす。

「っとぉ!」

 顎か股間を打ち据えるはずの一撃は、バックステップで躱される。それでも最低限の仕事は出来た。間合いと時間を作ることだ。

「てめえの魔道具、そんな使い方も出来んのか! 一度見てなきゃやられてたぜ! やられてもただでは起きず、油断を誘うために利用までしてくるたぁやるなぁ!」

 装甲を槍型に戻したアスピスが構えた。

 強い。これが数多の戦場を潜り抜けてきたリュンクス旅団の団長か。単純な強さだけじゃない。強かさ、経験と言っても良い。それが私よりも多い。ここまで槍しか見せなかったのもそうだろう。槍を強調して印象付ければ、私が接近戦に持ち込むとわかっていた。最初の夜の戦いも布石の一つだったのだ。

「そっちこそ、槍だけかと思ったら手札が多いわね」

 唾を吐き出して強がる。それでいい。息を整える時間が少しでも欲しい。

「当たり前だろうが。隠してる手札の多さは小さい傭兵団の生命線だ。おたくもそうだろう?」

 再び槍が唸った。

「見せるときは、確実に殺す時だ」

 来る。言葉通り、確実に殺すために。

 いけるか? 万全の状態でも勝てるかどうかわからない相手に、先手を取られ、コンディションは悪い。

 かといって、相手は逃がしてくれそうにない。生き残るには勝つしかないが、それこそ勝算は低い。

 どうする? 勝てないとわかっていても勝つためには。

 答えが見つからぬまま、第二ラウンドが開始されようとした、その時だ。鬨の声が庭園に轟いた。

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