第201話 対アラーネア戦
アラーネアが足を踏み出した。一歩進むたびに石畳が鋭い脚先によって穿たれ、重みに敗れて亀裂が生まれる。奴にとってはちっぽけな一歩が、人類にとっては重装歩兵部隊が圧し潰しに来ているに等しい。
「踏み潰されるな!」
叫び、私も前に出た。相対距離は瞬く間に短くなる。奴の複眼が先頭の私を捉えた。ぎちぎちと牙を鳴らし、値踏みでもしているつもりか。
ポケットからウィーテンを取り出す。それを、アラーネアの頭部目掛けて投げつけた。アラーネアは飛んできたウィーテンを器用に前足で防ぐ。昆虫の複眼は視野も動体視力も人間とは比較にならないほど高性能だ。飛んでいる餌を捕獲するくらいなのだから、飛んでくる物を防ぐぐらい訳はない。
ならば、突くのは意表、高性能な身体能力を逆手に取る。
足に当たったウィーテンが弾ける。中身がぶちまけられ、足や目にかかる。
言語化の難しい悲鳴をアラーネアは上げた。強いて例えるなら電気のこぎりで木材を切るときの音だろうか。アラーネアが怯み、動きを止める。この機を逃す手はない。
「続けて投げて!」
私の声に呼応して、団員たちが四方からウィーテンを投げつける。的がでかくて助かる。必ず当たりアラーネアを液まみれにしていく。液が徐々に粘着性を帯びて、液からジェル状へと変化していく。透明度も比例して下がり、濁っていく。
アラーネアが再びしゃがみ込み、体勢を低くした。地面がたわみ、巨体が再び空を舞う。目標は生意気な我々だろう。生意気な餌を黙らせようというのか。だが、その巨体は我々がいる方向ではあるが、全く別の場所へと着地した。着地したアラーネアは見るからに動揺したようにそそくさと向きを変え、我々を捕捉しようと目を動かす。
複眼はその無数の眼から景色を立体的に捉え、高い動体視力、空間把握能力、認識能力を得ることが出来る。であるなら、その一部でも欠ければ、それらの能力に欠陥が生まれる。複眼の一つ一つ、個眼と呼ばれるもの単体では、識別能力が低いためだ。おそらく奴の頭の中では私たちの姿と距離を上手く測れなくなっている。
「オラオラ! こっちだ蜘蛛野郎!」
ガンガンと盾と斧を叩き、モンドが私とは別方向から挑発する。それに気を取られアラーネアが向きを変えると。
「鬼さんこちら、だ!」
ムトが叫びながら、また別方向からウィーテンを投げつけた。今度は足で防ぐこともできず、頭に液が降りかかる。これでさらに視界は塞がれるだろう。
アラーネアが三度体を屈めた。今度は上ではなく前方へ飛ばんと、前足をカタパルトみたいにひっかけて、後ろ脚を曲げている。体が傾いている状況だ。上からの押し潰し、点による攻撃ではなく、真っすぐに飛ぶ線での攻撃に切り替えたようだ。なるほど、昆虫なりに頭を使い、敵を屠るために全力を尽くしているわけだ。
残念だが、一手遅い。
「撃て!」
テーバの号令と共に、狙撃手部隊がアラーネアに向けてカテナを射出した。ロープが交差しながらアラーネアの頭上や足の上を飛び交う。虫かごに囚われた虫のようだ。驚いたアラーネアが、飛ぶのを止め、小刻みに足で地面を叩きながら小刻みな方向転換をしようとする。
「それは悪手ね」
ほくそ笑む。すでに奴の体はウィーテンがべったりと付着している。そんな状況でカテナのロープを巻き込むように体をターンさせたら、それこそ蜘蛛の糸に絡まるようなものだ。
案の定、アラーネアの前進にカテナが絡まる。網から抜け出そうと足掻くが、逆にカテナが絡まって動きを封じられていく。
「引け引けぇっ!」
テーバが景気よく怒鳴り、カテナのロープがぴんと張る。普通であれば人がアラーネアに綱引きで勝てる道理はない。が、ウィーテンが関節の動きを鈍らせ、踏ん張りの利きづらい体勢で封じ込めた。こういった相手が力を出せない状況を作りだせば、人間にも勝機はある。それに、我々の目的は綱引きで勝つことじゃない。
アレーナを伸ばし、アラーネアの足にひっかけて足場にする。一気に縮め、頭上へ至る。
「飛べるのは、お前だけだと思うな!」
勢いそのままに、腰だめに構えたウェントゥスを複眼中央に叩き込む。聴覚閾値外の悲鳴を上げ、青色の体液が飛び散った。
傷をさらに広げるため、突き刺したままのウェントゥスの柄を上下左右に動かし、眼を抉る。その奥の脳を目指して、深く、広く。
アラーネアが痙攣を始めた。まだ動けるのか、足をばたつかせて足掻く。しかし、その動きは先ほどとは比べるべくもなく弱々しく、動かせる範囲も狭い。
「往生際が悪いなぁ!」
モンドが駆けてきた。マグルーンを大上段から振りかぶった兜割だ。元気に動いている時ならばアラーネアの質量、圧力もあって弾かれるだろう。しかし、ほぼ止まっている状況で、確実に弱い関節部を狙えば。
「どっらあぁ!」
一閃、そして粉砕した。足を一本失い、ガクンと大きく体勢を崩すアラーネア。
「畳みかけるぞ!」
ムトたちがアラーネアに殺到する。団員たちは口や頭部、腹部の一部など比較的柔らかい部位に槍や剣を突き入れる。アラーネアがぶるぶると震えだした。足裏からもこいつが弱っていくのがわかる。
「全員離れて! 倒れるわ!」
指示を飛ばし、私自身も飛び降りる。
アラーネアの足が一本、力なく折れた。すると、自重に負け、他の足も次々と折れ曲がり、べしゃりと切り刻まれた腹部が地面に落ちる。刀身に付着した血を振り落とし、指示を出す。
「ムト君、アラーネアが死んだか確認して! 確認出来たら合流を!」
「はい!」
「モンドさん、こちらの被害は!」
「被害は無し。完勝だ!」
「テーバさん、今使用したカテナの本数と、まだ使えるカテナは!」
「使ったカテナは十八、残りは予備足して三十ってとこだ!」
一体に十八本。残り二体に対して三十は、動きを封じるにはギリギリだな。
残ったアラーネア二体が、仲間がやられたのに気づいてこちらを向く。視線は奴らから外さない。
「てめえ、やってくれんじゃねえか!」
アラーネアを挟んで私たちの反対側、リュンクス旅団団長アスピスが一体に向けて再び挑みかかっていた。一体が自分の周囲にわらわらとまとわりつくリュンクス旅団を、ターンしたり、飛んだりして煩わしそうに跳ねのけている。
「一体を彼らに任せて、私たちはこのままもう一体に狙いを絞ります。ウィーテンはまだありますね?」
「「「応っ」」」
「出し惜しみせずぶちかましてやりましょう!」
相手の出鼻を挫くくらいの意気込みで、こちらから動く。アラーネアの体が沈み込んだ。飛ぶのか、と誰もが警戒した。
アラーネアが予想通り飛んだ。だが、飛んだ方向は私たちの想定の外にあった。アラーネアが飛んだのは、前でも上でもなく、後方。城壁を飛び越え、向こう側へと落ちていく。
「逃げんのかぁ!?」
アスピスが叫ぶ。彼らがいた方向を見ると、同じように飛び跳ねながら、もう一体のアラーネアが城壁の外へ出ていくところだった。
「追うか?」
モンドの問いに、首を横に振る。
「やめておきましょう。追いつけるとも思いませんし」
それよりも、城下町跡に残してきたプラエたちが心配だ。アラーネアが逃げた方向は彼女たちのキャンプ場とは逆方向だが、用心に越したことはない。連絡しておこう。
「よう、生きてたのか」
プラエに連絡を終えた私に、肩に槍を担いだアスピスが話しかけてきた。派手に吹っ飛ばされていたが、大きなケガもなくぴんぴんしている。
「一匹仕留めるとはな。やるじゃねえか」
「お褒め頂きどうもありがとう。化け物相手なら、そちらよりもこちらの方に分があるようね」
いつかの意趣返しだ。
「言うねえ」
眼をぎらつかせて、楽しそうにアスピスが歯をむき出しにして笑う。
「それよりも、奴ら、一体どこから? それに、パンテーラは?」
「パンテーラの軟弱どものことは知らん。あの門で俺たち全員がバラバラになった後、門も開かねえので先に進むことにした。一緒に来ていたトリブトムの奴に、ここがもともとの合流場所だと聞いて、少し待っていた。生きてりゃお前らみたいにそのうち来るだろうし、来なけりゃ勝手にやるか、と考えていたところで、突然あの蜘蛛どもが現れた」
突然、ね。
彼が嘘を言うとは思えないし、本当に突然だったのだろう。だが、何か引っかかる。通常、単体で行動するアラーネアが三匹いたこともそうだし、不利と見るや退いたのもそうだ。あんなに知能が高い化け物なのか? ティゲルに確認するべきかもしれない。思案していると、遠くでこちらに呼びかける声が聞こえた。全員がそっちを向くと、こちらに向かって近づいてくる集団がいる。アスピスがつまらなそうに舌打ちした。
「無事だったか」
パンテーラ団長、シーミアだ。
「アカリ殿! 大丈夫ですか!」
そのシーミアを追い抜いて、イーナに駆け寄ったのはノリだ。
「どこかお怪我はないですか? ああ、私が罠を解除するのに手間取らなければ、あなたに苦労は掛けなかったのに。まことに申し訳ありません」
「いえ、御心配には及びません。ありがとうノリ殿」
「いえいえ、ご無事で何よりです!」
イーナとノリのやり取りを横目に見ながら、ヒラマエが苦笑いしながら近づいてきた。
「全員、無事で何より。当初の予定とはいささか違ったが、四つ全団が中継地点に到着出来たな。それでは、本格的な探索に向かおうか」
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